
ひきこもりを辞めようと思ったきっかけ 2
やっと引きこもりについての記事が書けました(*^^*)
今回は引きこもりを辞めたきっかけとなったその2、親についての話です。
ただ、ブログを読んだ方ならお分かりかと思いますが、今回も許す話題となっています。
けれど、私としては許すのが目的ではありません。
ブログ内で共通はしていますが、許すことは目的ではなく、あくまで結果のひとつです。
相手の立場で考えて不完全ながらも事情が分かってきた結果、許す選択をしたことを赤裸々にブログに書いています。
なので、決して親や嫌いな人を許すことを推奨しているわけではありませんし、苦しんできた方々を軽視する事が目的ではありません。
また、話の中で虐待の話題が出ます。
影響を受けてしまう方、トラウマがある方はご注意ください。
それと色々ぼかして書きますが、詮索しないでいただけたら嬉しいです。
ご理解いただける方のみ、読んでいただけたら幸いです。
親が完璧でないと分かった日
私の母は、男性に依存しがちでした。
母として優しいところがありますが、本音では女として生きたかった人です。
母の親(私にとって祖父母)もこう言っては失礼かもしれませんが、人として欠落した部分がありました。
でも、善意はあるんですよ。
生きている人間は、フィクションのキャラクターのように簡単には白黒付けれないものです。生きている人間はすごく複雑で、被害に遭った事実は話しますが単純に悪人として扱いたいわけではないので、親にも祖父母にも事情も善意もあったことをどうかご理解ください。
すみません、話がずれてしまいましたね。
幼少期はそんな人たちに育てられてきたのですが、案の定と言いますか、母が取っ替え引っ替え連れてくる彼氏から虐待を受けるようになりました。性的虐待も受けています。虐待のショックでか、記憶障害のように思い出せない過去もあります。
また、母からも虐待を受けました。
それが辛くて悲しくて、思春期以降は母を嫌って憎んだりしたものです。
ずっと憎んで親に怒りをぶつけて、でも持病で体が動かない期間ずっと助けてもらっているうちに、自分が本当は母親から愛されたかったことを自覚したり、母親の弱さと言いますか、欠点を見つけて、そのとき初めて子供の私が期待しすぎだったことに気づいたんですね。親に失望したとかではなくて、ただ私が本来の母とは隔離した理想を母に求めてしまっていたんだなと。
母性という理想を求めていたから、それが裏切られた時に反転して母親は完全な悪人というある種の悪い幻想といいますか、過剰なまでに悪いイメージを持ってしまったんです。実際の母は、長所も短所もあるただの人間だったのに。
母親の長所や優しさが見えなくなっていたんです。
とはいえ、虐待はしてはいけないとは思います。虐待を正当化する意図はありませんし、親を許すのが正しいことだと言う気もありません。ただ、あくまで私はですが、治療の一環で自分の内面と向き合って、わがままで自己中な認めたくない自分と向き合っていくうちに、ああ、母も弱かったんだというのが理屈だけではなく感情でも理解できるようになりました。
私も愛されたがりの人間で、欠落した部分があります。傷つけられるばかりではなく、人を傷つけたり、迷惑をかけてしまう事も沢山ありました。そのことは今でも後悔しています。けれど、自己弁明するわけではないのですが、望んでそうなったわけではないんです。なので、母が私のような愛情に対する飢えを抱えながら若い頃に子供を産んで育てたこと、若い母が色々なことに苦しみながらも私に向けてくれた優しさを顧みると、単純に母を悪役として扱うことは違うなと思うようになりました。
そこから少しずつ、親を許せるようになってきて、それに伴って外に出たいという渇望が出てきました。
今だからこそ分かることですが、私が引きこもったのは親への反抗という理由もあったようです。
その理由が消えてしまったから、引きこもる理由がひとつなくなってしまったんですね。
これが私の引きこもりをやめた2つめの理由、親を許せるようになったことでした(*^^*)
※プライバシーの関係で詳細に言うことは避けましたが、母の優しさに気づいたエピソードは沢山あります。ただ、上記のことに加えてやはり文字だと伝わりにくい部分もあるかなというのと、虐待を受けた子はそれでも親から愛されたくて親を庇いがちという有名な話もあり、私が母の長所を言うことで庇っているだけだと簡単に片付けられたくない気持ちがあるので、ここでは話題するのは避けさせていただきますm(_ _)m