愛されたいなら 笑えばいい 誰もいないところでも 神さまは見ているさ 君はいい子だね 十円玉の感触を 覚えているかい? あの硬さ、手触り カビ、あるいは皮脂 精巧なものさ、人って 僕は祈る 誰に対してでもなく 誰のためでもない 方向性を持たない祈りさ 行為ばかりが重要だ (ぽろりと笑みひとつ) 詩はまったく ありがたいね 誰のいないところでも 詩は詩であって 方向性を持たない祈りだ 神さますら気にも留めない ぼくは心をひとつこぼすよ 誰もいないところで、 神さますら
「君だよ」と言いたい なんの脈絡もなく、ね 人を肯定するすべがあれば ぼくは神にも等しいね 何も生み出さず 何も踏み出さない人をすら 肯定するすべを見出せば ぼくはきっと幸福だろう 言葉には形作られないところで 論理からはずれたところで 一人ひとりには意味があり 生を肯定せられる存在なのだ、と 確信が得られれば ああ、でもそれはもう壊れた人だ そんなことあり得ないもの * 「君だよ」と言いたい なんの脈絡もなくね そしてその瞬間はきっとある 瞬間ならきっとある ぼ
何が欲しい? と問われたら 祝福が欲しい、と僕は答える 祝福さ、祝福だよ それは敗北を勝利に変え 悲しみの涙を笑顔に変える 雨は優しくなり、空は青くなる それはどこからのものか 誰からのものか知らん 元をたどれば神さま? 親しい人を通して? あるいは道端に転がる石に宿る : ) 偏在し、遍在するものだね ああ、ぼくは祝福が欲しい 日常に飽いて 道端の石を蹴飛ばせば 残念それはからっぽだ! そう上手くいかないものだね 何が欲しい? と問われれば 祝福が欲しい、と僕
『黒人の音楽は どこにある?』 彼らは跳ぶ、跳ねる ツイストし、高らかに叫ぶ 跳ねて、跳ねて、跳ねて 太陽はカンカンだ カンカンだよ、君 『黒人の音楽は どこにある?』 ホップする白い鍵盤、黒い鍵盤 シェイクする金管、ストンプする木管 ドラムは腹を抱え、大笑いし 雨雲はゴウゴウさ ゴウゴウだよ、君 黒人の音楽はどこにある? 方々歩けど 見つかりゃしない そりゃそうさ そこかしこにあるからね、君 ♪ 日焼けしたイエス・キリストが 楽隊連れて大地を行進する ホウと
会社員 「雨にうんざりする 今日も雨、明日も雨 明後日もきっと降るだろう 靴は濡れるし一日暗い 週末のテニスはキャンセルときた 梅雨どきに楽しみなどひとつもないよ」 苗 「つまんで、挿されて わたしはいま泥水の上 濁った田水はやがて澄んで 空を移す鏡となる とめどなく降り注ぐ雨 わたしはそれがたまらなく嬉しい」 店主 「不機嫌そうな人も そうでない人もみな ひとしく足元を濡らしている コーヒーを入れるとほら 店内に香りが染み渡る 雨の日はなお
へそ曲がりと女に振られて 鏡の前に立ってみりゃどうだい たしかに曲がってら! ああ、こりゃ見限られても仕方ない 道行く女を見れば どいつもこいつも美味そうだ ネットを覗けばほら こっちもあっちも美味そうだ 声をかけようと踏み出せば 途端にへそが動き出す 画像をほうぼう渡りあるけば その都度へそが動き出す むずむず、むずむず へそ大爆笑、大よじれ 男でごめんなさいねと お天道様を仰げば 仕方がないよと 聖女の微笑み 助平でごめんなさいねと もう一度仰げば もうこっちを見て
私は何者でもない、と 誰に問われるでもなく答えると 白い壁が大きく笑い声をあげた つられて私も笑い出す そうさ、噴飯ものだ 手にもったチョークで 白い壁にびびびと赤い線を引いた お礼のつもりだった だが壁は悲鳴を上げた なんだい、たいしたことない奴め わたしは、彼に向って さらにおしっこをかけてやった! おともの音楽:細野晴臣、”Non-Standard Mixture”
世界が 俺のものになればいいのに そうすれば 世界は平和さ 世界が俺のものになれば 一番尊いのは愛だ 次になにを選ぶ? 俺は音楽を選ぶ 芸術の中で 音楽より尊いものはない (画家小説家舞人その他大勢からの抗議) Classicは侮れない 真正面から向き合うと底知れない闇がある POPSは最も強い 人数の多さがそれを物語る ROCKは人々を支えている たとえまるで興味のない人をすら JAZZ、JAZZは分らんね でも俺にとってすら、たまらなくいいものがある そう、たまらなく
すでに多くが交りを終え 出遅れたものたちが川を舞う 誰かいないか、誰かいないか あるものは飛び回り あるものは葉の上で羽を休めながら 相手はいたか、相手はいたか そこで休んでいていいか もっと光らなくていいか * けしかけるお前もほら 出遅れた物見客 せめて彼らの幸福を願え 相手の一人も見つかりますように、と おともの音楽:Bon Iver, "Salem(Live at Barclays Center, Brooklyn, NY, USA, 2019)"
アラスカ、には 行ったことがないが 気持ちの良いところだろうなと思う 星野道夫の写真が 気持ちのいいものばかりだから 彼の取る写真にも 連ねる文章にも 正しく風が吹いている 空はフェアだ 誰に対しても優しく厳しい アラスカ、には 行ったことはないが その印象は裏切られることはないだろう かの土地のあらゆるところ、 人々に親しいトウヒ 背の低い地衣類 冬ごもりをする生き物たち、に 彼は遍在して やはり気持ちの良いところだろう おともの音楽:Derek Trucks Ban
わが子の小さな手をおもう 楽しみと興奮の入り混じった笑顔をおもう そこらを駆け回る足音をおもう ふとんについた涎のしみをおもう まるいやわらかい小さなおしり 泣き顔、止めるすべのない癇癪 バナナが欲しい、バナナが欲しい、バナナが欲しい… 七月には七夕の行事があるという 短冊を持ち帰ってきた 何を書こうか 何を願おうか さて君は何が嬉しい? おともの音楽:Derek Trucks Band, ”Back Where I Started”
かみさまがおわす ところにぼくはいて ならばもう幸せじゃないかと 問われるけれど そうではないんだな 幸せの『し』の字もないよ 正しくあろうとすれば 面倒なことばかり ただ、間違ってはいないと 自己肯定感のひとさじがあって 少し安心するだけ かみさまとは鎮座する石のようなものさ お日さまであたためられた巨大な石 そのそばにぼくはいて 幸せの『し』の字もないよ そこにいるだけ おともの音楽:Derek Trucks Band, ”Back Where I Started”
オオイヌノフグリは盛りを過ぎて キツネノボタンもとうに熟した カタバミは爆竹を空に捧げ オオバコがにょきにょきと頭角を現す そしてニワゼキショウ 草原を見渡すとそこかしこに 彼らもきっと今が最盛期 晩春と初夏のはざま 草原を見渡すとそこかしこに咲く おともの音楽:Derek Trucks Band, ”Sierra Leone”