「スマート・ゲートをこじ開けろ!――あるBtoB SaaS企業のGTM奮闘記」:プロローグ編
序文:はじめに
これは、SaaS企業「スカイリバー・ソリューションズ」が自社プロダクト「SmartGate(スマート・ゲート)」の業績不振に苦しみ、GTM(Go-to-Market)戦略を再構築することで再起を目指す物語である。
しかし、物語と言っても単なるフィクションではなく、ビジネスのリアリティを織り交ぜた“教科書”のような性格も併せ持つ。どこにでもある中堅企業が直面する人材不足や社内政治、競合との戦い、顧客対応の葛藤――それらが縦横無尽に絡み合う。
本プロローグでは、登場人物と企業の背景を描くだけでなく、そもそもGTM戦略とは何なのかを解説するパートを挟んでいく。読者にとっては「なぜ今、GTMなのか?」「GTM戦略の要諦は?」を知る一助となれば幸いである。
第1節:薄暗い月曜朝のため息
「また解約……ですか?」
経営企画室長・**日高正文(ひだか・まさふみ)**は、マーケティング部の若手エース・**白石佳奈(しらいし・かな)**からの報告を聞き、渋い顔をした。
オフィス内の空調がまだ馴染まない朝8時。梅雨の明けない曇り空が、ビルの窓ガラス越しに灰色の光を落としている。
白石「はい、先週から3件目ですね。『競合他社が類似のSaaSをもっと安価かつ高機能で提供している』と言われました。それに、オンボーディングのサポートが乏しくて使いこなせなかったとも……。」
白石の声には疲労感が滲む。彼女はここ数カ月、解約防止や新規顧客獲得のために懸命に動いていたが、成果がなかなか出ない。
経営企画室として社内全般の数値をモニタリングしている日高も、この解約ラッシュを見過ごせない状況になりつつあった。
日高「……いよいよ本腰を入れて、Go-to-Market戦略を立て直すときだな。『SmartGate』ってプロダクトを、このまま放置していたら、いつか終わるかもしれない……。」
そう呟く日高の脳裏には、会社への危機感が募っていた。かつて社内を牽引したSaaSが、今では解約続出で売上が伸び悩む――このままでは株主への説明もつかない。
第2節:GTM戦略とは何か――なぜ今、それが必要なのか
ここで、本作の重要キーワードである**「GTM(Go-to-Market)戦略」**について、あらためて解説しておこう。物語のキーとなる用語であり、ビジネスパーソンにとっても普遍的に活用できる概念だからだ。
2.1. GTM戦略の定義
GTM戦略とは、
「自社の製品やサービスをどの市場に、どんな価値と差別化要素で、どのチャネルやタイミングを使って投入し、継続的に収益と顧客満足を得るか」
を総合的に設計するアプローチ
である。
シンプルに言えば、「製品・サービスを市場にどう届け、どう受け入れてもらうか」の全体像を描き、そのための組織連携やプロセス、ツール導入、KPI設計などを含めた計画だ。
従来のローンチ計画: 発売日や宣伝手段を決めて終わり
GTM戦略: ターゲット市場・ペルソナの再定義、価格設計、マーケとセールス、カスタマーサクセスの横断連携、フィードバックループの仕組み化……などを包括する
2.2. なぜ今GTM戦略が注目されているのか
競争激化と新規参入
SaaS市場などでは、海外大手や新興スタートアップが次々と競合製品をリリースしており、単に「機能が優れている」だけでは差別化しづらい。市場投入のスピードとマーケティング・セールス連携が勝敗を分ける。
DX・デジタル化の進展
顧客の購買行動がオンラインに移り、多彩なチャネルで情報収集をするようになった。従来型の広告や営業だけでは足りず、SNSやMAツール、AIなどを駆使した総合的アプローチが必要。
MOps/RevOpsの台頭
**MOps(Marketing Operations)やRevOps(Revenue Operations)**といった概念が普及し、マーケ・セールス・CSが共有KPIを持ち、データを一元管理する動きが加速している。GTM戦略はこうした部門連携の“設計図”とも言える。
サブスクリプションモデルの定着
SaaSやD2Cなど、継続課金のビジネスが主流になる中、「初回購入を取って終わり」ではなく、長期的に利用し続けてもらう仕組み(オンボーディング、カスタマーサクセス)が必須。ローンチ前後を一貫して考えるGTMが求められる。
2.3. GTM戦略の主な構成要素
GTM戦略を紐解くと、一般的には以下の要素が含まれるとされる。
ターゲット市場・ペルソナの明確化
価値提案(バリュープロポジション)と差別化ポイント
マーケティング施策・チャネル選定
セールス体制(直販、代理店、オンライン販売、インサイドセールスなど)
オンボーディングやカスタマーサクセスの計画
リード獲得から成約、さらに継続利用に至るまでの一貫した設計
KPIモニタリングとフィードバックループ(データ活用)
BtoBの場合は、**ABM(アカウントベースドマーケティング)**や複数ステークホルダーへのアプローチが特に重要であり、BtoCではSNSインフルエンサー戦略やブランド体験設計などが組み合わさることが多い。いずれにせよ、単なる“発売日を決めて広告を打つ”だけではない総合戦略である点がGTMの特徴だ。
2.4. 物語の文脈で言う「GTM戦略」
本作に登場する「スカイリバー・ソリューションズ」は、BtoB向けのSaaS「SmartGate」を提供しているが、解約率の増加や競合他社の台頭により苦境に立たされている。ここで述べるGTM戦略は、
既存ユーザーの継続利用とアップセル
新規顧客の効率的な獲得(インサイドセールスの活用含む)
社内横断的なデータ連携と施策最適化
ローンチ前後の一貫した顧客体験の設計
といった要素を包括する。物語を通じて、登場人物たちがどのようにGTM戦略を再定義し、社内外の利害関係者を巻き込みながらプロダクトの“第二幕”を作り上げていくかを描いていく。
第3節:プロダクト「SmartGate」の栄光と黄昏
3.1. 過去の成功
物語の舞台であるスカイリバー・ソリューションズは、創業から20年ほどの中堅IT企業である。受託開発をメインにしていたが、10年前に自社開発SaaS「SmartGate」をリリースし、一時期は時代の先端を行く存在として注目を集めた。
「SmartGate」は、企業の**顧客管理(CRM)と営業支援(SFA)**を統合し、中小~中堅企業でも手軽に導入できるという触れ込みでヒットした。当時はまだ国内でSaaSが普及し始めたばかりで、競合も少なかったのだ。
3.2. 競合の台頭と機能の陳腐化
しかし、数年が経つと海外SaaSベンダーやスタートアップが続々参入し、次世代の機能(AI分析や自動化など)を低価格で提供するようになった。一方のSmartGateは大幅なアップデートを後回しにし、UIが古いまま、代理店任せの営業を続けていたため、ユーザー体験が陳腐化していく。
この数年で解約率が徐々に上昇し、今では危機的状態に陥っている。社内でも「機能が古い」「カスタマーサクセスが弱い」と不満が噴出しつつあった。
第4節:経営企画室長・日高の危機感
4.1. 上層部へのアラート
冒頭での白石からの報告を受けた翌日、日高は社長直轄である経営企画室のアナリストたちに、解約率の推移や競合他社との比較表を緊急作成するよう指示した。数字を見れば見るほど、“このままではSmartGateが消える”という危機感は強まる。
社内では「昔はあんなに稼ぎ頭だったのに……」という残念そうな声も聞こえるが、行動に移す者は少ない。結局「なんとかなるだろう」という漠然とした楽観論が蔓延していたのだ。
4.2. GTM戦略再構築の必要性
日高は以前から、ビジネス誌や海外の記事でGTM戦略の重要性を学んでいた。そこには「製品の市場投入から継続利用まで、マーケ・セールス・CSが部門横断で連携し、顧客価値を最大化する」という概念が明確に示されている。
(うちの会社にはこれが欠けている――)
そう痛感した日高は、何度か役員会で「Go-to-Marketの再設計が必要だ」と提言してきたが、社長や専務も表立って大きく動き出す気配はなかった。ところが、解約率が止まらなくなり、ようやく状況は変わり始める。
第5節:社長との面会――プロジェクトの火種
5.1. 専務とのやりとり
数日後、日高は社長の右腕とも言われる専務の**大城健介(おおしろ・けんすけ)**に面談を申し込んだ。そこには、作成した危機レポート――「解約率、競合比較、収益推移」のグラフが並ぶ。
大城はそれを一通り見て静かに口を開く。
大城専務「……確かに、このままじゃSmartGateは先細りかもしれないな。いいかげん、抜本的な施策を打つ必要がある。新機能の開発に投資するのか、営業体制を見直すのか……。どう考えてるんだ?」
日高「Go-to-Market戦略の再構築を本気でやるべきです。開発、マーケ、セールス、CS、そしてインサイドセールスなど各部門を連携させ、総合的な販売計画と顧客育成プロセスを見直す。MOpsやRevOpsの導入も含め、根本から変えるんです。」
大城は少し驚いた様子でうなずく。
大城専務「MOps? RevOps? なるほど、最近よく聞くが……具体的には?」
日高「MOpsはマーケティングオペレーション、つまりマーケティング施策をデータ駆動型にして自動化・最適化する組織や仕組みです。RevOpsはセールス・マーケ・CS・インサイドセールスが**収益最大化(Revenue)**の視点で連携する枠組み。今のうちの会社には絶対必要だと思います。」
大城は腕を組み、やがて言う。
大城専務「わかった、近く役員会で正式に提起しよう。俺から社長にも話をしてみる。……一度本気でやってみる時期かもしれない。」
こうして、日高の提案が社内の上層部に届き始める。これが「GTMイノベーション・チーム」の誕生へとつながっていく第一歩となる。
第6節:GTMイノベーション・チームの誕生
6.1. 役員会でのプレゼン
1週間後、役員会が開かれた。そこでは日高が作り込んだスライドを使い、「解約率が増加している現状」「海外・国内競合が安価で高機能のSaaSを出していること」「現場の疲弊と部門間の連携不足」という問題点を明確化する。
同時に、「ここでGTM戦略を徹底的に見直さなければ、SmartGateは衰退する」という危機感を訴えた。
石原社長「確かに、うちのSaaSはここ数年新味がない。解約率がこんなに上がっているとは……。日高くん、具体的にはどんなプロジェクトを想定している?」
日高「GTMイノベーション・チームを立ち上げ、部門横断で総合的な市場投入計画を再構築します。目標は解約率の低減、新規顧客の獲得増、そして組織連携の強化。MOpsやRevOpsを検討し、必要に応じてMAツールやCRMの再編も行います。とりわけ、インサイドセールス部門を強化することで、効率的なリード育成にも挑戦したいんです。」
社長は少し考え込んだ後、専務と視線を交わし、大きくうなずいた。
石原社長「いいだろう。スピード感を持って進めてくれ。開発にもちゃんと人をつけるから、新機能の検討もやってくれ。やるなら、全力で頼むぞ。」
6.2. メンバー選抜
こうして、会社の正式プロジェクトとして**「GTMイノベーション・チーム」**が動き始める。選ばれたメンバーは以下のとおり:
経営企画室長・日高正文(プロジェクトリーダー)
マーケティング部・白石佳奈(若手エース)
セールス部・佐伯弘樹(さえき・ひろき)(ベテラン営業)
カスタマーサクセス部・川上瑛美(かわかみ・えみ)(CSリーダー)
開発部・田所修一(たどころ・しゅういち)(主任エンジニア)
インサイドセールス部・中谷亜希子(なかたに・あきこ)(Inside Salesリーダー)
他にも、経営企画室のアナリストや総務からのサポートスタッフが加わり、チームは総勢9名ほどとなる。大城専務もアドバイザーとして適宜参加する予定だ。
なぜインサイドセールスが重要?
BtoBの営業では、いきなり外勤営業(フィールドセールス)が動くよりも、インサイドセールスがリードを育成し、ある程度温度感の高い見込み顧客になってから商談化する流れが効率的とされる。特にSaaSビジネスでは、オンラインや電話、メールなどを活用して潜在顧客との接点を増やし、リードナーチャリングを行うインサイドセールス部門がカギを握るのだ。
こうした事情からも、今回のGTM戦略には不可欠な存在として中谷が選出された。
第7節:プロジェクトキックオフ――再生への第一歩
7.1. キックオフ・ミーティングの熱気
場所は本社5階の会議室。大きなテーブルの周りに新チームのメンバーが初めて全員集合した。日高がホワイトボードに「GTMイノベーション・チーム」と大きく書き込む。
ここで改めてGTM戦略の概念や、チームの目標などを共有する。前述の通り、**「製品を市場に届け、継続利用を確保し、収益と顧客満足を最大化する総合設計」**こそがGTMの骨子である。
日高「さて、みんなの協力を得て、SmartGateをもう一度“稼げるSaaS”に復活させたい。解約率を下げ、新規契約を増やし、ユーザーが‘使って良かった’と心から思えるサービスにしよう。Go-to-Market戦略はそのための総合的プランだ。みんな、力を貸してくれ。」
マーケの白石は笑顔で答える。
白石「私もGTM戦略に本格的に取り組むのは初めてだけど、広告代理店時代の経験を活かして、マーケ部として何ができるか考えたいです!」
川上はカスタマーサクセスの視点から言葉を継ぐ。
川上「導入後のサポートが不十分で解約につながっているケースが多いです。オンボーディングを強化して継続利用と顧客満足を高めたいので、ぜひCS部もプロジェクトに深く関わらせてください!」
佐伯が頷く。
佐伯「セールスとしては代理店経由の販路が既存の主力なんですが、そこが限界を感じています。新しいモデルを作りたいけど、現場との調整も必要だ。どう連携するか、一緒に考えよう。」
田所は開発者らしく冷静な表情で、
田所「新機能やUI刷新の要望は多いと思いますが、リソースも限られている。優先度を整理しつつ、AI活用など新しい挑戦もやってみたいです。」
ここで、インサイドセールス部の中谷が口を開く。
中谷(インサイドセールス)「今までうちのインサイドセールス部門は、十分に活用されていなかったと感じます。BtoBの商談を創出するうえで、インサイドセールスは大きな効果を発揮できるはずです。オンラインや電話で効率的にリードをナーチャリングし、ある程度見込みが高まったらフィールドセールスや代理店にパスする。こうした体制が整えば、今よりずっと売上に貢献できると思います!」
日高は嬉しそうに微笑み、
日高「まさにそれをやりたいんだ。部門横断で力を合わせて、顧客接点の質を上げていこう。」
こうして、GTMイノベーション・チームは希望と不安を胸に、正式に動き出すのだった。
第8節:なぜGTM戦略が難しいのか――社内抵抗とリソース制限
8.1. 社内抵抗勢力
一方、このプロジェクトに対して社内の一部からは冷ややかな声も聞こえる。特に、長年のやり方に慣れた営業社員や、代理店との強固な関係を築いてきたベテランは、「そんなに大げさにしなくてもいい」「GTM戦略なんて流行り言葉だろ?」という態度を示す。
会社には既存の仕組みや文化が根強く残っているため、部門横断の新プロジェクトには少なからず抵抗が発生するのだ。
8.2. リソースとスケジュール
また、開発部は既に日々のバグ修正やカスタマイズ対応でパンク状態。マーケ部も限られた人員で複数のプロダクトを担当している。CS部は「解約防止の問い合わせ」で手一杯。セールス部は代理店への対応に追われ、さらにインサイドセールス部門はリード育成が増えるほど人員を増やしたいのが本音。
「どこにそんな余裕があるんだ?」――これはプロジェクトメンバー自身も抱える不安だった。だが、ローンチスケジュールを決めて動かなければ、いつまで経っても状況は変わらない。
第9節:プロローグの終わりに――嵐の前の静けさ
こうして、GTM戦略とは何かを大まかに整理し、危機感を抱えた企業「スカイリバー・ソリューションズ」の挑戦が始まる。
本来、Go-to-Market戦略は「市場調査→ターゲット設定→価値提案の再設計→販売/サポート体制の確立→継続的なPDCA」といったフェーズを踏むものだ。このプロローグでは、その入り口として、組織内でどのようにGTM戦略が必要とされ、プロジェクトが立ち上がるかを描いた。
果たして、彼らは「SmartGate」を蘇らせ、GTM戦略を形にすることができるのか――。その顛末は、この後の各章で詳細に語られる。