旅行が苦手かもしれない自分の趣味
秋になり、職場のおやつスペースには同僚からのお土産クッキーが並んでいる。
「鳴子行ってきました」
「箱根のお土産です」
「エーゲ海行ってきました」
え、エーゲ海!?
みんな裕福だな〜なんて思った。
だって宿泊代とかすごく高くなってるらしいじゃないですか。
そんな折、海外まで行っちゃうってすごいな〜。
と言いつつ、今の私には行きたいところが特にない。
旅に注げるお金がそこまでないわけじゃない。
みんなだってお金に余裕あるから旅に行くというより、行きたいところがあるからそこにお金を注ぎ込むのだろう。
私は旅にお金を使おうとあまりならなくて。
旅行が好きじゃないのかも、と思った。
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それでも昔はよく一人旅をしてたのです。
大学の卒業旅行で、友人たちはスペインとアメリカ両方行くと盛り上がっていたけど、私はお金がないことを理由に断って、1人で関西3都旅行をした。
自分で細かくしおりみたいのを作って、寺の閉門時間が迫れば走る。
こういうダッシュは1人じゃないとできない。
そういう楽しみを味わった。
友達が遠い地で暮らし始めたと知ると、そこへ赴く。
北海道まで電車で行ったり、松山まで夜行列車使って行ったり。
夜行列車は一時クセになり、ムーンライトいずもと一畑電鉄に乗って出雲大社まで行ったことがありました。
あとは、駅長猫のたまに会いに和歌山の貴志まで行ったのは、大阪出張のついでだった。
友人や家族とも、京都、箱根、草津、鳥取、広島、あちこち行ったものです。
そのころ、私は旅が好きな人間なんだと自分で思っていた。
最近、旅行計画をいつしたかといえばコロナ直前。
大阪で舞台を見に行く予定にしていて、翌日には京都の貴船神社と鞍馬神社へ行こうとしていた。
ところがコロナ蔓延で舞台は中止。
そこから「旅行計画」がすっぽり私の頭から抜け落ちてしまったんだ。
ちゃんと旅行したのは2018年が最後かもしれない。
横尾忠則氏の絵を見たいと思い、灘の美術館まで行くというのがメインの計画。
そのあと西宮在住の友人に神戸を案内してもらったり、1人で尾道まで足を伸ばしたりしたのは、旅行らしい旅行でした。
尾道で瀬戸内海に触れれば、「旅って楽しいなぁ。ひゅーひゅー!」と1人興奮するものの、旅につきまとう「何か」が自分を物悲しくさせる。
・1人でこの景色を見てもしょうがないということ
・旅から帰れば日常の生活が待っているということ
誰かと旅すれば物悲しさなど抱かないでしょう。
だけど「誰か」がいたらいたで気を遣う。
仲良しの子とチェックイン時あんなはしゃいでたのに、翌日の昼には疲れすぎて沈黙、何を楽しめばいいかわからなくなってたりとか、夜になれば友人の風呂の長さに苛立ったりもする。
好きな人と壮大な景色を見ているのに、ゆうべ背を向けて寝た彼の真意を探りすぎていまいち感動できなかったり。
やっぱ1人じゃないと旅って堪能できないよと思いつつ、1人だと寂しい。
このジレンマを解消できたことがないのかもしれない。
そして旅からの帰宅。
数日前の旅気分などあっという間に消えて、オフィスでPCたたいてる。
私は「波」とか「落差」がすごく苦手で、「非日常感を楽しもう!」みたいなノリとかダメなんですよ。
旅が楽しいほど、「現実」との落差に虚しくなる。
綿菓子のように消えるじゃないですか。旅の余韻。
なぜか写真も見返さない。思い出にすぐ背を向ける自分。
いや、現実が嫌なわけじゃない。
ただ「波」が苦手ということ。
フラットでいたい。極端な上がり下がりに心がついていけないから。
私の今の仕事は土日祝日まったく関係なく、つまり平日と土日にさほど波がない。
これも無意識でそういう職種を選んでたのかも。
旅行のために4日連続有給取るとか、今の自分には特に不要。
というか怖い。その4日を自分のための特別な日にすること。
なんて贅沢なのか。
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ところが、私の趣味は「地図を眺めること」
やっぱ行きたいのか?
心はどこか行きたがってるのか?
本屋で東京地図を手に取って、「これだ!」と満足したのも束の間、東京だけじゃ物足りなく思い、日本地図も買った。
この地図を買ってから、「スマホを見るのをやめられない」という日々から「地図を見るのをやめられない」日々に変わる。
行きたいとこなど特別ないのに、「謎だったあの通り」をチェックしてみたりする。
「あー、あそこにつながるんだ」
そんなことで1日が終わる。
職場の同僚が確か八王子に住んでいたので、駅名を聞けば「高尾」だという。
東京地図で高尾を調べたら…載ってない!
しかし大丈夫!日本地図も買ったので、そっちで高尾をチェックする。
・・・だから何だという話です。
私は今まで「旅行の計画」が好きだったのかもしれない。
実際旅立つことよりも、地図を見ることを楽しんでた気もする。
未知の場所の地図。
そこが海に近いとワクワクして、この目で見たい!と赴きたくもなるんだけどね。
新幹線から富士山が見えればそりゃ興奮する。
でも、あのあたりから大体酔ってきますね。
東海道新幹線の振動が胃に響いて…
それでも自分にとって最高と思えた旅先は、兵庫県の日本海側にある余部鉄橋。
ドラマ「夢千代日記」のオープニングに出てくる赤い鉄橋をこの目で見たくなり、夜行列車を使ってひとり赴いたのは25歳ごろだったか。
今、赤い鉄橋ではないけど、その鉄橋がかかる鎧駅が海沿いの崖みたいなとこにあって、素敵な風景でした。
トップ画像鯉のぼりは鎧駅からの風景(香美町観光ナビより)
私にとって旅は癒やしや高揚感を求めるものじゃなく、行きたいところに「たどり着いた」という達成感を楽しむものかもしれない。
そういえば大学生のとき、友人と青春18きっぷを駆使して「行っちゃうか!」と、思いつきで徳島の阿波踊りを見に行ったことも良い思い出です。
あのとき楽しすぎて、友達と帰りの電車の中ですごくブルーになった。
そう、あのときから落差に苦しんでいた。
私の住む街は観光地で旅人が多いのだけど、そのテンションの高さに日々触れてるだけで満足しちゃってるのかもしれない。
街が常ににぎやかで、そんな中でひっそり暮らしてるのは心地いい。
部屋で地図をめくってるうちに、またどこか行きたくなったらいいなとは思う。