40代後半でよかったと思うこと<性格編>
以前もこんなnoteを書きました。
このときは「この世代でよかったと思うこと」という感じで書きました。
今回は「それなりに年を重ねてきてよかったこと」について書いてみます。
トラブルを起こさなくなってよかった(瞬発力低下)
かつてはカッとなったら、瞬時に怒りの言葉を相手にぶつけてたものです。
特にLINEで即反論メッセージを送る。
あの速さは、今振り返ると我ながらすごいと思う。
そりゃ、頭を抱えるほど後悔したことは何度もあります。
だけど頭抱えてる間にまた長文LINEが来たりして、ぐわっと怒りの言葉を紡ぎ出して返信。
そんなことを45までやってました。
46に差し掛かって、途端に丸くなったんですよね。
というのは、カッとなっても言葉が浮かばないのです。
不快なモヤモヤで脳内を占められるのに、数分経つと「なんだっけ?」となる。
ちょっとしたババァ状態ですが、瞬発力が低下したのでしょう。
よくアンガーマネジメントで、怒りが湧いたら6秒数えるみたいのありますが、あれを自然にやってる感じでしょうか。
「ま、いっか」となる。
それを続けてると、こっちの怒りや正当性を表明しないことで、仲違いなどのトラブルを回避できることのほうがよっぽどいいと思えるようになるんですよね。
むしろ、昔はなぜあんなに不快感や正当性を主張してたんだろうと思う。
そうじゃないと生き残れないような危機感があったんだろうけど、それがなんだったかも覚えてない。
何の変化も起こそうとしなかったことによる「何も起こらなさ」の平和感を心地よく感じられるようになりました。
人間関係の悩みが減ってよかった(感度の低下)
とはいえ人間関係に悩むnoteも結構書いてますが、苦手だなぁと思う人がこれでも激減したのです。
昔は「関わる人ほとんど苦手!」と思う日のほうが多かった。
同僚たちが楽しそうに笑ってるのもなんか嫌。
自分のミスに誰かため息ついてるんじゃないかとか。
あの人が何も話さないのは私のせいかもしれない、などなど全身アンテナ状態でしたが、40後半になると途端にどうでもよくなった。
コロナ禍に私語を控えるようお達しが出て、その「話さない日々」の心地よさに気付いたからというのもありそう。
みんな話さないというあの静寂の期間は、本来やるべき仕事に集中できたし、仕事が終わったら最低限の挨拶だけして帰る。
苦手な人とエレベーターが一緒になっても「話さない」を貫けたし、「お先にどうぞ」と、密回避を装って同乗を避けることもできた。
そんな日々を過ごすうち、「誰にどう思われてるか?」というあの痛々しい感度も鈍麻していったというかですね。
自分が気にしなくなったら、誰にも嫌われてないような気がするから不思議。
「いい人でいなくちゃ」という気負いがなくなるのは、大きなストレス一個減ったということなんでしょうかね。
お金を使わなくなってよかった(体力・好奇心の低下)
あくまで私の場合ですが、30代はしょっちゅうCDを買ってたし、雑誌も本も買っていた。
「仕事帰りにどこか寄る」というのを日々楽しみにしてて、それがストレス発散だったんですよね。
先日、同い年の友人とも話してましたが、ルミネ10%オフの期間なんか閉店までうろつく日を何度も繰り返して、へとへとになるまで欲しいものを探したりしてたよねと。
今じゃ「早く帰りたい」、頭に浮かぶのはそれだけ。
パートナーやペットが待ってるわけじゃありません。
もう、お財布出すのが面倒なのです。
お金がない、とかいう前に「欲しい→買う!」と心が動くことに疲れてしまった。
無印とかソニプラ寄って何にも欲しいと思わない自分に愕然とするぐらいなら帰りますね。好奇心の低下。
そんで休日に限って眠い・ダルい・どこかしらの鈍痛。体力低下。
推しへファンレターまで書いてたのに、今じゃその人の音源も聴かなくなった。
「よかった」どころか病んでるんじゃないかという話ですが、何が日常にもたらされたかというと「落ち着き」ですかね。
「あれやりたい」とかの持ち手カードが昔20枚ぐらいあったとしたら、今は7枚、いや5枚もあったかな。
いっぱい抱えても頭が混乱するだけなので、生活や自分自身がシンプルになりつつあると感じます。物欲が減る。
(とはいえ毎月の収支は赤字。なんでだ?)
「経験」から判断できるようになってよかった(真の自立)
ここまで「老化」をただ前向きに捉えただけという感じもしますが、40も後半になれば「経験」を生かせるようになってきたなぁと、感慨深くもなります。
特に人間関係ですね。
距離感には特に気をつけるようになりました。
近いから親しくなるとも限らないし、会わないから疎遠になるわけじゃないことを知った。
あと終電間際の酔っ払いにはかなり敏感になりました。
やばいな、と察していち早く隣の車両に逃げたら、数分後にあとからあとから逃げてくるとか、そんな能力は身につきましたね。
恋愛・結婚の価値観もずいぶん変わりました。
かつての私は恋愛至上主義傾向でしたが、自分の魂胆に自分で気づかないようにしていた。ただそれだけだった気もします。
自分1人で生きることにどこか手抜きをしたかった。
全力で頑張っても上昇できる気がしないので、上昇していきそうな人ばかり好きになってましたよね。
そんで一心同体をもくろむ。アブない女でした。
ただ、「全力で頑張っても上昇できる気がしない」
そう思わせる時代に生きているということ。自己責任じゃないだろう。
堂々こんな責任転嫁もできるようになるもので。
何より「無理しすぎないほうがよい」ということを経験で感じられるようになったのは大きい。
いい意味で「自分中心」になれました。
高齢母の介護生活に入って、そりゃ母親のことを考える時間は増えたけど、子どもも夫もいない自分が誰かの生活に責任持つことを体感できた。
これが自立なのか。
末っ子の自分がどれだけ人の脳みそ借りて生きようとしてたかも思い返され、そんな反省ができるようにもなった。
自分は非正規で独身。加えて神経質で未来の不安ばかり抱えてきたのに、「ま、いっか」と思える大人になってたというのはちょっと想像してませんでしたね。
「40後半でよかったこと」をこれだけ連ねられて本当よかった。