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【短編小説⑤】消える山小屋


登山が趣味の男、吉村は、山奥にある「幻の小屋」の噂を聞いた。
その小屋は、地図にも載っておらず、現れる場所が毎回違うという。迷い込んだ登山者を助けると言われる一方、一度入ったら出てこられなくなるという不気味な話もあった。

吉村はその噂を一笑に付しつつも、どこか興味を惹かれ、週末に山に入ることにした。

天気は快晴だったが、山道は予想以上に険しく、日が暮れる頃には体力が尽きかけていた。さらに運の悪いことに、突然霧が立ち込め、道に迷ってしまった。

「参ったな……」

そのとき、ふと霧の向こうに明かりが見えた。近づいてみると、そこには小さな山小屋が建っていた。

「まさか……」

吉村は噂を思い出し、少し躊躇したが、寒さに耐えきれず扉を叩いた。

「誰かいますか?」

中からは年配の男性が顔を出した。
「おや、迷い込んだのかい?さあ、入って温まるといい。」

中は思ったよりも広く、暖炉の火が心地よく燃えていた。吉村はほっとしてお礼を言い、出されたスープを飲みながら話をした。

「あなたがこの小屋の主人ですか?」

「まあ、そうだね。長いことここにいる。」

主人は穏やかに微笑んだが、どこか影があるようにも見えた。吉村は少し違和感を覚えたが、疲れていたので深く考えず、そのまま眠りについた。

翌朝、目を覚ますと、主人の姿はなく、小屋の中もひどく荒れ果てていた。暖炉の火は消え、床には埃が積もっている。まるで何十年も人が住んでいないかのようだった。

「どういうことだ……?」

吉村は慌てて外に出た。すると小屋の周囲には無数の足跡があった。それはまるで、何かが小屋を中心にぐるぐると取り囲んだように見えた。

さらに奇妙なことに、夜に見た明かりがどこからともなく再び点滅しているのが遠くに見えた。それは昨夜の小屋の場所とは明らかに違っていた。

恐怖を感じた吉村は、来た道を必死に下山した。幸い、昼過ぎには無事に山を降りることができたが、振り返ると、あの小屋のあった場所には何もなかった。

町に戻った吉村は山の噂を地元の人に尋ねた。すると、老人がぽつりと言った。
「あの小屋を見たのか……。昔、あそこで助けられた人たちが何人もいるそうだ。でも、不思議なことに、その中には山から戻れなかった人もいるらしい。」

吉村はそれ以上聞くことができず、足早にその場を立ち去った。

今でも山に行くと、あの霧と明かりを思い出すことがある。そして心の中でこう呟くのだ。

「もう二度と、あの小屋には近づかない。」

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