【短編小説⑩】 青い家
山間の小さな村に、古い木造の青い家があった。
家はずいぶん前から空き家で、住む者は誰もいない。にもかかわらず、村人はその家に近づこうとしない。子どもたちは「青い家には何かがいる」とささやき合い、大人たちは何も語らないが、夜になると家のほうを見ないようにしている。
そんなある日、都会から男がやってきた。名前は高野といい、村の静けさに魅了され、青い家に住むことを決めたのだ。村人たちは止めようとしたが、高野は「迷信だろう」と笑って取り合わない。
高野が住み始めた最初の数日は、何事もなかった。村の清らかな空気に癒やされ、彼は幸せだった。しかし、3日目の夜、彼は妙な気配を感じた。風のない静かな夜、どこからか足音が聞こえるのだ。
「誰だ?」
高野は部屋の外に向かって叫んだが、返事はない。足音は家の中を徘徊するように続き、そのたびに床が軋む。
翌朝、高野は村人に尋ねた。
「あの家、何かおかしいぞ。夜になると足音がするんだ。」
村人たちは顔を曇らせたが、結局は首を横に振るだけだった。
「なら、自分で調べるさ。」
高野はその夜、懐中電灯を片手に家の中を隅々まで探索した。すると、物置部屋の奥に、小さな木製の扉を見つけた。
「こんなところに隠し扉が?」
興味本位で扉を開けると、急な階段が下へと続いている。地下室のようだ。湿った土のにおいが鼻を突く。
階段を降りていくと、薄暗い空間にたどり着いた。そこには奇妙な像が一体立っていた。像は人間のようで、人間ではない。異質な存在感を放っている。巨大な目と細長い手足を持ち、不気味な笑みを浮かんだ表情のよう、、、
その瞬間、部屋全体が震え出した。像の顔が徐々に動き出し、裂けたような口からかすれた声が響く。
「ずっと……待っていた……」
像が語り始めると、赤い目を持つ影たちが高野を囲むように近づいてきた。その目の一つ一つには、人間らしい感情が宿っているように見えたが、何か異質な怨念が漂っていた。
「おまえ……人間だな……?」
像が問いかける。
「そ、そうだ! お前たちはなんだ? この家はなんなんだ?」
高野は恐怖を押し殺しながら叫んだ。
「ここは……捨てられた命の……吹きだまりだ……」
像が語り始めた。
この家は、かつて疫病で多くの人々が亡くなった村に建てられたものだったという。村の人々は疫病にかかった者をこの場所に隔離し、助けることもせず、見捨てたのだ。閉じ込められた人々はやがて命を落とし、その無念と怨念がこの家そのものに染みついたのだという。
「人々は忘れるが……私たちは忘れない……」
赤い目の影たちは、この家に入る人間を取り込み、怨念を増幅させていく存在だった。像はその中心となる「核」であり、無数の命の絶望と憎しみを吸い上げている。
高野は像に近づき、懐中電灯を像に向けて叫んだ。
「ふざけるな!お前たちが人を襲い続ける理由なんてどこにもない!」
すると像が不気味に笑った。
「理由? お前たち人間が私たちを創ったのだ。私たちはただ……ここに居続けるだけ……」
高野はとっさに持っていたライターを取り出し、像に火を放とうとした。しかし、火は一瞬でかき消された。影たちが一斉に襲いかかり、高野は闇の中へと引きずり込まれていった。
数日後、村人たちは高野がいなくなった青い家を遠くから見上げた。誰も彼の行方を確かめようとはしない。ただ一人、村の老人が静かに語った。
「あの家は……村の罪そのものだよ……。あれを消し去るには、我々自身がその過去に向き合うしかない……だが誰も、それができんのだ……」
青い家は今日も静かに立ち続けている。誰も近づこうとしない家の中から、ときおりかすかな呻き声が聞こえてくる。それは高野のものか、あるいは、それ以前に飲み込まれた誰かなのか──誰にも分からない、、、。