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百次のサムライ-薩摩平氏と石塔7-  薩摩六郎忠直一族の墓とされる宝塔

はじめに
ここでは鹿児島県の薩摩半島に点在する薩摩平氏(伊作平氏)ゆかりの石塔をめぐり、戦国乱世を駆け抜けた兵どもの夢のあとをお伝えします。

平安時代末期、桓武平氏の流れを汲むといわれる平良道(たいらのよしみち)が薩摩国伊作郡(鹿児島県日置市吹上町付近)に郡司として下向し、伊作姓(いざくせい)を名のり伊作平氏と呼ばれました。やがて薩摩半島各地に拡がった良道の子孫たちは薩摩平氏と呼ばれました。


薩摩六郎忠直一族の墓とされる宝塔


薩摩川内市平佐町草原(くさばる)に薩摩六郎忠直(さつまろくろうただなお)一族の墓とされる宝塔(鎌倉時代~室町時代)があります。

薩摩忠直は薩摩平氏一族で、平良道の三男頴娃忠永の六男です。ですから薩摩六郎忠直ともいいます。この宝塔は忠直の一族の墓と推定されています。この場所から西へ530mのところに忠直夫婦の宝塔があります。

一番右の宝塔の笠石には、建仁二年(1202年)道念と刻まれています。これは、銘の刻まれた宝塔では我が国最古のものといわれる茨城県桜川市の祥光寺の宝塔「建仁二年九月吉日/孝子九人」の銘文と同じ年となります。ということは、この草原の宝塔も銘の刻まれた宝塔では我が国最古級のもとということになります。


 全景 薩摩六郎忠直一族の墓とされる宝塔(鎌倉時代~室町時代中期)
右から1番目・2番目の宝塔 傘石裏には垂木、基礎には格狭間(こうざま)がみられる
右から1番目の宝塔 塔身の四面には梵字。笠石には建仁二年(1202年)道念と刻まれる。
銘の刻まれた宝塔では我が国最古の旧常陸国真壁郡雨引村の祥光寺のものと同年。
右から1番目の宝塔 露盤に薩摩氏の文様 相輪は欠損
右から2番目の宝塔 塔身に観音菩薩?が彫られています。(室町時代)
右から2番目の宝塔 露盤・請花・九倫(宝珠は欠損) 
右から2番目の宝塔 塔身に納骨孔があり正面に観音菩薩? 
右から3番目の五輪塔 地輪に納骨孔あり
右から4番目の五輪塔
右から4番目の五輪塔 背面に梵字 
反対側には入来院氏のものとみられる五輪塔・宝篋印塔がみられる(室町中期-戦国期)
同宝塔の参考図 出典:川内市史 石塔編

【参考文献】
川内市史上巻
川内市史 石塔編

民家の敷地内にあります。見学する際はマナーを守りましょう。
ほかの薩摩平氏の石塔についても随時アップする予定です。



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