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百次のサムライ-薩摩平氏と石塔7-  薩摩六郎忠直一族の墓とされる宝塔

はじめに ここでは鹿児島県の薩摩半島に点在する薩摩平氏(伊作平氏)ゆかりの石塔をめぐり、戦国乱世を駆け抜けた兵どもの夢のあとをお伝えします。 平安時代末期、桓武平氏の流れを汲むといわれる平良道(たいらのよしみち)が薩摩国伊作郡(鹿児島県日置市吹上町付近)に郡司として下向し、伊作姓(いざくせい)を名のり伊作平氏と呼ばれました。やがて薩摩半島各地に拡がった良道の子孫たちは薩摩平氏と呼ばれました。 薩摩六郎忠直一族の墓とされる宝塔 薩摩川内市平佐町草原(くさばる)に薩摩六郎忠

    • 百次のサムライ-薩摩平氏と石塔6-  薩摩忠友の墓とされる宝塔

      はじめに ここでは鹿児島県の薩摩半島に点在する薩摩平氏(伊作平氏)ゆかりの石塔をめぐり、戦国乱世を駆け抜けた兵どもの夢のあとをお伝えします。 平安時代末期、桓武平氏の流れを汲むといわれる平良道(たいらのよしみち)が薩摩国伊作郡(鹿児島県日置市吹上町付近)に郡司として下向し、伊作姓を名のり伊作平氏と呼ばれました。やがて薩摩半島各地に拡がった良道の子孫たちは薩摩平氏と呼ばれました。 薩摩忠友の墓とされる宝塔 薩摩川内市平佐町権現原(殿の原)に薩摩忠友(さつまただとも)の墓と

      • 百次のサムライ-薩摩平氏と石塔5-  観現山平礼石寺金剛院跡 

        はじめに ここでは鹿児島県の薩摩半島に点在する薩摩平氏(伊作平氏)ゆかりの石塔などをめぐり、戦国乱世を駆け抜けた兵どもの夢のあとをお伝えします。 平安時代末期、桓武平氏の流れを汲むといわれる平良道(たいらのよしみち)が薩摩国伊作郡(鹿児島県日置市吹上町付近)に郡司として下向し、伊作姓を名のり伊作平氏と呼ばれました。やがて薩摩半島各地に拡がった良道の子孫たちは薩摩平氏と呼ばれました。 観現山平礼石寺金剛院跡(かんげんさんひられいしじこんごういんあと) 鹿児島県薩摩川内市中福

        • 百次のサムライ-薩摩平氏と石塔4-  串木野忠道の墓とされる宝塔

          はじめに ここでは鹿児島県の薩摩半島に点在する薩摩平氏(伊作平氏)ゆかりの石塔をめぐり、戦国乱世を駆け抜けた兵どもの夢のあとをお伝えします。 平安時代末期、桓武平氏の流れを汲むといわれる平良道(たいらのよしみち)が薩摩国伊作郡(鹿児島県日置市吹上町付近)に郡司として下向し、伊作姓を名のり伊作平氏と呼ばれました。やがて薩摩半島各地に拡がった良道の子孫たちは薩摩平氏と呼ばれました。 串木野忠道の墓とされる宝塔 薩摩川内市百次町徳永原に串木野忠道(くしきのただみち)の墓とされ

        百次のサムライ-薩摩平氏と石塔7-  薩摩六郎忠直一族の墓とされる宝塔

        • 百次のサムライ-薩摩平氏と石塔6-  薩摩忠友の墓とされる宝塔

        • 百次のサムライ-薩摩平氏と石塔5-  観現山平礼石寺金剛院跡 

        • 百次のサムライ-薩摩平氏と石塔4-  串木野忠道の墓とされる宝塔

          百次のサムライ-薩摩平氏と石塔3-  森殿原の宝塔(薩摩忠直夫妻の宝塔)

          はじめに ここでは鹿児島県の薩摩半島に点在する薩摩平氏(伊作平氏)ゆかりの石塔をめぐり、戦国乱世を駆け抜けた兵どもの夢のあとをお伝えします。 平安時代末期、桓武平氏の流れを汲むといわれる平良道(たいらのよしみち)が薩摩国伊作郡(鹿児島県日置市吹上町付近)に郡司として下向し、伊作姓を名のり伊作平氏と呼ばれました。やがて薩摩半島各地に拡がった良道の子孫たちは薩摩平氏と呼ばれました。 森殿原(もりどんばる)の宝塔 薩摩川内市宮崎町赤沢津に薩摩忠直夫妻の墓とされる宝塔(鎌倉時代

          百次のサムライ-薩摩平氏と石塔3-  森殿原の宝塔(薩摩忠直夫妻の宝塔)

          百次のサムライ-薩摩平氏と石塔2-  頴娃忠永夫婦の墓とされる層塔 

          はじめに ここでは鹿児島県の薩摩半島に点在する薩摩平氏(伊作平氏)ゆかりの石塔をめぐり、戦国乱世を駆け抜けた兵どもの夢のあとをお伝えします。 平安時代末期、桓武平氏の流れを汲むといわれる平良道(たいらのよしみち)が薩摩国伊作郡(鹿児島県日置市吹上町付近)に郡司として下向し、伊作姓を名のり伊作平氏と呼ばれました。やがて薩摩半島各地に拡がった良道の子孫たちは薩摩平氏と呼ばれました。 頴娃忠永夫婦の墓とされる層塔 頴娃忠永(えいただなが)は薩摩平氏一族で、平良道の三男です。ま

          百次のサムライ-薩摩平氏と石塔2-  頴娃忠永夫婦の墓とされる層塔 

          百次のサムライ -薩摩平氏と城跡1-

          はじめに ここでは鹿児島県の薩摩半島に点在する薩摩平氏(伊作平氏)ゆかりの城跡をめぐります。ここでは主に現在の薩摩川内市周辺で栄えた一族について紹介しています。追々、南薩摩の方にも足を延ばしたいと思います。 平安時代末期、桓武平氏の流れを汲むといわれる平良道(たいらのよしみち)が薩摩国伊作郡(鹿児島県日置市吹上町付近)に郡司として下向し、伊作姓を名のり伊作平氏と呼ばれました。やがて薩摩半島各地に拡がった良道の子孫たちは薩摩平氏と呼ばれました。 1.上野氏と上野城 上野

          百次のサムライ -薩摩平氏と城跡1-

          百次のサムライ-薩摩平氏と石塔1-  上野氏関係石塔群 

          はじめに ここでは鹿児島県の薩摩半島に点在する薩摩平氏(伊作平氏)ゆかりの石塔をめぐり、戦国乱世を駆け抜けた兵どもの夢のあとをお伝えします。 平安時代末期、桓武平氏の流れを汲むといわれる平良道(たいらのよしみち)が薩摩国伊作郡(鹿児島県日置市吹上町付近)に郡司として下向し、伊作姓を名のり伊作平氏と呼ばれました。やがて薩摩半島各地に拡がった良道の子孫たちは薩摩平氏と呼ばれました。 上野氏関係石塔群 上野氏は薩摩平氏一族で、平良道の三男頴娃忠永(えいただなが)の六男薩摩忠

          百次のサムライ-薩摩平氏と石塔1-  上野氏関係石塔群