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百次のサムライ10 -薩摩平氏と石塔- 成枝氏関係の墓とされる石塔(松尾神社境内)

はじめに
ここでは鹿児島県の薩摩半島に点在する薩摩平氏(伊作平氏)ゆかりの石塔をめぐり、戦国乱世を駆け抜けた兵どもの夢のあとをお伝えします。

平安時代末期、桓武平氏の流れを汲むといわれる平良道(たいらのよしみち)が薩摩国伊作郡(鹿児島県日置市吹上町付近)に郡司として下向し、伊作姓を名のり伊作平氏と呼ばれました。やがて薩摩半島各地に拡がった良道の子孫たちは薩摩平氏と呼ばれました。


成枝氏関係の墓とされる石塔(松尾神社境内)


薩摩川内市と串木野市荒川を結ぶ県道313号線(荒川川内線)沿いの薩摩川内市青山町に松尾神社があります。この神社は、京都最古の神社である松尾大社の分霊を勧請し、一般には寿福・酒徳の神として信仰されています。社殿横に並べられた石塔は成枝氏関係の石塔とされています。

松尾神社

松尾神社の史跡看板に『この地方は鎌倉時代から薩摩氏(成枝氏)の所領成枝名(なりえだみょう)のあったことから「成枝の郷」と呼ばれた。』とあります。

成枝氏は薩摩平氏一族で、平良道の孫薩摩忠直を祖とします。忠直観現山平礼石寺金剛院(かんげんざんひられいしじこんごういん)や薩摩郡司所のあった現在の薩摩川内市中福良町成岡(成枝名内の成岡)に居住していたようです。

忠友は、1183年に成枝名を治めると成枝薩摩太郎忠友と成枝姓を名乗って,その子孫は成枝を名のって成枝名の中枢を伝領しました。薩摩氏の嫡流は、忠友(成枝名主職)-忠茂(薩摩郡本地頭)-忠国(薩摩郡本地頭,成枝知行)-忠能(薩摩郡一部郡司,成枝知行)-忠任-忠武と続きます。

成枝名の田畑は現在の永利町・隈之城町・中福良町・宮崎町・尾白江町・羽島・荒川・串木野あたりにまでの広大な範囲に分布していたようです。

松尾神社 鳥居
松尾神社 社殿
松尾神社 社殿
松尾神社 社殿
成枝氏関係の墓とされる石塔
成枝氏関係の墓とされる石塔
成枝氏関係の墓とされる石塔
松尾神社の由来
狛犬
狛犬
狛犬
松尾神社の周辺は水田地帯

【参考文献】
川内市史 石塔編(1974)川内郷土史編さん委員会
川内市史上巻(1976)川内郷土史編さん委員会
角川地名大辞典 成枝名(中世)



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