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【耕すという感覚】
今年は、自分を探ることを始めてみることにした。
47歳、来年年男48歳を前に2024年後半この半年は、まるで新人の如く、疾走した。いや、今もなおしている。それも自分なんだとふと気づく。
改めて、今までの溜め込んだ知恵と工夫で乗り切った感がある。乗り切れたかは別にして。
そして、それと同時に
自分自身の説明に色々と迷走する日々である。
改めてこの機会に自分というものが
どういうものなのかを見つめなおしていこうと思う。
そんな私は、
とにかくやってみる
を強く意識している。
小さく、早く、本番環境に実装することを意識している。
結果は後からついてくるだろう。
やってみないと結果は見えない。
小さく形にしていち早く検証したい。
早くやらないとだいたいやらなくなる。
などいくつかの理由はあるけど、
僕はやはり身体で感じら事でしか実感を得にくいんだろうと思う。
それはやはり絵を描く行為に近い。
絵の具を塗って、そこから始まる。
色が次の色を呼ぶみたいな感覚。
そんな感じで物事を取り組んでいるように思う。
そして、もう一つ、
耕す行為に似ているかもしれないなぁと。田畑に何かを植える前に場を耕す行為。土を返し、硬い土地をほぐし、柔らかくする。物事が始まる時、やはりだいたい気持ちが昂り、気合いが入っている。でも、その気持ちも硬い大地では育たない。
耕す行為自体は結果をうむための種にすぎないが、その行為がないと良い結果が生み出せないとも考えている。
僕にとってやってみる。
は、
実験的に取り組んだ結果、
土がほぐれ、
人々のやりたいことをを植え付けやすくする準備運動なのかもしれない。
とはいえ、こんな事1人ではできないので、たくさんの人に助けてもらいながら、共に土を耕し、そこに人々の気持ちという栄養を共に与え、やわやわなほぐれた大地を作り、それが未来を作ると信じている。
という事で、耕す。
が自分の構成する要素の一つであるに違いない。こんな感じで自分を探る2025年にしていこうと思う。
よろしくお願いします。