アフリカ生まれ、鈴木民民の冒険【第十話】

【第十話】
 十時過ぎに就寝となり、リビングのソファで横になったが眠れるはずもなく、夜中になっても目は冴えていた。
 こうなったら寝ずに朝を待とう、と決意し、僕は布団の中でスマホをいじり始めた。
 キッチンから常備灯の薄暗い灯りが漏れているので、リビングはうっすらと明るかった。
 部屋には古賀さんのいびきだけが響いていた。
 と、フクモトさんとビリーが小声で話す声が聞こえ、僕は慌ててスマホの画面を消した。
「あの鈴木って人、大丈夫かしら。いかにも精神に問題を抱えていそうな雰囲気だけど……」とフクモトさんが声をひそめて言った。
「砂漠の真ん中で暴れられたらかなわんぞ」ビリーが冷淡な調子で言う。
「だいたい、古賀さんも気まぐれよね。こっちは三人分の装備を用意して待っていたのに」
「ま、俺たちの分け前が減るわけでもないしな。とりあえず連れて行って、何かあったら古賀に全部面倒見させようぜ」
 僕は小さくため息をつき、一刻も早く朝が訪れることを祈った。
  
 カーテンの隙間から朝の淡い光が部屋に入り込み始めた。
 長い夜をなんとかやり過ごしたようだ。
 時計を見るとちょうど六時だった。
 調べたところ、空港行きのバスは朝七時発の予定だった。
 僕は音を立てぬよう細心の注意を払いながら服を着替え、脱出の支度をした。
 フクモトさんたちは他の部屋で寝ているのか、リビングには古賀さんしかいなかった。古賀さんは背もたれを限界まで倒した安楽イスで、相変わらずいびきをかきながらぐっすり眠っていた。
 僕は古賀さんの寝顔をそっと覗き見て、起きる気配がないことを確かめ、抜き足差し足玄関に向かい靴を履いて外へ出た。
 まだ薄暗い外は風が強く、半そででは肌寒かった。
 家の裏手から数百メートル先はなだらかな砂丘になっていて、その向こう側は恐らく砂漠が広がっているのだろう。
 (こんなところで砂遊びなんぞしてる暇はない。お前らとはこれで永久にお別れだ)
 僕はせいせいした気分で砂に埋もれそうなアスファルトの道を歩き出した。
 家の脇の小屋からは獣臭が漂っていて、売りさばく予定らしいラクダが数頭繋がれているのが戸の隙間から見えた。
 ラクダなどどうでもいいと思い、小屋の横を足早に通り過ぎようとした瞬間、腕を強い力で掴まれ、足がもつれて転びそうになった。
 振り返ると古賀さんの哀願するような顔が目の前にあった。
 またか、と頭に血が上り
「これ以上付きまとったらぶっ飛ばすぞ」と凄んだ。
 古賀さんは怯まず、僕の腕にしがみついたままで
「ダメ、ダメ。君は一人になったら死んじゃう。私には見える、見えるんだ!」と叫んだ。
 言い合っているうちに隙を突かれ、僕はまたしてもあの奇怪なゴーグルを装着させられてしまった。
 まずい、と思う間もなく古賀さんの姿やまばらな家々は一瞬のうちに消え失せ、陸上競技場のレーンが目の前に伸びていた。
 だだ広い楕円形のトラックに沿うように観客用の席が設えられていたが、観客は一人もいなかった。
 足を踏み出すと、靴の裏から硬い弾力のあるトラックの感触が伝わってきた。
 僕は怒りをぶつける場を失い、「ああー!」と大声で叫び、トラックの面を思い切り踵で蹴飛ばした。
 昨日の草原へのトリップとは異なり、一向に平穏な感情は湧いてこなかった。
 現実世界に戻ろうと思い切り叫んだり、体をめちゃくちゃに動かしたりしたが、まるで効果がなかった。
 トラックの周囲には高い壁が巡らされていてドアもなかったから、競技場の外に出るのは不可能だった。
 脱出するにはきっと昨日と同じように眠るしかないのだろうと考え、トラック中央のフィールドの芝生に仰向けになってみた。
 目を瞑って三十分程眠ろうと努力したのだが、気持ちが昂っていて却って頭が覚醒してしまった。
 目を瞑りながら、僕のリアルの体はどうなっているのだろうと不安がよぎった。自分の意志で体をコントロールできないのは不気味でしかなかった。
「参ったな……」
 薄い三日月が浮かぶ青空の下で、途方に暮れるよりなかった。
  
 時間が経つにつれ怒りの感情は消えてしまい、僕の脳みそは代り映えしない競技場の光景に退屈し始めた。
 それにしても――。
 僕は手のひらを顔の前に広げ、しげしげと見つめた。
 手の大きさ、指の形、しわの模様。
 目を近寄せて観察してみてもリアルな僕の手そのものだった。
 試しにフィールドの芝生を触ってみる。
 陽に晒されていた芝は温もりを帯びていて、やはり現実世界のそれと変わらない感触だった。 
 アナログ人間の僕は、世の中にはこんな技術があったのか、と状況を度外視して感心してしまった。
「本当に、VRって感じじゃないんだよ。景色がリアルで風や気温も感じるし、草や地面の手触りも本物そっくりなんだ。自分の体だって本物としか思えないくらい精巧にできててさ。今度一緒に探検してみようよ」 
 こんな不思議な体験を真っ先に報告したい人がふと思い浮かんでしまい、ズシンと重い一撃を食らった。
 僕は、キワナを失ったのだ。
 彼女にとってはポールさんが本命で、僕など眼中にない。
 頭から追い払っていた残酷な現実が、再び僕の前に立ちはだかった。
 僕を見つめるキワナの目。あの芯から幸せそうな笑顔は、一体何だったんだろう?  
 幸せだった頃の数々の思い出が、刃物のように尖って僕を殺しに来た。
 濃い絶望感に襲われ呼吸が浅くなり、胸を掻きむしって芝生の上をのたうち回った。口に土が入り込んだがどうでもよかった。
 そのまま小一時間、身悶えしながら張り裂けるような苦しみを耐え忍んだ。こみ上げてくる痛みをねじ伏せるのに多大なエネルギーを消耗し、僕はクタクタに疲れ果ててしまった。
 ぐったりとした体をよじって仰向けになり、ふうっと大きく息を吐く。
 晴れ渡った青い空に太陽が燦々と輝いていた。暖かい陽の光を浴びるといくらか気分が楽になったので、しばらくの間寝転んでいた。
 小一時間も経った頃、遥か後方で物音が聞こえた気がしたので、上半身を起こし顔を向けてみると、トラックのレーンを歩く二頭のラクダが目に入った。
 先頭のラクダに古賀さんが乗っていた。
 僕はやっと脱出できるぞ、と救われた思いになり、パッと立ち上がり古賀さんめがけて走っていった。
  
「遅くなって悪かったね。迷ってしまって」古賀さんがラクダに乗ったまま悠長に言った。
「ここは仮想空間でしょう? 迷うとかあるんですか?」
 僕は古賀さんを、救世主のような、人さらいのような、交錯した感情で眺めた。
「ゴーグルの操作を間違えて、江戸時代にトリップしちゃったんだよ。岡っ引きに追われて逃げ回っていたら遅くなってしまった」
「そりゃどんくさいですね」
 思ったことをそのまま言うと、古賀さんはいかにもおかしそうに大笑いした。
「さ、ラクダの練習をしようか」と言われ、ふいにビリーの排他的態度が脳裏をよぎった。
「僕、やっぱり空港に戻ります……」
「悪いけど、それはできない。実はもう出発しちゃったんだよ。君の体は、僕らと一緒に砂漠を移動中」
「……」
「強引で悪いね。ここで出会ったのも何かの縁だ。旅をして気分転換しちゃおうよ」
   
 ラクダの背中のこぶをなでると優しげな目を僕に向け、鼻を鳴らした。
 ラクダの全身はごわごわとした硬めの毛で覆われていて、体の温もりに触れるとじんわりと癒やされる感じがした。背の高さは二メートル程で、こぶは一つしかなかったから、ヒトコブラクダという種なのだろうと思った。
 古賀さんに言われるまま赤い鞍にまたがり、指示通りに手綱を引っ張ると、一鳴きして後ろ足から立ち上がった。てっきり前からだと思っていたから、むち打ちのようになり首回りが痛くなった。
「あ、忘れてた。ラクダは後ろ足から立ち上がるんだよ」
「早く言ってよ!」
 立ち上がって静止すると、随分と地面が遠く感じた。やや長めの首の毛が、ふさふさしていてかわいらしい。
 古賀さんが右折や左折、止まる際の手綱の操作の仕方をレクチャーしてくれた。
 指示通りに手綱を動かすと案外簡単に思い通り動いてくれた。レーンの上を、ラクダにゆさゆさ揺られながら歩くのは、悪くない気分だった。
 僕が乗っているのが素直な性格なラクダなのか、あまりに思い通りに動いてくれるので、しばしレーンを行ったり来たりして楽しんだ。 
「よーし。もうばっちりだね」と古賀さんが僕を先導しながら明るく言った。
 そして、口笛で僕の知らない懐メロを吹き始めた。メロディーがサビに差し掛かると突然、視界がよじれ、目の前にまっすぐ伸びていたレーンがねじ曲がってしまった。遥か前方で観客席と空の色が混ざり始めた。古賀さんとラクダの体もモザイクがかかったように不鮮明になっていく。
 手綱をぎゅっと握り身構えると、視界全体の色彩がバラバラと音もなく崩れ落ち、真っ暗闇に放り出された。
 そのまま数十秒間、無重力状態だったから危うく吐きそうになった。 
 しばらくの間真っ暗闇の中に浮かんでいると、遥か遠くに微かな光が灯った。
 光は徐々に明るさを増しながら近づいてくる。
 あの光が現実世界への入口なのだろう。
 いよいよ帰還だと思うと身が引き締まる思いだった。
 ビリーが一緒なのは憂鬱でしかないが、気合とノリで何とかするしかない。
 (生きることは戦うこと)
 そう自らに言い聞かせ気持ちを奮い立たせた。
 と、光が一気に広がり、あまりの眩しさに僕は目を閉じた。
 そのまま強く目を閉じてじっとしていると、眩しさが弱まりふっと頬に風を感じた。熱を帯びた風だった。
 ゆっくり目を開けてみると、景色は一面の砂漠に変貌していた。
 見渡す限り、地平線まで砂の地表が広がっていて「砂の海」という表現がぴったりの光景だった。
 僕の体はVRの世界にいた時と同じようにラクダに乗っていた。現実世界は熱気に包まれていて、体感温度は三十度近い感じがした。
 前にはやはり古賀さんの背中があって、古賀さんの前にビリー、先頭にフクモトさんという順に並んで隊列を作っていた。
 ビリーが何か冗談を言い、フクモトさんが笑顔で振り返って言葉を交わしている。
 頭に手をやると、皆と同じようにターバンが巻かれていて、服も僕の持ち物ではないゆったりとした白の長袖を着ていた。
 後ろを振り返ってもメルズーガの街は見えなかったから、出発してから相当な時間が経っていることが推測できた。
「古賀さん」
 声をかけると、青のターバンを巻いた頭が振り返り
「目覚めたかい。おはよう」とニヤッとした。
「とうとう出発しちゃったんですね」
「大丈夫、大丈夫。何週間もかかるわけじゃないし、水も食料もたっぷりある。あの二人も根はいい連中だからさ」
「嫌いな奴の根に関心ないんですけどね。特に男の方とか」
「……」
「あと、ぶり返すようですが、これって普通に誘拐じゃないですか? 訴えたら絶対僕が勝ちますよ」
 古賀さんは参ったなという風に頭に手をやった。
「ラクダのお金は私の分を全部君に渡す。その他に宿泊費も往復分の飛行機代も私が出す。これで勘弁してくれないかな。絶対にこの旅は君にとって財産になる。それだけは保証するから」古賀さんは心底申し訳なさそうに言った。
 哀願するような様子さえあったから、出発してしまったのだから仕方ない、と自分を無理やり納得させた。
 砂と空ばかりの代り映えしない景色が延々と続き退屈してきたので、僕は乗っているラクダに「こぶ太郎」と名前を付けてみた。
 何度か、こぶ太郎、と呼ぶとすぐ僕の方を振り返るようになり、物覚えの良さに感心しきりだった。
 こぶ太郎に時たま話しかけたりしながら過ごしていると、地平線の近くにゆらゆらと揺れる大きな水溜まりが見えることに気が付いた。
 砂丘が水面に逆さまに映し出されていて、これが蜃気楼というやつだろうとピンときた。 
 観察してみると、揺らぐ水辺に背丈の低い植物のようなものが生い茂っているようにも見えた。
 ところが、さらに近づくと、蜃気楼だと思っていた水溜まりは、驚いたことに本物のオアシスらしいと気が付いた。暑さで頭がおかしくなったかと思い、何度も確認してみたが、やはり本物だった。砂漠の一本調子な風景に慣れてしまった目には、青々とした水を湛えた池や、その周りに生い茂る植物の緑が新鮮に感じられた。
 オアシスに釘付けになっていると、先客が一人いることに気が付いた。
 白いターバンを巻き真っ白で豊かなひげを蓄えた、老人といってもいい年頃の男だった。池のほとりにくたびれたラクダと一緒に座り込み、所在なさげにタバコを吸っている。
 先頭のフクモトさんが大きく手を振ると、男もゆったりと手を振り返した。
 オアシスに到着すると、フクモトさんの指示で僕たちはラクダを水辺に座らせた。
 フクモトさんが男に駆け寄り挨拶を交わす。二人ともニコニコと楽しそうだったから、親密な仲であることが窺えた。
 水辺に密生している植物の正体はサボテンだった。大きさは様々で、足首くらいの小さいものから腰の高さ程のものもあり、鋭いトゲで覆われていた。
 楕円形の池は青く澄んでいて、まったくと言っていい程濁りがなかったから水底の砂粒まで見通せた。
 フクモトさんとビリーが男のそばに座り談笑し始めたので、僕と古賀さんも近くにしゃがみ込んだ。
「カリムは、相変わらずオアシスを渡り歩いてるのか?」とビリーが訊くと、男はこくりと頷いた。 
「街には?」
「いや、滅多に」
 カリムさんの声は、物静かな落ち着いたトーンだった。
 フクモトさんが
「ほとんど砂漠に出っぱなしで、国境を越えて隣国に行ったりしてるみたいよ」とフォローする。
「国境を超えるだって? 撃たれないのか?」ビリーが驚いて尋ねる。
「警備の緩いポイントを知ってるから、問題ないね」
「それってアメリカからメキシコに無断で渡るようなもんだぜ。アメリカではそういう奴は暴力的に捕まるんだ」
「ここらの警備隊はナマケモノみたいに怠惰なんだよ」
 カリムさんが言うと、ビリーは愉快そうに笑った。
 僕はなぜかカリムさんに興味を覚え、会話に聞き耳を立てた。
「誰かと一緒にいるところを見たことがないが、友だちはいるのか?」とビリーが問うと
「あちこちにいる。一人の時間が長いだけさ」とカリムさんが悠然と答えた。
「金はどうしてる?」
「観光客をたまにラクダに乗せたりしてるよ。でも、オアシスが家代わりだから、それ程カネは必要ないんだ」
「この前は一緒に中国人の家族連れを案内したのよ。カリムさんが少し中国語を話せるから、手伝ってもらっちゃった」
「一族の長老が知らない漢字を教えてくれて、楽しかったよ」
 カリムさんはニコニコとそう言い、思いついたように木の枝で地面に何かを描き始めた。
 ややいびつな「雨」という漢字だった。
「これは雨という意味の字だよ。字の内側の四つの点が雨の雫を、外側の枠が雲を表しているんだ」
 フクモトさんが感心したように
「なるほどね」と言った。
 ビリーも
「へえー面白いな」と関心を持ったようだった。
 二人のリアクションに気を良くしたカリムさんは「雨」を消して新たに字を書いた。
「忙」だった。
 カリムさんは字を「心」と「亡」の二つに書き分けた。
「これは忙しいという字だ。この字は『心』と『亡』の二つのパーツに分けられる。つまり、忙しい時は心を亡くしているという意味なんだ」
 寡黙そうなカリムさんだったが、よほど好きなのか、漢字について語るときは饒舌で声にも張りがあった。
 しばし漢字講座は続き、「船」は大きな容器が語源とされるが、舟に口が八つ乗っている形からノアの箱舟が由来だと強硬に主張する学者もいるとか、「若」は若い巫女が両手をあげて舞い、神に祈ってお告げを受けようとしてうっとりしているさまから来ているとか、実に楽しそうに説明してくれた。
 そして、今度は「民」の字を書いた。
「これはね、シチズンとかピーポーの意味なんだけど、語源が恐ろしくってね……」と腕を組んだ。
「この字は、目を針で突き刺された奴隷が由来なんだ。ほら、上の細い長方形に、斜め下から針が刺さってるだろう?」と木の枝で「民」の字を指し示した。
 ビリーはショックを受けた様子で
「そんな字は使わない方がいいんじゃね?」と率直な感想を言った。
 黙って聞きながら僕も密かにショックだった。その説が事実だとすると、僕の名前「民民」は「奴隷奴隷」になってしまう。
 (ただでさえ風変わりな名前なのに、漢字の由来までこうだとは……。いや、待てよ。そもそも由来ってそんなに大事なものか?)
 サッカーの起源は、ギロチンで処刑された敵の将軍の首を観衆が蹴って遊んだのが始まりだとする説がある。
 もしそれが真実だとしてもサッカーの素晴らしさには何の関わりもないし、現代のサッカー選手やファンの情熱がどう損なわれる訳でもない。
 それと同じことだ、と自分に必死に言い聞かせた。
「一家の長老が別れ際に詩を書いてくれたんだ。でも、私にはまだちょっと難しい。フクモト、写真を見せてくれるかな」
 フクモトさんがスマホを手渡すと、カリムさんは目を細めて画面を見つめた。
「これ、これ。ところどころは分かるんだけれど。古賀さん、悪いが訳してみてもらえないかな?」
 指名された古賀さんは身を乗り出してスマホを覗いた。
 僕も覗き込むと、陽が落ちかけている砂の上に、流麗な字で漢詩が刻まれていた。
 
 問余何意棲沙場
 笑而不答心自閑
 桃花流水宵然去
 別有天地非人間
  
「これは李白の山中問答という詩ですな。唐の時代の著名な詩人の作ですよ。 
 誰かが、どうして不便な砂漠に住むのですかと問うたが、私は笑って答えない。心はおのずから静かなのだ。桃の花びらが遥か悠遠なところへ流れていく。ここには俗世間とは異なる天地があるのだ。
 という意味です。原作では砂漠ではなく碧山、つまり、緑深い山になってます。少し言葉を変えて、砂漠とオアシスを渡り暮らすカリムさんにエールを送ってくれたんでしょうな」
 古賀さんの説明を聞き、カリムさんはいたく感動して言葉もない様子だったが、やがて静かに口を開いた。
「この詩は……私の人生観そのものだよ。人は私が家も持たずにオアシスを渡り歩くことを奇妙だと思っている。砂漠なんてただの巨大な砂場だと言う人もいる。でも、私にとっては砂漠にいる自分こそが本当の自分なんだ。砂漠の厳しさがあるからこそ、オアシスに辿り着いた時、水や緑がどれ程ありがたいものか骨身にしみて理解できる。……私は長いこと自分の生き方に確信が持てなかった。でも、あの長老は詩を通して私の人生観に寄り添ってくれたんだ」
 言い終えたカリムさんの目は、涙ぐんでいるようにさえ見えた。
 僕はカリムさんの話を聞きながら、浮世離れの王様のような人だと感じていた。
 ともすれば、世捨て人と呼ばれてしまいそうなカリムさんは、それでも不可思議な魅力を放っていた。
 少なくとも、僕が失恋の痛みを忘れて話に聞き入ってしまうくらいには。
 別れ際、カリムさんは僕の雰囲気から何かを察したのか「明けない夜などないさ」と肩を叩いて励ましてくれた。
 そして、ラクダに乗って歩き始めた僕たちを、手を振り見送ってくれた。
 西日に照らされたカリムさんの影が、砂の上に長く伸びていた。

【第十話 終わり】

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