恋愛相談は釈迦如来像さまへ。※第20回深大寺恋物語の落選作品ですぅーー!!
困り果てた僕は釈迦如来像さまに相談することにした。
五反田さんが、チャラくて圧が強そうな黒っぽい野郎と街中で手をつなぎながら歩いているところを目撃してしまったのだ。
高校の入学式の帰り際、同じクラスになった五反田さんに「これにてドロンしまーす」とあいさつしたのが僕たちの交流のきっかけだった。それ以降、「冗談はよし子ちゃん」「よっこいしょういち」「合点承知の助」などとあいさつ代わりに気さくに言い合う仲になっていった。
そんなある日の放課後、ショッピングモールのベンチでぼーっとしている五反田さんを偶然見つけ、「余裕のよっちゃん?」とおずおずと話しかけてみると、僕を見上げて「モチのロンでーす」とパッと笑顔になった。
僕も隣に座り、行き交う人を眺めながら他愛もない話をしているうちに、互いの趣味がAIアプリによる画像生成であることが分かった。
すっかり意気投合した僕たちはその場でラインを交換し、毎日のように生成したおもしろ画像を送り合った。
五反田さんについての事柄が断片的に集まってくるにつれ、僕の思いは揺るぎないものへと変わっていった。
彼女のことが好きだ、と。
恋をしていた。
嶋田家の入り口付近に僕と同じぐらいの背丈の釈迦如来像さまが佇んでいた。
「こんにちは」
恐る恐る話しかけるとゆったりとこちらを振り返り、柔和な笑みを浮かべてくれた。
「もっと小さいサイズの仏像様だとネットで拝見しましたが……」僕が疑問を呈すると
「大きくないと頼りがいがないかと思って背を伸ばしてみたよ」と笑って答えた。
「今日はすみません。お忙しいのにわざわざ時間を割いてくださって」
「気にしなくていい。いつも同じ場所で同じ姿勢だとくたびれちゃうから。いい気分転換だよ」
「毎日たくさんの人に拝まれてばかりだと気疲れしちゃいそうですよね」仏像のデイリーライフを慮ると
「もう千年以上この仕事をしてるから。すっかり慣れちゃったよ」
「千年……」
「本当に本当に、色んな人間たちがワタシに手を合わせたよ」
如来さまは遠い目をして過ぎ去った幾星霜の歳月に想いを馳せた。
頃合いを見計らって
「入りましょうか」と嶋田家の店内を指さすと僕をぼんやりと見てこくりと頷いた。
僕たちはテーブル席に向かい合って座った。
如来さまはお品書きを器用に手に取り、真剣な表情で考え込む。
結局、僕が並盛のざるそば、如来さまは特盛の天ざるをチョイスした。僕は高校生らしくカネがなかったので思わず「ヒエー」と呟きそうになったが、相手が偉大な仏像なだけに我慢するよりなかった。
しばらくして天ざるが運ばれてくると、盆の上の品をひとつひとつじっくりと、食い入るように観察した。仏像がこんな表情をするのかとハッとさせられる程真剣な顔だった。
「二百年ぶりのそば……」
如来さまをそう呟くなり、両の眼の端からツーっと涙を流した。
僕は生まれて初めて見る仏像の涙に目を瞠った。そして、二百年という歳月の永さを想い、思わずもらい泣きしてしまった。
「どうぞ遠慮なく召し上がってください」涙を拭いながら言うと、如来さまはえび天の頭をつゆに浸し、サクッと軽やかな音を立てて頬張った。目を瞑りながらじっくりと味わい、ぼたぼたと大粒の涙をこぼした。
「そばの方も行っちゃってくださいよ」と促すと、つゆに浸けたそばを粋にズズッと啜り、今度は極楽浄土に昇ったかのような恍惚とした表情で宙を見上げた。
そこからは、仏像らしい重々しさや優美さをかなぐり捨てた早食いで、きれいに平らげてしまった。
「美味だった……」
如来さまは心の底から満足した様子でそう呟くと、両手を腹に乗せ椅子の背にもたれかかった。
手つかずだったざるそばを僕も食べてみた。
ついっと箸の先でそばをつまみ、ワサビを溶いたつゆに半分程絡ませ、一気に啜る。麺の冷え感と共にそば粉特有の風味が広がる。ひと噛み、ふた噛みと噛むごとに風味は芳醇さを増し、ワサビのツンとした刺激やきざみ海苔の微かな磯の香と混然一体となって口の中いっぱいに広がっていく。
二百年ぶりにこれを食べたら如来さまのようなリアクションを取ってしまうのも無理ないな、と大いに納得しながら残りをあっという間に完食した。
「さて。本題なんですが」そば湯を飲んでしばらく経ってから切り出すと
「本題?」如来さまはきょとんとした顔で僕を見た。
「ほら。五反田さんのことですよ」
「ああーっ! 思い出した」頓狂な声を上げたので僕は幾分がっかりして
「そばに感動したのはよく分かりますが、僕の話も聞いていただければと思うんですが」と真面目な顔で如来さまを見つめた。
「ごめんごめん。もちろん聞くよ」
「あれは結構やばい交際じゃないかと思ってるんですよね。あんな奴と付き合ったら五反田さんの将来は破滅確定ですよ。だって金のアクセサリーをじゃらじゃらさせて『僕ドメスティックバイオレンス大好きでーす』って顔に書いてあるような奴ですよ。なんであんなのに惹かれちゃうんでしょうね? 不良に魅力を感じるってのは十代の女子によくあることなのかも知れないけど、納得いかないなあ! よく女子がぶりっ子に騙される男を見て『アイツ馬鹿じゃーん』みたいなこと言いますけど、僕に言わせりゃ暴力大好きな社会不適合のオラオラ男に付いてく女の子も相当なアレじゃないかと思うんですよね。ああいう男はですね、僕みたいな善良な人間を虐げるんですよ。話したことはないけどそうに決まってます。いわば僕の敵です。自分の好きな子が敵にゾッコンってどんな気持ちか分かりますか。地獄ですよ」
「それで、君はその子のどこが好きなの?」
「どこって全部に決まってるじゃないですか」
「じゃあ、その子の髪の毛が全部ウナギに生え変わったらどう?」
「ウナギって」
想像してみた。五反田さんのきれいなボブヘアがすべてぬるぬるとしたウナギになってしまった姿を。すると、一挙に恋心が冷めていくのが手に取るように分かった。
「うーん……。正直言うとそれはちょっと萎えるかも知れないですね」
「なるほど。じゃあ君は彼女の見た目が好きなんだ」
「……言われてみると、確かに外見的な要素は大きいのかも知れません。でも他の人だってみんなそうじゃないですか」
「君の魂の成熟度からすると、外見に囚われない真実の愛を見つけ育てることができるはずなんだ」
「で、できますよ。僕はウナギの生えた五反田さんを生涯愛し抜くことができる」
如来さまは静かに首を振った。
「信じてください。僕にはできます」
「一旦外に出ようか」突き放されるように言われたので、慌てて後を追った。
店の入口前で
「僕は何としても彼女と一緒になりたいんです。そのためにはどんな苦も喜んで引き受けます。恋の成就のためにどうしても如来さまのお力添えが必要なんだ」そう懇願するも
「それじゃ。ごちそうさま」
如来さまはくるりと踵を返すなり、スタスタと歩き去っていく。
「ちょっと待ってくださいよ!」
僕が焦って叫んでも、振り返りもしない。
「如来さまは誠意のかけらもない仏像だったってSNSで言いふらしますからね!」
やはり何の反応もなく、丁寧に左右を確認して道路を渡り、山門をくぐって元いた釈迦堂へと一目散に歩いていく。
釈迦堂近くでやっと追いつき、如来さまの進行方向に回り込んで、両手を広げて通せんぼしてやった。
如来さまはいかにも大儀そうにため息をつき、首を振った。
「あのねえ。世の中には君よりも大変な苦境に直面している人がいっぱいいるんだよ。戦争や飢餓、難病で苦しむ人たちが。ワタシはそういう人たち
のために念力を使うのに精一杯なんだ。ワタシは君一人のものじゃないんだから、わがままを言わずに大人になってくれないかな。」
「そこを何とか。あなたのような長き歳月に渡って人の世を眺めてきた偉大な仏像さまだったら、僕一人の悩み事を解決するくらい造作もないはずでしょう?」
そう畳みかけると軽くため息をつき、右の手のひらを僕の額にかざした。
怪訝に思っていると目の前の景色が暗転し、次いで釈迦堂の如来さまに手を合わせる「チャラチャラしたあの野郎」が視界に映し出された。
敵対心が急激にこみ上げたが、奴が何やら必死な様子でぶつぶつ呟いているので、耳をすましてみた。
「俺はこんな見てくれだが、五反田さんを想う気持ちだけは本物なんです。どうかお願いします。俺と五反田さんをくっつけてください。将来五反田さんがどんなに老け年老いても、交通事故に遭っても、頭皮からウナギしか生えなくなっても、一生涯彼女を愛します。中学を出たばかりで高校にも行ってない俺だけど、美容室でバイトを始めたんだ。今の店で修行して、いつかは必ず自分の店を構えます。そうしたら結婚して彼女にお金の不自由のない生活を提供してみせます。家事も育児も手伝うなんてレベルじゃなくやります。俺はこう見えて案外器用なんだ。ですからお願いします。五反田さんと付き合わせてください!」
最後の「付き合わせてください」の野太い響きを合図にしたように視界は切り替わり、僕は元の世界に戻った。
如来さまは釈迦堂のいつもの位置で微動だにせず座っておられた。
僕は大きく深呼吸する。
奇妙にしんとした心だけが残った。