アフリカ生まれ、鈴木民民の冒険【第十四話】

【第十四話】
 星空に照らされた砂丘の上に立ったビリーが両手で拳銃を構え、遠くに照準を合わせている。
 やや遅れて砂丘に登った僕が慌てて
「怪しい人影でもいたの?」と尋ねると
「いや。でも男なら銃があったらこうしてみたくなるだろ?」とそのままの姿勢で答えた。
「そうかもね。終わったら俺にも貸してくれよ」僕がぶっきらぼうに言うと
「銃を構える男は男らしくてクールだと思わないか?」と意味深に同意を求めてきた。
「……まあ、ね」怪訝に思いつつ僕は答えた。
「でも、俺は銃を持つと悲しい気分になるんだ」
「どういうこと?」
「どうやったって俺は本物の男にはなれないからさ」
「いや、十分すぎる程男だろ?」
 こいつ何の冗談を言ってるんだろう、と不思議に思っていると、ビリーは拳銃を下ろし僕に向き直った。
「実は俺、元女なんだ」
 予想もしなかった告白に僕はうろたえ、思わずビリーの顔をじろじろと観察してしまった。
 背も高く立派なあご髭を蓄えたビリーは、どう見ても男にしか見えない。言われてみるとなで肩に見えなくもないが、誤差の範囲といった感じでやはり女には見えなかった。
 ビリーはおもむろにあごに手をやると、バリバリとシールのようにひげをはがした。皮膚が痛むらしく顔を歪めてあごをさすった。髭のなくなった顔を改めて見ると、輪郭がつるんとしていて確かに女らしい雰囲気があった。
「そうやると確かに女っぽいかも」と感想を言うと、ビリーは
「鏡で見ると嫌になるんだよな。この拭いきれない女っぽさが」と溜息を吐いた。
「俺が生まれたのは、メリーランド州のボルティモアって街だ。両親とも敬虔なクリスチャンで、父は保険の営業職、母は中学校で歴史の先生をやってて、日曜には必ず教会に通うような家族だった。子供の頃の俺はおてんば娘で、男の子とばかりつるんでた。男の子は乱暴な所もあるけど、ストレートで分かりやすいから気が楽だと思ってたんだ。自分も周りも、俺のことをちょっとボーイッシュでやんちゃな女の子なんだと思ってた。そんな風にすくすくと成長していったんだが、八歳の時、自分の性別に違和感を持たざるを得ない出来事が起こっちまった。簡単に言うと、同じクラスの女子に初恋をしちゃったんだよ。その子はレイチェルって名前の赤毛の女の子で、文房具なんかを貸し借りするうちに一緒にスクールバスで下校する仲になったんだ。レイチェルはスターウォーズマニアでしょっちゅう映画の話をしてくれた。ダースベーダーが悪役なのは解せないとか、親指ウォーズは外道だからクソだとか、八歳なりの一家言を持ってるみたいだった。俺もスターウォーズ好きだったからウマが合って、どんどん仲良くなっていった。当然、友達同士の友情だと俺もレイチェルも思ってた。ところがある日の放課後、学校のブランコに乗ってお喋りしていたらなんだかいつもと違って、むやみに心臓の鼓動が速いことに気が付いた。レイチェルの横顔もやたらと眩しく見えちまって、甘酸っぱいような、胸が狭くなるような、味わったことのない感情が芽生えるのを感じたんだ。俺はドギマギして、訳も分からず赤面しちゃってた。そんな自分にいたたまれなくなって、会話を切り上げ一目散に退散して部屋のベッドに潜って、友達としてレイチェルが好きなんだと必死に思い込もうとした。でも、ダメだった。どう考えても俺はレイチェルに恋してた。女の自分が女を好きになるなんて異常だと罪悪感に駆られ、家族に相談することを考えたんだが、父はテレビにゲイが出演したりすると侮蔑的なジョークを飛ばすような人だったから、とても言えない。頼みの綱は母だけだったから、父が仕事でいない時に思い切って打ち明けてみたんだ。母は戸惑ってショックを受けたけど、父に内緒でサポートしてくれると約束はしてくれた。でも、それで恋の状況がどう変わるわけでもなく、俺の態度が不自然にそっけなくなったことにレイチェルは怒って、あっさり絶交されちまった。泣く程寂しかったが、仕方ないことなんだと自分を慰めてた。そうして秘密を抱えながら成長していって、中学で演劇部に入ったら同期にレズビアンを公言するイザベラって女子がいたんだ。長身であけすけで、気風のいい子だった。どのくらいあけすけかっていうと、全校集会の壇上で『私は女が好きだぁー』って叫ぶくらいに。オープンさがすごいよな。中三の頃、合宿で二人きりで話す機会があって、俺も女が恋愛対象だよって打ち明けたら、イザベラはテンションが爆上がりしちゃって、俺たちは一晩のうちにすっかり意気投合したんだ。それから学外でも二人きりで遊ぶようになって、程なく正式に付き合い始めた。お互いに誰かと付き合うのは初めてだったから、すぐに恋に夢中になった。なんか、今思い出すと色々こっ恥ずかしいことを言ったりやったりしてたな。詳しくは言わんけど。そんな風に幸せな日々を過ごしていたんだが、ある日学校帰りにキスしてるところを俺の父親に見られちまって、激しく罵り合うような大喧嘩が勃発しちゃったんだ。あんまり理不尽になじられるもんだから俺も頭に来て、もう家族ごっこは終わりだとかなんとか啖呵を切って、家を飛び出したわけだよ。その日を境に父子の関係に修復不可能な亀裂が入ってしまったから、イザベラと一緒にロサンゼルスへ移住してやろうと画策したんだ。当然生活の為にお金を稼がなきゃならないから、芝刈りのバイトを始めた。ロスは大きな庭付きの家が多いから仕事がなくて困ることはなかった。仕事内容も楽だったしありゃいいバイトだったな。イザベラはレストランでウエイトレスをしながら役者のエキストラのバイトを始めたみたいだった。初めのうちはホームレス寸前みたいな生活だったが、バイトの収入が入り始めて、やっとこさシェアハウスに引っ越せた。家はロスでは標準的な一軒家で、俺とイザベラを含めて七人での同居だった。メンバーはハリウッドが近いからか、イザベラと同じような役者志望組が三人いたな。残りの二人はそれぞれプロのチェスプレイヤーと数学者の卵っていうギークな連中だった。年齢的に近い奴が多かったから、俺もイザベラもすぐに打ち解けて皆で家賃を出し合ったり、家事を交代で分担したりという生活にも慣れることができた。その頃は毎日が合宿みたいで楽しかったな。俺とイザベラは二階の表通りが正面に見えるなかなか立派な個室があてがわれて、晴れて二人きりで過ごせる空間を手に入れることができた。二人とも初めての自由を手に入れていつもワクワクしてた。晩飯は全員で食べる決まりだったから、七時になるとリビングの大きなテーブルを皆で囲んで、和気あいあいと食ってたな。気のいい連中に囲まれてると俺も何だか開放的な気分になって、実は俺とイザベラは恋仲だよって入居から一週間も経たないうちに告白しちゃったんだ。言った瞬間はドキドキして変な汗が出たけど、同居人たちは実に爽やかに受け入れてくれた。俺は緊張の糸が切れたみたいになって、ほぼ感涙状態だった。晩飯が終わると皆でトランプをしたりゲームをしたりしてくっちゃべるのがいつもの流れだった。生活に慣れてくると俺は服装をがらっと変えた。髪をバッサリ短くしてピンクに染め、男物のパンク系ファッションで身を固めたんだ。イザベラは女が好きだから彼女からの評判は良くなかったが、俺は前々からそんな格好に憧れてイメチェンのチャンスを伺っていたから、頑として譲らなかった。そのうちに俺のパンク系への熱量に絆されて、イザベラも一定の理解を示してくれるようになった。シェアハウスでの生活が始まってから、特に大きな波風も立たず過ごせていたよ。揉め事と言えば、ある時役者志望の一人がヤク中になっちまって、そいつが夜中に起き出して庭の上を大声で叫びながらぴょんぴょん跳ね回るんで、たまりかねて皆で力を合わせて追い出した、なんてことがあったな。家の中での大きな事件と言えばそれくらいだった。そいつが追い出された後は、ガーデニングが趣味の見知らぬおばあちゃんが入居してきて、まるで毛色が違う新人に皆気を遣って礼儀正しく振る舞うようになったり、生活が規則正しくなったりして、あれは何か笑えたな。なんでも、おばあちゃんは義理の親族との生活にうんざりしちまって、それならいっそ生活費の安く済むシェアハウスで暮らした方がいいと思ったらしい。俺が家を去る時にもまだ退去する予定はないと言ってたが、今はどうしてるんだろうな。元気でやってるといいんだが。ま、それはともかくだ。そうやって暮らしている中で、一番刺激的で愉快なイベントは、エキストラのバイトだった。イザベラの会社に俺も登録して、ミュージックビデオやドラマの群衆シーンなんかでバイトの募集がかかる度に、二人揃って応募してた。エキストラとは言っても簡単には合格しない。面接で振り落とされることが頻繁にあって、俺は滅多に採用されなかった。イザベラの方はオーラがあったからか、俺よりも受かる回数が多かった。イザベラはバイトの合間を縫っては熱心に面接を受けまくっていて、この子は本気で役者を目指してるんだって情熱を感じたよ。初めてネットドラマの通行人役で、すまし顔で歩いていく画面の中のイザベラを見た時は、二人ともテンション上がっちまって大変だったな。一度だけ、奇跡的に二人揃って採用されたことがあった。俺はその時、珍しく女物の服で面接を受けたんだが、イザベラとは恋人同士だって面接官のおやじに言ったら興味を持ってくれて、あるバンドのミュージックビデオに端役で出演させてもらえることになったんだ。俺たちが出演したのは、公園の芝生で演奏するバンドのバックでワイワイやってる若者たちというシーンだった。撮影当日、現場に行ったらバンドのメンバーは既に集まっててメイキャップしてる最中だった。俺も名前くらいは知ってたんだが、イザベラはかなりのファンらしくて俺の横で興奮気味だった。エキストラは二十人くらいで、カメラマンやスタッフもいてこれが撮影現場というヤツかってワクワクしたのを覚えてるよ。撮影が始まると曲がかかって、エキストラたちは監督に言われた通り、バックでワイワイと騒いだ。はちゃめちゃに騒いでいいと言われたから、皆ビール瓶をぶん回して中身をぶちまけたり、風船を一斉に飛ばしまくったりしてた。俺は調子に乗って隣にいる奴の首にヘッドロックをかましたり、変顔で木の枝にぶらさがったりして暴れてた。で、撮影が終了後、監督が俺とイザベラを呼び出して、ミュージックビデオに女同士のカップルのカットも入れたいって言うんだ。俺としてはどっちでもよかったんだけど、イザベラは乗り気で、ぜひお願いしますって感じだった。俺たちの他は、タトゥーの入ったちょっと不良っぽい三人組やら、オタクっぽい友人グループやら、キラキラ女子の仲良しグループやら、色んな連中が集められてた。その個別カットの撮影では、大きな木の下で曲を口ずさんだり、イザベラとキスしたり、肩を組み合ったりして色んなカットを撮った。途中でバンドのボーカルがアドリブで乱入してきたりするカットもあったな。バンドのメンツは気さくで、結構売れてるのに気取ったところのないさっぱりした連中だったよ。撮影がすべて終わって、三か月後にミュージックビデオが完成してユーチューブで見てみたら、俺とイザベラのカットがエキストラの中では一番多くてさ。バンドの次に目立ってるのが俺たちだったから、パソコンの前で二人揃って大騒ぎしたのを覚えてるよ」
 ビリーは懐かしそうに語り、スマホを取り出して動画を見せてくれた。
 再生回数は六千万回近くあったが、聞いたことのないバンドだった。
 話の通り、曲がサビに差し掛かると背景は公園の芝生に変わり、エキストラが大勢騒ぎまくっていた。ビリーが興奮気味に「これ、これ」と木にぶら下がっている女を指さした。髪こそ短いが、きちんとメイクをし、スカートを履いたビリーだった。両手で枝にぶら下がりながら脚をジタバタさせ暴れまくっていた。
 サビが終わると、ビリーとイザベラの個別カットが何度か映し出され、その度にビリーは嬉しそうにはしゃいだ。
「とまあ、こんな感じで二人ともロスでの十代ライフを満喫してた訳だよ。二人の間にこれといった問題はなく、関係は順調だった。でも、恋人関係なんてあっけなく終わるもんなんだと痛感させられる出来事が起こって、俺たちは破局を迎えてしまった。きっかけは、イザベラの働くレストランで店長が代わったことだった。それからイザベラの様子が目に見えておかしくなって、仕事から帰宅してからも元気がないことが多くなっていった。心配になって訳を質すと、新しい店長に代わってから日常的に嫌がらせを受けてるってシクシク泣くんだ。俺はそんなとこさっさと辞めろって言ったんだが、イザベラは負けん気が強くて、意地になって『あたし負けない』とかなんとか言って辞める気はさらさらないみたいだった。そうやって無理して頑張ってるうちに、ストレスを消化しきれなくなったのか、次第に俺に八つ当たりするようになっていった。初めのうちは俺もなるべく寛容に受け止めるように心がけてたんだが、だんだんエスカレートしていって物を投げつけてきたりするようになっちまって、ある日とうとう流血するくらいの怪我をさせられて、さすがの俺も堪忍袋の尾がプッツンと切れ、『いい加減にしろ!』と怒鳴りつけちまった。それから夜中にもかかわらず大喧嘩になっちまって、大声で激しく言い合った。お互いにまだ精神的に子供で、感情のコントロールがうまくできてなかったんだな。一歩も引かずに罵倒し合って、とうとうイザベラは荷物をまとめ、涙目で俺を睨みつけ、家を出て行った。去り際に『ペニスもついてないくせに彼氏づらしないでよね』って小気味よく吐き捨てて。この一言は効いたね。本当に。しばらくの間セリフが頭から離れなかったくらいだった。それからひと月ぐらいシェアハウスに居座ってたんだったかな。生活するふりをしてやり過ごすって感じだった。ある日の夜、ふと思い立って久々に母さんに連絡してみたんだ。そしたら父さんは反省しててお前の帰りをずっと待ってるって言われたもんだから、足蹴にした故郷に再び灯りがともったような気分になって、実家に帰ることにしたんだ。ロサンゼルスにいる理由なんかもう何もなかったしな。荷物をまとめて地元に帰ったら、両親とも俺を叱らずに歓迎してくれた。母さんの言った通り、父さんは以前よりも優しくなってた。俺がいない間に色々と考えを改めてくれたみたいだった。それから色々あって、一年遅れで高校に進学することにしたんだ。ちょっと不安だったけど、学校では友人がわんさかできてそこそこ楽しくやれたし、新しい恋人も作れた。……また別れたけど。卒業後は地元の食器メーカーに就職して五年間まじめに働いたんだけど、会社の経営が傾いて倒産しちゃったんだ。家出事件があってから両親が過保護気味で、まだ実家暮らしだったから金はそこそこ貯まってた。それで、いい機会だから一度アメリカの外を見てみようって思い立ってさ。昔からモロッコが好きだったから、迷わずここを選んだんだ。アメリカに帰国した後は一年くらいバイト生活を送ってたんだけど、ラクダの話をフクモトから聞いて、こうしてまたモロッコへと舞い戻ってきたってわけだよ」

【第十四話 終わり】

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