アフリカ生まれ、鈴木民民の冒険【第六話】
【第六話】
「オネガイシマス」サフラが礼儀正しく頭を下げた。
「お、お願いします」僕もお辞儀を返す。
サフラが細い指で歩兵をつまむ。
パシッと小気味よい音を立てて初手が指された。
リビングのテーブルに折り畳み式の将棋盤が置かれ、僕とサフラが向かい合わせに座っている。バリーさんはサフラの横で、食い入るように盤上を見守っていた。夫婦揃って真剣な表情だ。
(僕が趣味としているのは碁であって将棋ではないし、サフラが将棋好きだなんてメールのやり取りでは一度も話題にならなかったはずだけど……)
奇異なシチュエーションだが、対局を承諾してしまった以上は盤上の戦いに集中するよりない。
対局は、サフラが四間飛車に振った。
対する僕はテレビの将棋番組で見た記憶のある棒銀を繰り出した。
「棒銀かよ。ひふみんみたいだ!」バリーさんが素っ頓狂な声を上げた。
やがて、互いの陣形整備が完了し、僕の方から右辺で仕掛け、戦いを起こした。
中盤戦で穏やかな流れになりかけたが、駒と駒が激しくぶつかり合う急なワカレをサフラが選択し、攻め合いの展開になった。
難しい局面が続いていたが、僕の側の攻め足がやや速く、わずかではあるがリードを保っているのではないかと思っていた。
しかし、そこからのサフラは粘り強かった。持ち駒を幾度も自陣に投入し、こちらの寄せを何度も弾き返した。
そんな攻防が数十手も続いたあと、ついにサフラが反撃に転じた。
切るか切られるか最終盤のせめぎ合いとなったが、こちらの刃の切っ先がわずかに届かず、ついに僕の王将は打ち取られてしまった。
最後の一手を指す時、サフラの手は微かに震えていた。
「負けました」
僕が潔く敗北を認め頭を下げると、サフラは嬉しそうにニッコリ笑った。
「こんなに強いとは思わなかったよ。将棋はいつからやってるの?」
「三カ月くらい前から。アニメを見てたら将棋のシーンが出てきて、面白そうだなと思ってルールを調べたの。そうしたらハマっちゃって。休みの日は対戦サイトで腕を磨いてたんだ」
「通りで強いわけだ。初心者に毛が生えた程度の僕が敵うはずない」
「将棋は運気を上昇させる神聖な儀式だって聞いたから、ぜひ民民とも手合わせしてみたいねって夫婦で話していたのよ」
どこで仕入れたのか、怪しげな知識も披露してくれた。
「将棋って儀式なのかな……? ともかく、僕も楽しかったよ」
「最近はね、プロの試合もチェックしてるの。藤井聡太の八冠制覇にはエキサイトしちゃった」
その後はバリーさんとも対局したり、サフラと再戦したりした。
三人とも実力伯仲で、勝ったり負けたりのいい勝負なのだった。
僕も予想外に夢中になってしまい、時間を忘れて将棋に熱中した。
テーブルに所狭しと並べられていた歓迎の料理は、もうほとんど残っていない。
三人で将棋を指したおかげか、すっかり打ち解けた雰囲気だった。
「二人の馴れ初めはどんな感じだったの?」
僕が気さくに訊くと、二人は目を合わせ照れたように笑った。
「私がチンパンジーに襲われてたところを、バリーが助けてくれたのよ」
予想もしなかった答えに、僕は驚き
「チンパンジーに? どういうこと?」と訊くと
「バイトから帰宅する途中、細い路地に入ったら野生のチンパンジーと鉢合わせになっちゃって。ヤバいって思う暇もなくそいつが襲い掛かってきて、大声で助けを求めたら、バリーが駆けてきて、丸めた新聞紙に火をつけて、チンパンジーに次々に投げつけたの。そしたら、チンパンジーはびびって逃げた。私はそんなバリーにキュンとしちゃったんだよね」とサフラは頬を染めて言った。
「へええ。今まで聞いたカップルの馴れ初めで、一番風変わりだよ」
僕が正直な感想を言うと、二人はどっと笑った。
バリーさんが
「でも、すぐに交際できたわけじゃないんだ」と言った。
「サフラに許婚がいたんですよね?」
「お、よく知ってるね。ピピ族という部族の族長の孫が、サフラの許婚だったんだ。僕もサフラに好意を抱いたから、許婚の存在を知った時はすごくショックだった。それでも諦めきれなくて、ポンという名の孫に僕から決闘を申し入れたんだ」
「その頃にはポンにほとほと愛想が尽きてたから、嬉しかったわ」
サフラが懐かしむような目で言った。
「決闘はボクシングだったんだけど、実は……僕がボコボコにやられてしまったんだ」
「えっ、そうなんですか?」
サフラが
「リングにのびてるバリーに駆けつけて、私からプロポーズしたのよ。そしたら、当然ポンは怒り狂ったけど、族長のプンさんが仲裁に入ってくれて、女の私から敗者にプロポーズする斬新さに感銘を受けたみたいで祝福してくれた。ポンはプン族長に逆らえないしょぼい男だったから、ぶちぶち言いながらしっぽ巻いて引き下がったわ」と興奮気味に言った。
「大変だったね……。日本じゃ聞かない話ばかりだよ」
僕が恋路の苦労をねぎらうと、バリーさんがサフラの肩をそっと抱き寄せた。
「ポンって男はよっぽど酷かったんだろうね」
そう言うと、サフラは顔をしかめ
「あの男とは二度と関わりたくないわ。ねえねえ、なぜそんな男と許婚の仲だったか、聞いてくれない?」と愚痴モード全開で言った。
「もちろん」
【第六話 終わり】