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【あんまり、いや、ほとんど覚えてないや〜私の音楽遍歴❸〜】

こうして最初期の作曲が、「意図的に作ってやるぞ作曲」ではなく、「偶発的にどこからか降ってきた作曲」であったということは、後の自分の作曲人生を決定づける出来事となります。

ただその前に、ここで先に身も蓋もないことを先に書いておきます。
「歌詞を見てたら、音楽のフレーズが降ってきた」という、あの奇跡のような時間は、結局「ビギナーズラック」もしくは「甘い錯覚」にすぎませんでした。

ほとんど何の努力もしなくても曲が浮かんでくる、などという「作曲駆け出し蜜月タイム」はまたたく間に過ぎ去り、「ちゃんとした楽曲を作り上げるにはそれ相当な努力をしなければならない」というあたりまえの現実にぶち当たることになります。

そうそう、書いたついでに、さらに身も蓋もないことを加えておきます。

「歌詞を見てたら、音楽のフレーズが降ってきた。」なんて、まるで自分が神聖なる選ばれし人間みたいな書きかたをしてしまいました。

しかし、これもなんら特別なことではありませんでした。

後になって、こんな厳然たる事実を知ります。
「人生の中で、音楽経験の多寡に関わらず、4小節くらいまでの短い音楽のフレーズが自然に思い浮かび、それを鼻歌まじりに歌ったことがある人は、じつはかなりの数にのぼる」ということ。

そうなのでした。つまり、「ごく初歩の作曲という行為は、じつは多くの人が(意図的であれ無意識であれ)したことがある」ということなのです。これはなにも特別な才能とか技術とか関係なくできることだったのです。

(この文章をお読みの方は、特に音楽に関わりのある方が多いと思われますので、当然このようなことはとっくの昔に経験済みのことでしょう。)

じゃあ、なぜ世界中の人がその後、本格的な「作曲家」「音楽家」になっていないのか。

これは愚問だったかもしれません。
せっかくオリジナルのメロディーを思いついても、ほとんど(ほぼ全員)の人が、「思い浮かんだメロディーは自分で作ったとさえ思わず、そのまま忘れてしまう」
「思い浮かんだメロディーを記憶する術がなく、その場かぎりで消えてしまう」
「思い浮かんだメロディーはあまりにも短いフレーズで、それをつなげていく術がなく、曲にまではならない」
「思い浮かんだメロディーを覚えてなんとか曲にしてみたが、それはどこかで聞いたことがあるとか言われて、がっかりする」
というところで終わってしまい、そこでもう「短い作曲人生」と簡単におさらばしてしまうからですね。

そう考えると、なんか世界中の人が、ものすごくもったいないことをしている、とも思えてきます。どこかのだれかが鼻歌まじりに作った曲が、じつは「稀代の、空前絶後の、珠玉の名曲だった」という可能性もあったでしょうに。

このように、どれだけの名曲であっても、それが「楽曲」という形で他の人と共有されないかぎり、どんな名曲も、生まれた瞬間にこの世から消え去るという過酷な運命をたどるのでした。
(これは音楽に限らず、芸術、いやもっと広く、技術とか文化全般に言えることなのかもしれません。)

…以上、長い脱線をしてしまいました。

(まだまだ次回に続きます。次回は脱線する前の「カンチガイだらけの自分」に戻ります。まだまだ終わりそうにない長文におつきあいいただき、本当にありがとうございます。)

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