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都会的なシュトゥットガルトのクリスマス

バーデンヴュルテンベルク州の州都シュトゥットガルト。キーボードでカタカナに変換するのが難しい、シュトゥットガルトにやって来ました。ドイツ南西部の中心都市です。

大工事中の中央駅は、遠回りをしないと正面に出ることができません。その中央駅正面に立つと、都会に来たな、という印象が強く感じられます。

駅から遠くないホテルに荷物を置き、駅前から市中心部へ向かうケーニヒス通り(王様通り)に出ると、銀座の歩行者天国のような光景に巡り合います。30メートル近い幅の道路の両側に、高級店や有名店舗が立ち並びます。

その通りを5分ほど歩くとシュロスプラッツ(お城広場)に突き当たり、そこからがクリスマスマーケットの会場になります。都会の中に急に広がる視界、広々とした空間です。

この町を中心としたドイツ南西部ヴュルテンベルク地方は、11世紀から18世紀までヴュルテンベルク家が支配した土地でした。中でも15世紀のヴュルテンベルク公ウルリヒか゚破天荒な人生を歩みました。

若くして後継者となったウルリヒは、バイエルン公の娘を妻に迎えましたが、結婚生活は破綻。部下の妻を奪い取りその部下を殺害してしまいます。農民には重税を課すなどして、戦争もたびたび行いました。

戦争に負けたウルリヒは帝国追放の憂き目に遭い、この土地は皇帝家ハプスブルク家のものとなります。ウルリヒは放浪生活の後に、フランス王やヘッセン伯からの支持を手にします。一度、農民を味方につけてヴュルテンベルクを奪還しようとしますが失敗するも、ハプスブルク家への対抗心が強いフランスの支援で、ヴュルテンベルク公に返り咲きます。

返り咲いたウルリヒは、宗教改革を断行してカトリック教会の財産没収を行い国庫を潤わせます。しかし最終的にはさらに戦争に負けて、皇帝軍に占領されますが、多額の賠償などを受け入れてウルリヒと公国は生き永らえます。

そのウルリヒか゚生きた時代から500年、この町はポルシェとメルセデスの本社がある産業都市となりました。しかし一方で、中央駅から見える場所にブドウ畑の斜面があり、高台の住宅群は阪神間の山手を思わせる風景もあります。その町の真ん中にあるのが、シュロスプラッツです。

華やかな屋根飾りを競う屋台、プロペラが回るピラミッド、小さな可愛らしい観覧車、子どもたちを乗せるミニ蒸気機関車などが立ち並び、市民たちは屋台のスタンドでグリューワインやビールを飲んでいます。

広場には大観覧車、ヴィルヘルム記念塔(ヴィルヘルム王はドイツ統一後のドイツ帝国皇帝です)が電飾で光り、この町のクリスマスマーケットを大規模なものに見せます。この広場には、メルセデスとポルシェの電飾カー(本物ではなく、電飾によるスケルトン)も並んでいます。

人口はケルンの方が多いのですが、この町の都会ならではのクリスマスマーケット、さて今日はシュロスプラッツから奥の広場にも足を向けてみたいと思います。


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