立ち止まれる才能

20代の頃、学校卒業して早々に挫折し。
フリーターになり、一年くらいで仕事を辞めては
次の仕事が決まらず家で悶々としていた時期が何度かあった。
順調に人生の階段を登り、就職、恋愛、結婚、など自己実現している周りと比べ、日々劣等感。
自分を責め、奮い立たせ、だがやりたい仕事もなく、ずっともやもやと重苦しい気分を引きずり、なんとかバイトの面接に向かうも撃沈し、また劣等感のループ。
暗黒時代。

そして20年以上経った今、ふと。
そんな暗黒時代でも、人生の中の長い期間、立ち止まって自分に向き合える時間、実はとっても贅沢だったんじゃないか?
と思えてきた。

人生の階段を
順調に登れる人ばかりではないように。
人生の階段の踊り場で
じっくり休める人ばかりでもないのかも、と。

憚らず言うなれば。
立ち止まれる才能があった。
そう考えることもできるのではないか?
親ばかの如く、自分ばか上等。

ただ、そんな才能あふれんばかりの当時の自分へ伝えたいことがあるとするなら。
自分責めだけは、やめとけ。
自分を責めても、なにひとついいことないから。
自分責めしてしまう自分すら、許して。
ということ。

何にも生産性がないまま一日が過ぎる。
今日も明日も。
だけど。
そんな自分で、いいんだ。
それで、大丈夫なんだ。

「大丈夫。大丈夫だよ。あなたは大丈夫だ。」

と伝えたい。

自分責めは、
せっかくの贅沢な時間すら味わえなくさせてしまう。
人の心の奥底を見えなくさせてしまう。
すると当然、その人本来の望みもわからないまま、思考や社会的な損得を基準に選択、行動してしまう。
行き着く先は虚無感。
もしくは強制終了。
それって、遠回り。
その遠回りが人生の味わい、得るものもきっとある。
だからそれも、責めなくて、いい。
でも、苦しいよね。
苦しみたいプレイなら、どうぞ。
でも、そうじゃないならね。

自分責めは恐れからくるもの。
必死に自分を守ろうとしてくれている行為でもある。
ありがとう。
守ろうとしてくれて、ありがとう。
でも。
恐れなくても、自分は大丈夫だよ。
恐がらなくても、大丈夫だよ。
そう心に投げかけて。
恐れのない、ゆったりとした安心感。
つかの間でも感じてみてほしい。

そんな意識が当時の私にも持てていたら。
なんて。柄にもなく。
今からでも。
いつかの自分に安心感を投げかけてあげるか。
そして、今の自分にも。

大丈夫。大丈夫だよ。

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