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なぜ『火花』はアメリカ人には分かりにくいのか?:漫才にあって、スタンダップにないものとは

Naoki Matayoshi 'Spark', 2020

又吉直樹著『火花』には英語版があるのだが、表紙カバーデザインが黄金色に輝く目玉焼きなことに驚いた。なぜ目玉焼き?日本では大ヒットとなったこの作品をアメリカ人はどう読んだのだろうと、書評をいくつか探してみたところ、多くは作品中で描かれる先輩・後輩関係の感情の機微に理解を示しながらも、それぞれのキャラクター構築が弱いこと、そして日本のお笑いという特殊な文化が分かりにくいことが指摘されていた。本文中で説明が足りなかったのは、日本人なら共有している文脈だからだろう。

日本のお笑い文化が、世界各国のご当地コメディと比べてどこまで異質であるのかは分からないが、アメリカのスタンダップコメディとはその表現方法や文化的背景にあまりに大きな違いがある。

漫才の特異性は、度々批判の対象にもなる。スタンダップが笑いを通じて政治や社会に対するメッセージを届けるものであるのに比べると、日本の漫才は毒にも薬にもならず、子供じみていてばかばかしい。また日本のお笑い界という業界も異質だ。漫才師はほとんどが男性であり、ネタの中でも旧時代的なジェンダーロールや、身体的な特徴を笑いものにしたり頭をどつくなどの加虐性が、スタイルとして残っている。師匠と弟子という関係性も理解されにくい。

しかしスタンダップが漫才より優れているかと考えると、決してそうではないと思う。私が漫才を見るとき、政治風刺のきいたジョークを聞きたいのでも、過酷な現実を笑い飛ばしたいわけでもない。別の何かが得られるからこそ、漫才を見たいのだ。

そこで漫才ならではの特性を、4つの視点から考えた。

1. 漫才のフロウとリズム

まずスタンダップと漫才の大きな違いは人数だ。漫才はボケとツッコミの二人の掛け合いで成り立っている。二人が繰り広げるやり取りは、リズムや間の取り方が非常に重要だ。二人のケミストリーが生み出すテンポやタイミングこそが漫才の楽しさを支える大きな要素であり、観客はその心地よさを楽しむ。掛け合いのリズムが崩れれば、まるで不協和音のように笑いの質が一気に落ちてしまう。

掛け合いの妙は、あいづちという日本語独特の習慣にも表れる。あいづちとは刀を鍛造に由来する言葉だが、漫才においては、ツッコミのあいづちが笑いを引き出すきっかけにもなる。英語圏では通常、相手の話の途中であいづちを入れる習慣はない。

さらに、漫才には純粋な言葉遊びの要素が多く含まれる。たとえば、チュートリアルの「チリンチリン」というネタ(少し古いが)は、その好例だ。日本語のオノマトペには、同じ音を繰り返すことで独特のリズムや発音の楽しさを引き出すものが多く存在する。これらは喃語にも似て、感覚的な喜びを呼び起こしたり、言葉そのものの響きやリズムで笑いを生む力がある。

一方、アメリカのスタンダップ・コメディは、一人のコメディアンのジョークとテクニックがすべてだ。観客とやり取りすることはあっても、掛け合いに重きを置かれることはない。

2. 仲間意識と安心感

日本人は、仲の良いグループやチームを見ることで安心感を抱く傾向がある。日本のアニメや漫画の多くは、メインキャラクターを中心としたグループダイナミクスが描かれる。また単体のアイドルよりも、アイドルグループが多く存在する。「箱推し」という言葉があるように、ファンはグループの関係性に共感したり、あたかも自分がそこに帰属するかのような安心感を得たることができる。漫才コンビも例外ではないだろう。

一方、アメリカのスタンダップ・コメディでは、観客とコメディアンとの間に共感や信頼関係に似たものはあっても、漫才コンビを眺めることで得られる安心感とは異なる性質のものだ。

3. 漫才の文学性

漫才の中には、まるで村上春樹の小説のように、日常的な話題から始まりながらも、突然シュールな展開につながるものがある。これは漫才の「文学性」とも言える部分だ。ボケが何気ない日常を話しながら、いつの間にか現実感を失い、奇妙な状況に陥る。それに対してツッコミ役が鋭く指摘することで、観客はそのシュールさに驚き、笑いが生まれる。

一方、アメリカのスタンダップも時にシュールなジョークを取り入れることがあるが、全体的には笑いの背後にあるメッセージ性や風刺が重視される。彼らから見れば、日本の漫才はとりとめもない話に聞こえるかも知れない。

4. 漫才の進化と技術性

漫才は非常に伝統的な芸能でありながらも、常に新しいスタイルが生まれ、その技術の進化が楽しみの一つとなっている。例えば、漫才師たちは新しいフレーズや掛け合いの方法を開発し、独自のキャラクター性を作り上げる。この特性がよく表れているのがM-1グランプリであることは、言うまでもないだろう。

アメリカのスタンダップ・コメディにも新しいスタイルが登場するが、技術的な進化というよりは、時代のニーズに応じてトピックが変化する傾向が強い。

最後に

又吉氏の『花火』は何度も読んでいる大好きな作品なので、アメリカ人の的を射ないレビューを見てびっくりして、つい長い文章を書いてしまった。私はスタンダップも漫才も好きだが、アメリカ人に日本の漫才の良さを説明するのは難しい。私の英語力の足りなさも相まってこれまでは論破されてきたが、これからはへこまされないぞ。

リサーチをしている間に見つけたYouTubeのポッドキャスト番組がある。日系アメリカ人コメディアンが東京で吉本のショーを見て感じたカルチャーギャップというテーマで、フットボールアワーの冷蔵庫のネタが取り上げられていた。私は個人的に大好きなネタなので、アメリカ人に笑われてちょっと悔しかった。でも笑われる理由もわかる。


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