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不安だから

何をやっていても不安は付きまとってくる。きっとそれは、時間が止まらないのと一緒のことだと最近気づいた。
人は生きている中で限りなく新しいものに挑戦し続けている。ここでいう“新しいこと”とは生きているという行為自体を示している。毎日が同じことの繰り返しでも、繰り返される日々を更新し続けること、いつかに区切りをつけること、それはどちらであっても昨日がもう繰り返されないように真新しい何かだと思っている。

私はオードリー・ヘップバーンが大好きだ。
好きになったきっかけは些細なことだった。オードリー・ヘップバーンの写真展が開催されるポスターをみた。『愛されることより、愛することの方が大切』たしかそんなキャッチフレーズだった。恋人との関係に悩んでいる時にみつけたキャッチフレーズだから惹かれたのかもしれない。人生においてタイミングは重要だと思う。


写真展では、オードリーの姿と一緒に説明が添えられている記事を読みながら、オードリーの性格や、亡くなった今でも愛され続けていいる理由などを考えていたと思う。
写真展で印象に残ったことは、オードリーは動物が好きだったということ。小動物のようにくりくりした目元。全身を映した時のじょうぶな体、目から伝わってくる強い意志。なんてショートヘアが似合う女性なのかということ。私がオードリーを大好きになったきっかけは、オードリーが猫をタクシーから追い出すシーンが嫌いだったという記事を読んだこと。たとえそれが映画の一部のシーンのことであっても、嫌がるオードリーを心から尊敬したいと思った。
私は、その当時も今も『愛されることより、愛することの方が大切』の意味がよく分かっていない。そして、写真展を観に行ったからといって、元恋人との関係が修復することはなかった。
それから3ヶ月ほど経過し、あるきっかけで1冊の本を読んだ。本の題名は『それでもあなたは美しい オードリー・ヘップバーンという生き方』。
まだ読んでいる途中だが、私はオードリー・ヘップバーンをもっと好きになった。
ここからは私がオードリーをもっと好きになった理由について話していきたい。一部分だけ本の中を紹介させてもらう。

オードリーははじめ女優ではなく、プリマ・バレリーナになりたかったらしい。けれど、「貴方はプリマ・バレリーナにはなれない」とバレエの先生に言われてしまい、そこから女優の仕事をするようになったそうだ。オードリーは演技については無知であったから、やればやるほど不安になり、女優としての経験を積むほどに演技の努力を積み重ねたらしい。
私はそのひたむきな姿がかっこいいと思った。不安になることは、悪いことじゃない。ただ、不安に対して自分が何をするかなんだと分かった。

不安だから、考える。不安だから、目の前のことを一生懸命やる。不安だから、葛藤する。不安だから、輝き続けられる。

私もオードリーに励まされ、自身を奮い立たせるためにiPhoneの壁紙に設定するための写真を選んでいた。
沢山の写真をみた。どのオードリーも素敵だった。けれど何故か、笑顔や優しさ溢れるオードリーよりも、悩ましい顔をしているオードリーに私は惹かれた。
人の美しさは内面からも形成されるのではないかと思っている。その表情から、日々の葛藤や抱えきれないほどの不安、生きていくための脆さを感じたような気がしている。
正直載せている写真はどの一面なのか分からない。
ほんとは悩んでないかもしれない。私の思い込みだったら申し訳ない限りだ。
まだ読み切っていない本の途中がある。ゆっくりと自分のペースでオードリー・ヘップバーンという人を知っていきたいと思う。

私は、オードリーみたいにまっすぐは生きられない。それでも不安を抱えながら、少しずつ前をむいて自分を好きになりたいと思った。もう、カーテンの隙間からうすら明るい光が差し込んでいる。私はやっと書き終えたところなんだと、カーテンを閉じたままにしてベットにダイブする。


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