昼間のほうがよっぽどさみしい
ここ2〜3ヶ月で多くの変化があった。
それでもなお、カネコアヤノを好きで居続ける自分に安心している。
“頑張らなくていいんだよ”って言われるけど、何が秀でていないと生きていけないこの世界で、私は今日も生き残るための手段を考え続けているような気がする。
もう、自分の中で大事にしたいものが何なのかわからなくなりそうだ。ただ私には“いい人間でありたい”と思うような欲望があるからきっとこれからもそうやって悪いことしながら、私は悪くないみたいな顔をして生きていくんだろうと思う。
昼間に帰ろうと思って外に出ると、日差しが強い。
ちらほら見かける観光客。恋人たち。ご飯屋さんのアルバイトの人。閉まってるお店。お客を待つタクシー運転手。
なんだかすごく寂しかったんだ。
どんなに明るくても、人の話し声が聞こえてきても、私がひとりであることに変わりはなくて
私が愛した誰かも、あと100年後には死んじゃって、こうやって何もなく世界が動き続けるんだよ。
もう何が寂しいのかわからない。
何かの帰りにビルの隙間から太陽が落ちていって、空が青とか水色とかピンクとかグラデーションをつけて染まっていく。
「あぁ、綺麗だな。」そうやってぼんやり考えているだけでほんとは幸せ。何もほんとはいらない。
そんな気がする。
まとまらない何かを、残しておかないと。
自分の原型が分からなくなりそうで怖い。
いつ帰ってくるのか分からない不安を抱えて、カネコアヤノの『わかりやすい愛 丈夫なからだ』を聴いて安心したい。