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R18

自分は日々変わっていくものだけど、その時々で本当に見なくていいものがある。ここで出会ったのも何かの必然とか、多少の雑多さが進化のスパイスだとか、何かと理由を付けて取り入れてみても、後から冷静に振り返れば絶対にマイナスの方が大きいことはざらにある。必ずしも全部をつねに知っている必要はなくて、その時々のバランスを維持するために何かをあえて見ないこと、それは立派なセルフケアである。

今の僕にとって、映画「哀れなるものたち」は見なくてもいいものだった。

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観終わった直後はいい気分だった。言い足りない満足感があった。家に帰ってから感想を書き出した。それを下書きとして文章にしようとした。筆が進まなかった。疲れているからだと思って、翌日気が向いたら書くことにした。考察そのものは言いたいことを見つけていた。(男と女の関係の写実こそ、この作品の目的ではないか…)

一夜明けた。今日の僕に残っているのは、埋まらない心の穴だ。昨日、公衆に混じって直接的な性交シーンを観た。同じ暗闇で、何かをそこの誰かたちと共有した。世界と繋がった。否、世界と繋がる通路の存在を、そこの誰かたちと確かめ合った。そして、繋がれる気がした。
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繋がれる気がしてしまった。穴が空いた。大抵のことじゃ埋まらない穴が。誇りや満足がドバドバ放出されていく。繋がれる。繋がりたい。繋がれない。通路はすぐそこに、そこにもあそこにも見えるのに、どう足搔いても届かない。ただこの欠落感は性欲よりは純粋であるに違いないと、ここから信じて堪えている。
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あのままの自分を守っていればよかった。僕にはまだ早かった。またやり直しだ。一人の城を築かないといけない。
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中央線のバカップルでちょっとは免疫付けてたはずなのに。だめだな。やめたい。
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