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エヴァンゲリオン

    • スーダラ節

      スーイスーイスイダララッダ スラスラスイスイスーイ♪ 平成生まれでも耳にしたことがあるだろう、ひょうきんでなじみやすいメロディ。 僕も以前まではこの部分をかろうじて知っている程度だった。だが、つい先日星野源の『よみがえる変態』というエッセイがきっかけで、改めて「スーダラ節」と出会うこととなった。 エッセイには、ライブでこの曲をカバーした時に涙してくれたお客さんがいたことがきっかけとなって、星野源が音楽によりいっそう打ち込むようになったことが語られている。そのカバー(と同

      • 思わないで、

        ▼ 今日の帰りは和真と一緒だった。和真は漕艇部の同期で、大柄のたくましい身体をしている。中身も頼もしいやつで、彼と一緒にいるとどこか安心を覚える。練習の帰り道、今日は片付けの当番で皆より10分ほど遅く部室を後にした。すると、グラウンドの角のところで何やらラジオ体操のように体を回している和真を見つけたのだった。「よ」と僕は声をかけた。「おう」と返事がした。それから僕たちはグラウンドに沿って門へ向かって歩き始めた。グラウンドでは夜間灯の照らす中、野球部が散らばってトンボがけをして

        • アイスコーヒーのシロップをこぼした

          アイスコーヒーのシロップをこぼした。一回下に押してから開けるやつで、上に開けようとしたらすべってパーンってシロップが飛んでった。右隣の人とのちょうど垂直二等分線は越えないところまでだったから、何往復かチリ紙の所へ行ってきて、ぎりぎりセーフのべたべた度までおさめた。特に相手に近い側は念入りに。自分の腕とかちょっとベタッてるし(汗じゃない)、これをスマホに打ち込んでる両手の親指もベタベタしてて、アイスコーヒーの外側の露滴で今拭いたりしている。 この感じ、覚えがある。高校3年の時

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          思い出す6月

          昨日まで閉じた襖を四方いきなり開け放ったような、遠大な青空。浮かぶ雲々は軍艦のようにそびえ立ち、それぞれの上方は日光に照らされて真っ白に輝いている。街の上の景色はまるで無敵艦隊が進航する遠洋を眺め晴らすようでもあり、巨大な白象たちの生活する極楽浄土を幻視するようですらある。 さて、そんな6月が今年もとうとうやってきた。 昼間の中央線に揺られ、ドア脇の特等席から車窓の向こうを見つめるうちに、様々なことを思い出す。 二年前。何時ぶりかの恋の始まった頃。日向坂46の「こんなに

          思い出す6月

          鼻水より多い

          荒れ狂う杉花粉に負けじと荒れ狂った3月の総括。 ・教習所 クランクした。73歳のおじいちゃん教員。筋トレで言ったら耐荷重ギリギリのハードタイプ。あと1kg重かったら壊れてた。だから休みも長くとるタイプの筋トレ。次は来週。その前はお姉さん、2回連続で同じ人だった。お姉さんとバックの練習した。最初助手席の背中支えるように持っちゃって(本当は角をつかむ)恥ずかしかった。めずらしく褒めてくれるいい人だった。最初のうちは嘘みたいに、即ち悪夢みたいに神経すり減らしてたけど、ここ最近は

          鼻水より多い

          閏日、大谷翔平結婚、何でもアリ、王がハメを外す日、

          閏日ですね。大谷翔平が結婚しましたね。なんでもアリな一日って感じがしますね。事変はまだですかね。門の中に王、王といえば大谷翔平ですね。今日は王の日ですね。王がなんでもアリな日ですね。なんでもありな王、暴君ハバネロでしょうかね。ペルシア戦争じゃありませんよ。お菓子です、激辛のお菓子。私は食べたことありませんけど。辛いものが好きな方、いますよね。好き好んでひーひー言いにいくなんて、どうかしてますよね。やめられない止まらないんでしょうね。それは海老でしたね。まあ赤くて細長い食べ物な

          閏日、大谷翔平結婚、何でもアリ、王がハメを外す日、

          「時代性を見える化する装置」としての映画会社

          キーワード:映画、映画制作会社、生成AI、表象文化論、ポストモダン、社会学 目的:今日の文化的、技術的な情勢を踏まえ、今後数年、数十年にわたり映画制作会社が担うべき役割を提案する。ただし精細な議論よりは、私の名においてなるべく早いうちに(つまり今日)この考えを公開することを望む。 本論:1. 現在は生成AIの時代である。本論はそういう視座に立って考え始めたい。このことによって私が示唆したいのは次の二点についてである。一つ目は、言葉によるコミュニケーションがますます曖昧に

          「時代性を見える化する装置」としての映画会社

          思ってもない、

          今日はあの二人と飲みに行く。あいつらは未だに俺を誘う。とはいえ、ならいつから誘わないのが正解だったのかと考えると、それはもう宇宙の始まりのように、「始めから」という他ない。  翔也と沙貴は小学校からの俺の同級生だ。二人は始めから付き合っている。初めてその感じが表れ始めたのは小6に上がったばかりの頃だった。小5から、俺ら3人は算数の授業で一緒になった。算数は授業がレベル別なのだった。春休みが明けた一学期から、二人の慕い合う様子がたびたび観察された。授業前二人だけに通じる言葉で

          思ってもない、

          R18

          今の僕にとって、映画「哀れなるものたち」は見なくてもいいものだった。 . 観終わった直後はいい気分だった。言い足りない満足感があった。家に帰ってから感想を書き出した。それを下書きとして文章にしようとした。筆が進まなかった。疲れているからだと思って、翌日気が向いたら書くことにした。考察そのものは言いたいことを見つけていた。(男と女の関係の写実こそ、この作品の目的ではないか…) 一夜明けた。今日の僕に残っているのは、埋まらない心の穴だ。昨日、公衆に混じって直接的な性交シーン

          対談(ChatGPT~俺)「俺が好きなバンドについて語る」パスピエ編

          音楽バンド「パスピエ」について、お話下手なお客さんがインタビュアーに向けて情報を提供。バンドの15年の歴史、異なる音楽的背景を持つメンバーの影響、3つの音楽的期の変遷などを通じ、バンドの進化や個性を探ります。              取材 / ChatGPT (3.5) 文 / ChatGPT (3.5) ・俺 ――では、最初の質問ですね。「パスピエ」について教えていただけますか?このバンドについてどんな情報や印象がありますか? 俺 日本の邦ロックバンドです。今年で15

          対談(ChatGPT~俺)「俺が好きなバンドについて語る」パスピエ編

          絶望の二秒前

          概要:ジェットコースターで空を見上げてレールを捉えながら上昇し、頂点に到達。ついに向こう側へ。「3、2、1…!」。2秒前と1秒前の違いについて。2秒前には、「落ちるの怖い」は勿論、「1秒前にどうこの不安をやり過ごすのか」という不安がある。不安は落ちる瞬間t=0と、1秒前とに分岐して向かっている。1秒前はもう、この永遠のような一瞬を嚙みしめるほかない。御覚悟。 仮説:1秒前と2秒前以前には未来へ向けられた精神状態に質的な差が存在する。後者は未来をまだ理性で捉えようとする。時間

          絶望の二秒前

          リアリティ(2024/1/2)

          現実 航空事故の映像を見ながらじんわり来るものがあった。昨日の地震の時、現実味が湧かなかった。家は多少揺れたけど見ていたアニメを見続けていた。ストーブもつけっぱなしだった。ツイッターでサークルの仲間が旅行してたり地元だったりで色々声を上げているのを眺めても、よくわからないというか、感情が動かなかった。今日、飛行機が滑走路上で燃えている映像をニュースで見ながら、ようやく「もしあそこに自分がいたら」というアイデアが、言葉以前の感覚で湧き上がってきた。一緒に見ていた親は「地震とい

          リアリティ(2024/1/2)

          A

          ・西方  Aに伝わらなかった言葉をAは知らない。生まれてこの方、Aに伝わって来た言葉だけでAはできている。それぞれの言葉との出会いは偶然である。Aの知っている全ての言葉は偶然によって選ばれた。Aは偶然によってできている。 ・東方 Aの言葉は人に伝えるために生きている。自分の思いを人に伝えるときに、Aの言葉は生きだす。人に伝わる機会が無ければ、言葉はいずれ死んでいく。 ・上方 思考の限界はいつも言葉である。考えられないことは言葉にできない。考えられることは全て言葉にで

          -(n-1) 解説

          この物語を書こうと思ったのは、「私」という名をどう使うことができるかについて、最近私が気になっている使い方の一つを表現したいと思ったからです。それはいわば日記の「私」です。この「私」と対比して、これまで自分が主に考えていたのは他者を前にした「私」でした。例えば、「私は~と思う」や「私の場合は~だったよ」というときです。こうした私はいざ他者の目を離れると消えていくものだと、すなわち運動と知覚の連環とか身体感覚の所在とか疑りだすあの危なっかしい状態に逆昇る反対側にある、いっときの

          -(n-1) 解説

          -(n-1)

          今日は朝から一日裏の浜辺へ釣りに出掛けた。日は照って見渡す限り晴れ晴れした最高の一日だったのに、獲物は一匹も釣れなかった。それでも家にはまだ木の実や焼いた肉が残っていたから、仕方ないので今日の夜はそれで済ますことにした。高台で夕陽を見てから帰ろうと山道を上っていると、突然土砂降りの大雨が襲ってきた。仕方ないので私は木々のひときわ重なった陰を選んでしばらく止むのを待っていた。雨は延々と降り続けていたが、いよいよ空が暗くなってきたので私は仕方なく竿を持ち、そこらの手形の大きな葉を