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思わないで、


今日の帰りは和真と一緒だった。和真は漕艇部の同期で、大柄のたくましい身体をしている。中身も頼もしいやつで、彼と一緒にいるとどこか安心を覚える。練習の帰り道、今日は片付けの当番で皆より10分ほど遅く部室を後にした。すると、グラウンドの角のところで何やらラジオ体操のように体を回している和真を見つけたのだった。「よ」と僕は声をかけた。「おう」と返事がした。それから僕たちはグラウンドに沿って門へ向かって歩き始めた。グラウンドでは夜間灯の照らす中、野球部が散らばってトンボがけをしていた。今日の練習で和真が試していた体の使い方のことや、何となくお互いの就活のことを聞いたりしていたら門を抜けた。門の先には通称「さんかく公園」という公園があり、その名の通り三角形の土地の、一つの頂点が門に向かっている。つまりその両側に道が走っていて、最寄り駅へ行くには住宅街に入り込む左ではなく、駅前通りへと続く明るい右の方へ踏み出せばよい。だから今日も僕は、ほとんど無意識にそうしようとした。そこに見つけた。さんかく公園の角、ちょうど鏡のついたポールの下に、男女二人の影があった。僕は咄嗟に立ち止まった。女の方、というかあの二人——


今日の帰りは将(まさる)と一緒になった。将は漕艇部の同期だ。色白で小柄だが、胸板は厚く引き締まった身体をしている。ずんぐりしてどうも野暮ったさの抜けない俺に比べたら、彼の体格はなかなか羨ましい。賢いし気のいいやつだが、たまに抜けているところがある。その天然さもまた彼のチャームポイントではあるのだが。練習が終わり、皆とともに部室を出た俺は自然と集団の最後尾についた。何となく一人になりたくて、俺はさりげなくその場に止まり鞄を置いた。グラウンドの一番奥で、野球部たちが倉庫に入っていくのが見えた。今日の練習は手ごたえあったな。ネットで見つけた代表チームの動画を参考に、新しい体の使い方を試してみた。簡単にいえば腕を肩から柔軟に動かすというものだ。まだ完全に馴染んだわけではないが、数週間も続けていれば今よりかなり楽に漕げるようになるだろう。そんなことを考えながら野球部を眺め、適当にストレッチをしていたら、すぐ背後で声がした。汗でその茶色いマッシュのやや乱れた将がいた。俺たちは一緒に帰ることにした。将は今日の俺を見ていたらしい。俺はその手応えを説明したり、彼の昼の授業が大変だったという話を聞いたりしていたら門までやって来た。ふいに、将が立ち止まった。


そこにいたのは翔也と沙貴だった。なんでこんなところに? しかも二人は何やらキスでもしているような体勢だった。口元までは暗くて見えないが。正直かなり動揺した。しかし、ともかくこういう現場はスルーするに限ると思い、俺は彼らからなるべく距離を取るために大きく右へ踏み出した。このことは墓場まで持っていこう。と思ったら、一瞬早く、将がなぜか左の道へ歩き始めていた。え?? 俺は慌てて後を追った。


あれは和真の知り合いではないか。半年前、学祭の時に紹介された。僕が一人で歩いていると、反対から三人が歩いて来たのだった。その時の話では、二人とも和真の幼馴染で、ずいぶん前から付き合っているといっていた。僕は彼女の方が、頭から離れなかった。あれからインスタを辿り、密かに制服の写真を見たりしていた。それと同時に、男の方も見つけて、目が離せなかった。たまに彼女の写真を乗せているのだった。あの二人が、なぜここに——


気付いたら左へ踏み出していた。なぜだろう。慌てて後ろから和真が追ってくるのがわかった。僕は早足が止まらなかった。彼女は右側にいた。男が左側にいて、彼女の両肩を優しく抱いていた。彼女は男の胸に隠れ、顔はその顔を見上げていた。口元までは分からなかった。その一瞬が、脳裏に焼き付いて離れない。「おい、どうしたんだよ!」声をかけてくる。だが返事ができなかった。あの男、あの男——


今日の将はどうしてしまったのだろう。結局、駅に着く頃には何事もなかったように話し始めた。だが、それはむしろ先ほどの出来事への言及を拒んでいるようだった。将はあの二人のことを知っていただろうか。そういえばこの前の学祭で紹介した気がする。だが接点はそれだけのはずだ。将がそんなに気にすることか? それとも、もしや沙貴のことが気になってた? まさか。将だって最近彼女ができたと言っていた。詳しいことは知らないが、あいつも賢いしうまくやっているのだろう。やっぱり、知っている人間だったから気を使ったのかもしれない。それとも俺に気を使ってくれたのかも。まあ、本当のところは彼にしか分からない。ただ、それからの将はどうも弱った様子なのが気になった。もっとも、彼はいつもこんな風だったかもしれないが。


和真は最後までいつも通りいてくれた。駅が見えた頃には僕も心を立て戻し、それからは普段のように会話をして、和真が先に降りて分かれた。和真はどんなふうに思っただろうか。あの場面、彼自身は全く取り乱しているようには見えなかった。その直後も、いつもの落ち着いた雰囲気は微動だにしなかった。もしかしたら、二人が大学の近くに来ることを予め知っていたのかもしれない。それに比べると、僕の行動は突飛に映ったに違いない。でも、その後はいつも通り振舞えたから、特別疑われていることはないだろう。明日にはもう忘れられているはずだ。


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