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一人きり美術館。

心奪われる時間だった。

どこもかしこも似たようなファッションに身を包んだ若者が蔓延る渋谷の街を通り抜け向かった先は東急本店。

以前にここに来たのはお正月だったか、ちゃんと中に入ったのは2年前な気がする。最近見た小説の主人公は松濤に実家を持つお嬢様で、「華子はこんなとこ息するように入って買い物したんだろうし私みたいなワクワクだって無かったんだろうなぁ」と架空の人物と自分の差異に少し嫌気がさした。

ラグジュアリーブランドにデパートコスメ。中心地に出来た施設に入ったものと同じなのに、何だかここの方が格式高くて見ちゃいけないようなハラハラ感があった。どうにも私はやっぱりキラキラで上から下にぎっしりとブランドがつまり、若者や旅人が多く訪れる近未来的ショッピングセンターよりも、こんな少し薄暗くて照明がオレンジに暖かく、お客さんもあまりいない百貨店の方が好きだ。

百貨店をくぐり抜け、訪れた先はbunkamura museum。「甘美なるフランス展」を目的に、雨の中ひとり渋谷に来たのだ。周りを見渡すと来ているのはおじさまおばさま達。ご夫婦でいらしてる方々もいて、素敵。ツウィードスーツをかちっと纏うおばさまは、旦那様と手を取って展示に向かわれて、これまた素敵。それを見る私は紀伊国屋で買ったビニール傘を持って、唯一自慢の鎖骨を見せるアート的に女性が描かれた黒ニットに、フランス製のアンクルパンツを履く。切れ込み部分にリボンがついていてとても好き。耳には高円寺で買った安い金色のイヤリングを押しつけたが、全然この日の格好は嫌いじゃない。一番私を表すコーディネートである。
オンラインで買ったチケットを見せて入場。手元に残る紙チケットにすれば良かったと、安く済ませようとした自分を後から悔やんだ。

モネの「睡蓮」、ルノワールの「レースの帽子の少女」「アネモネ」。ゴッホ、ピカソ、セザンヌなどの展示もあってとにかく勢揃いだ。中でも私が好きだったのがマリー・ローランサンの「風景の中の二人の女」、アルフレッド・シスレーの「ロワン河畔、朝」。色遣いが本当に素敵で、見ているだけで暖かな気持ちになる。少し恥ずかしげに色づいたピンク色が尚更その魅力を引き出してくる。対照的に、パキッとした色遣いをしたアンリ・マティスの「襟巻の女」も良かった。電車の吊り広告にこれがあり、あまりに描かれた女性に魅了された。この絵をきっかけにこの展示に行くことを決めていたのだ。少し乱雑に見えて、だけどそこに配色のこだわりが隠されており、いくつもの柄が混在したこの絵は実にファッショナブルだ。

でもキスリングの「花」もすごく良かった。初めて絵を見て泣きそうになった。なんならこの絵が実は一番こころに残ったけれど、ポストカードが無くて残念。花一輪一輪を白で囲い、一色ではとても表現出来ない絵を複雑かつ忠実に再現している。なのに実物には無い絵だからこそ表現された花たちは、額縁の中で喜ぶように咲き誇っている。この花達もいつかは枯れてしまうんだと考えると悲しくなるけど、絵の中の花達は枯れることなく永遠に大切にされて美しく咲き続けられるのだろう。

ひとりで行ったからこそ絵をちゃんと見つめることが出来た。ここにはどんな香りが漂っているのだろう、どんな人が隣にいたのかな、この人たちはどんな部屋に住んでどんな食事を楽しんだのだろう。化粧品はどんなものを使っていたのかな。この画家は光の加減で顔を紫に表現しているけど、ほんとは何色に見えたんだろう。とか、考え出すとキリがなくて楽しかった。まるで私も絵の中に入ったみたい。

パリを題材にした絵を見ていると、本当にこの街に行きたいとやっぱり強く願うようになった。日本は近代化しすぎてて私はなんとなく合わない。人々が競り合い、ランクをつけ合い、新しく立つビルも競うように高さを求める感じがすごく疲れた。私はパリに行ったことがないの、でもパリで死にたい。そのためには沢山お金を貯めて、パリに似合う人になりたい。画家たちが魅了されたパリに、私も溶け込んでみたい。パリで作家をしてみたいし、雑貨屋さんを開きたい。本気でひとりで沢山のことを頑張って、私が求める人生を叶えてあげたい。

展示を見終わり外へ出ると、渋谷の地下にひっそり佇む『ドゥ マゴ パリ』。ここでペンを手に取り美術館の感想を書きたい所だったが、私はそんなご身分ではないのでもっとちゃんとお金を貯めたらここでひとりでご飯を食べるんだとまた新たな夢を持つ。

外へ出ると薄暗い。光で溢れる渋谷の街は、真っ暗になることが無くて悲しい。外に出た途端ビニール傘をさして通る人々に誘いをかける居酒屋のキャッチ達、達筆にかかれたラーメン屋の看板に、いつ閉まるか分からないタピオカ屋と、サステナブルを謳いながら安さを提示し同じ服を作り続けるファストファッションブランド。なんだか飽き飽きしちゃって、息苦しくなった。さっきまでの時間がなんだか嘘みたいで不思議な感覚。あんなに憧れていた東京が今では悲しく見えてしまう。

だけど、人はないものねだりだ。多分このままの私じゃ憧れのパリに行けたとしてもパリの女性の美しい顔を見て病むだろうし、物価が高いだのどうのこうの言って満足できないかもしれない。お金がかかるから色んなものを最小限で抑えて、「お金があれば」と言うかもしれないし、東京に戻りたがるかもしれない。パリに憧れたと同時に、もっと日本を知りたくなった時間だった。行ったことがない日本の場所を訪れて、歴史や景色に触れてみたい。そうすれば今を愛せる人になれるかもしれないし、今を愛する努力をしてみたい。

新しい夢を掲げ、新しい時間の楽しみ方を知っても私はまだ、一番近くのコンビニでレモンティーをペットボトルで買って帰路につくだけ。

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