🍁私の仕事🍁『ごみもし』
私が子どもの頃の仕事
家の都合で8才のとき山の中に引っ越しました。家の人によく言われたのは、
『ごみもししてこ』
家庭ごみを畑に掘った穴で、燃やすことです。マッチやライターを使って、毎日ごみを燃やしていました。
楽しい火遊び
それまで住宅街の小さな家に住んでいました。絵本やテレビで見る『火』は赤いけれど、いつも直に見るのは、ガスの青い火です。
火は、赤い。熱い。煙い。
山の中、草と土と水のにおい、大小さまざまな多くの虫。それらに囲まれて、ひとりで静かに感動していました。
乾いた杉の葉がよく燃えるので、集めてきてわざと火を大きくしたり、手元の草をちぎって火に入れてみたりしました。
まだ世は昭和。ごみの分別なんて発想はなく、ビニールは当然、ビンも缶もごみ袋に入っていました。
ビンや缶は、煤がついて黒くなるだけです。ビニールは、火にくべる前に集めました。そこらに落ちている枝の先にひっかけて火であぶると、青や緑の火が出て、溶けてぽたりぽたりと落ちて、綺麗なのです。
朝、登校する前や帰宅後に、すすんでごみを燃やしに行きました。
マッチ、ライター、チャッカマン
マッチが好きでした。あの摩擦のエネルギー、におい、すぐに燃えてなくなってしまう儚さ。
ときどき、ごみを燃やしながら、マッチを一本一本一箱全部すって火にくべてしまいました。
マッチはお仏壇の引き出しいっぱいに詰まっていて、いくら使っても何も言われませんでした。
ライターは嫌いでした。当時は金属製の歯車みたいになっている部分に親指をあてて、その親指を手前に引くとジッと音がして火がつきました。
『使い捨ての液化ガス付きライターライタ』というもののようです。
親指が痛いし、火が近くて怖いのです。
父がタバコをずっと吸っている人だったので、何年かすると、押しボタンのライターがうちにあるようになって、さらに数年後に『チャッカマン』が世に登場しました。
そうゆうことよ!
これは本当に感動ものでした。
名前もすてきです。
燃やして灰にして粉々にして
思春期のころは、人に言えない悪口や弱音や愚痴を、チラシの裏や余りのノートに書き殴って畑の穴で、燃やしました。
灰になっただけでは読めてしまうので、枝で突いて灰まで粉々にしました。
なんらかの、セラピーになっていたとおもいます。
火を燃やす
燃える火を見る
その音を聴く
土と草と水と火のにおい
熱と煙
田舎の暮らしは、悪くなかったです。
『ごみもし』は、好きな仕事でした。