きょうだい児という概念
「きょうだい児」とは、障害のある子どもの兄弟姉妹のことを指す。最近出てきた概念だそうだ。
その言葉を初めて聞いたのは、先日、アペプラなるもので特集されていた動画。
私はこの動画を見て、驚いた。きょうだい児という言葉が生まれていることに、そして同時に失望もした。言葉をつけると、その言葉だけが独り歩きして軽薄になるという、アンビバレンスな感覚に陥るからだ。
私はここで言う、「きょうだい児」だ。私と6つ離れた姉が重度知的障害2級、という正真正銘の障害者だ。ちなみにわかりやすいように言っておく。
お風呂は1人で入れない、部屋に鍵を書けないとすぐ家から脱走をして知らない人の家に入ったり万引きなどをしてしまう。暇さえあれば自分の肌を毟り、傷だらけにしてしまう。コミュニケーションが十分にとれず、話しかけてもだいたい「はーい」という返事のみ。自分が食べたいものや要求をひたすら早口で繰り返す、と言った状態だ。
ここまで来ると、姉はもう1人では生活できないということが一目瞭然だろう。動画の中で述べていた、
という意見は、机上の空論に過ぎないのだ。自立できないから、ケアが必要なのであり、そこに人権問題を持ち出し理想を語ったところで現実を知らないからそんなこと言えるのだ。
軽い障害者がどんどん増えてきてる現状、その程度に応じてケアの度合いを変えなくてはならないのに、「障がい」で一律に考えるのはどうなのかとは思う。人間全員が持っているもの?はぁ?こんなんじゃ狂気の歴史だよ…
ここで扱われていた、きょうだい児の問題の大枠は
「将来の選択を兄弟の障害のために狭まれてしまう」ということだ。例えば職業選択だったり、結婚だったり、障害を理由に破棄されると言った事例もある、ということだ。
もちろんその可能性は充分あるだろう。特に結婚などといえば、将来親が死んだ時ケアをするのは私なのだから、結婚する人にも迷惑がかかる。金銭的にも、肉体的にも精神的にも、それなりに大変だ。
相手方の家族だって反対するだろう。愛だけで乗り越えられる問題ではないのだ。
その解決の糸口となるのが、「障がいのある兄弟を施設などに入所させる」ということだ。それが現時点では1番だ。障害年金分で、つまり無料で入所できる施設も現在は存在する。そのようなところで暮らしてもらい、きょうだい児の普段の生活に支障をきたさないようにするべきだろう。
こういうと、「障がい者の人権は?!!」とか言ってくる人がいる。無責任だ、ちゃんと面倒を見ろ、お荷物扱いかよ。って。
そういう人にはロールズの正義論を読め、と言いたい。もしかしたらあなたが障がい児になるかもしれなかったし、きょうだい児になるかもしれなかったのだ。そしたら社会全体で面倒を見るのが正義だろう。
そこで私は、施設の充実を提案したい。障害者が毎日楽しく暮らせるようにして欲しい。相模原施設で事件があったが、そのような職員による陰湿な行為なども見受けられている。職員がもっと心からその仕事に誇りを持ち正しく整備するそんな制度が整っていないように思う。預ける家族側もそんなんじゃ怖い。障害者は話せないし、文句も言えないだろう。死人に口なし状態だ。
もっと今より施設が良いところで充実しているのだとしたら、いつか、入所も視野に入れたいと思う。
「障がいは遺伝する」という考え方
障がいが万が一遺伝するかもしれない、そしたら困るから、結婚はやめましょう。という事例が取り上げられていた。
実際遺伝するのか?まだ科学的に明らかになっていないことも多いが、個人の見解では、たしかに障がい児が産まれる確率は上がると思う。つまり、遺伝の要素もあるだろうということだ。
親族でもそういった面が多いという経験的なものも含まれているので、全く科学的ではないが。
とはいえ、それが「だから結婚はやめましょう」という理由になりうるのか?
正直、嫌だと思う気持ちは分かる。苦労をかけたくないし、きょうだい児自身も、多分万が一自分に障害児が生まれてきた時、耐え難い罪悪感に苛まれるだろうことは易々と想像出来るからだ。
とはいえ、そこで結婚はしてはいけない、子供は産んでは行けない、と言われたならそれは差別に当たるのではないか?
障害を理由に仕事などを断ってはならない、けれどその障害によって能力が低下し、仕事に支障が出る場合は解雇は許される。また障害によって仕事が出来ないから、年金が受給できる、そういうシステムがある。(もちろん十分ではないとは思うが)
だとしたら、仕事を結婚に置き換えた場合、どうなるか。私的な事だから、正直制度上でどうしようもない問題である。
周りの人の考えが改まらない限り、おそらく私たちは泣き寝入りになるのだろう。
まだこの点は議論の余地がありそうだなーと思うけれど、今日はここまでにします。
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