共に存すること
SNSのおすすめにあがってきた1件のアカウント。飛んでみるとフィナンシェの上にぱっと咲いた桜。
週に3回という貴重な開店日のチャンスをうかがう。テイクアウトもできると知り、《桜のフィナンシェ》をテイクアウトしようと心に決めていた。
お目当てのフィナンシェは『お待ちしていましたよ』と言わんばかりの視線をわたしに向ける。ショーケースに行儀よく並んだ焼き菓子たちはどれも魅力的だ。
桜のフィナンシェとアーモンドマフィンを買って帰路に着く。
家に帰ってから頬張ったフィナンシェは、しっとりと甘く桜の塩漬けがほんのりしょっぱくて口のなかで解けた。目で見たり鼻で香ったりと、春が来るたびに桜を感じてきたはずなのに、舌で味わう桜の新鮮さに驚く。口から全身にひと足早い春の陽気が駆け巡る。
翌日、さすがにふたつはな、と昨日取っておいたアーモンドマフィンを満を持して頬張る。これがまた最高だった。もともと、ナッツが好きというのもあったかもしれない。それでもスライスアーモンドが無造作に踊っているマフィンは甘くて、自宅で用意したストレートティーと相性抜群だった。
素敵な出会いをしたと感激したと同時に、お会計の際に見まわした居心地の良さそうな店内を思い浮かべて、アーモンドマフィンをまた食べに行こうと決心をした。
後日、カフェとして楽しむために訪れた。
閉店の1時間前にそれほど長居はしないはずとやってきたのが良かったのだろうか。店内にはわたしひとりだけ。それほど広くない店内に木のぬくもりを感じるテーブルと椅子が3席ほど。カウンター席も3人は座れるはずだ。先日来たときには気が付かなかったが、明るすぎない店内と心地よいメロディは、ひとりでカフェを訪れることの多いわたしにシンデレラフィットするような空間だった。
先日と同じようにショーケースからスイーツを選びお会計を済ませる。アーモンドマフィンは決めていた。ショーケースのなかに並ぶスイーツをひとつひとつ丁寧に眺めていく。この時間だから品切れのものももちろんある。そんななか目に飛び込んできたのはバターバーだった。タルト生地のうえにバターケーキがのった韓国で人気となったスイーツ。新登場だったか期間限定だったか。どちらにせよ、わたしはその類の言葉に弱い。そして、甘い甘い時間にはストレートティーがよく似合うことを知っている。
待っている間、壁に貼られたポストカードを眺めていると、小さな扉が静かに開いた。奥からおばあさんふたりが小さなテーブルを運んで出てきた。そしてこちらをちらりと見てにこにこしながら会釈をしてさらに奥へ消えていった。はて?少しの時間、なぜ?と疑問が浮かんだが流してみたはずの入口の看板のことを思い出した。1階はカフェで、2階はデイサービス。まるで、ドラマやアニメで観る刑事や探偵の推理のようなスピード感で、ばちっと記憶が繋がったようだった。最近、街のあちらこちらでデイサービスと一緒に雑貨屋さんやカフェ、図書館が開かれている建物を見かける。しかし、この類の店に入ったのは今回が初めてだった。ふと、これまでの自分の価値観を顧みた。わたしのなかで《当たりまえ》と化していた独立している店や施設。個々が手を取り合っているように思えてなんだか嬉しいという気持ちになった。
そんなことをぼんやりと考え、口角を緩めているうちに、アーモンドマフィンとバターバー、ストレートティーというわたしの欲を詰め込んだラインナップが次々とテーブルの上に運ばれた。カップは、次縹の模様が施されたアンティークのソーサーの上に置かれていて、わたしの心の奥の好きという感情を揺さぶる。木のぬくもりを感じる店内に、ヴィンテージ感のあるテーブルウェア。この空間を生み出した知らぬ誰かと気が合う、と直感した。
甘いあまいご褒美を口に運んでいるときもぼんやりとこの建物の在り方について思考を巡らせていた。
わたしはヴィンテージのものを可愛いと愛でたり素敵と心がときめいたりする。日本の伝統文化とも言える着物や自分が生まれ住んだ街の伝統工芸にも興味がある。一方で、今まさにこの言葉たちを紡ぐために使っているのはスマホやパソコンで、テクノロジーの恩恵を受けている。そしてまた《当たりまえ》になっている。道を調べるとしたら、もう紙の地図を広げるということはなくて、反射的にGoogle Mapを開いている。バスの乗り降りも、整理券を取ってお釣りがないように運賃を支払うことはまずなくて、Suicaを忍ばせたスマホをピッとかざす。反対に、わたしはよく本を読むけれどどうも電子書籍に慣れない。小説は専ら紙の本。自己啓発本はかろうじて電子書籍と仲良くできるくらいの関係だ。今、新旧が共存しているという点で、この国はわたしにとって居心地が良い。カフェとデイサービスの関係は、わたしにとってそんな居心地の良さがある。
意外なモノやコトが共存する世界で生まれる新しい価値観。その価値観の発見がわたしをわくわくさせる。
こうしてストレートティーを飲みながら想いを巡らせているこの場所も、わたしの凝り固まった価値観や常識をつんつんと刺激して新しい発見を促してくれた。
ほかにもきっと、わたしの知らないところでさまざまななモノやコトが共に生きている。それは未知の価値観かもしれないし、わたしのなかで既に常識や当たりまえに塗り替えられた価値観かもしれない。
バターバーでこってり甘くなった口に再びストレートティーを流し込む。甘さでいっぱいになった口にちょっぴりの苦味が共存していく。《甘いものにあうのは少し苦さのあるもの》なんていう概念も、いつの間にかわたしのなかで常識と化していたことに気がつく。見知らぬどこかの見知らぬだれかが発見したであろう、スウィートとビターのマリアージュに想いを馳せながら...。
これからも誰かと誰かの架け橋となることを願って。
美味しいスイーツと優しい人のぬくもり、
ゆったりとした空気が共存する《La Pont》にて。
なんだか妙に木のぬくもりを感じるカフェだと感じたが、それは木のぬくもりだけではなかったのかもしれない。誰かがそこに居てくれるという人のぬくもりがこのカフェ全体を包んでくれていたのかも?と今なら思う。