歓喜の裏にある愛憎がM-1を形づくっているのかもしれない
ほんの数日前に投稿したこちら。
『川島明 そもそもの話』というラジオ番組の令和ロマンの高比良くるまゲスト回を聞いて、「令和ロマン!がんばれよぉおおおおおお!」と気持ちが高ぶったから書いて投稿した翌朝……
ウエストランド井口のこのポストを見て、すぐさま番組を見た。
番組の内容は、囲碁将棋がⅯ-1に対する思いを綴り、それを紹介するというもの。彼らはいつ決勝に行ってもおかしくないと言われていたが、結局一度も行けず2019年にラストイヤーを終えている。
これは文田(左のメガネをかけた男性)の文章の冒頭部分。えげない。文章にこれだけの思い(というか魂)を乗せられなんて。彼がどれだけⅯ-1に芸人人生を懸けていたかが伝わってきた。
そして、囲碁将棋の2人の思いが読み上げられていたとき。それを聞いているサーモン久保田とウエストランド井口のリアクションを見ていたら、王者の称号を手にした彼らもここまでに本当に苦労したことが伝わってきて、より感慨深くなった。
わたしはたまたま先日投稿したnoteで、「オリンピックで金メダルを取った選手でも次の大会を目指すことが多いから、くるまの話を聞いていると、もう一度出場する理由もわかってきた」というようなことを書いた。
しかし、この番組内で久保田と井口は、やれるだけの、精一杯の努力を積み重ねたとしても、それが実るとは言えないのがお笑いの賞レースだと語っていた。
正直、テレビに出ている芸人が若干のアドバンテージを持っているのだろう。実際に久保田も「今ようやく変わってきたけど、(テレビに出ている芸人の)弱いボケが中か大くらいのウケ方してたもんな」「それはなしやろ」と思っていたそうだ。
そうか、そうかそうか。お笑いの賞レースは一筋縄ではいかないんだね。ごめんなさい。
そんなミーハーでいち視聴者のわたしが一番心に残っている大会は、あのミルクボーイが優勝した大会。
コーンフフレークと最中(もなか)のネタはシンプルにおもしろかった、いや、おもしろすぎたが、なによりも、無名のコンビが笑いをかっさらい、圧倒的強さを見せつけ王者となったことで、わたしとしてはとんでもなくワクワクし、忘れられない大会となった。
Ⅿ-1は無名の人こそ活躍してほしい大会。
わたしはいつも、内心ひっそりとそれを期待しながら見ている。
一般人のわたしでもそうなんだから、無名芸人の「絶対に優勝して売れたい」という思いは計り知れない。だからこそ、すでにテレビに出ている芸人が有利に感じてしまうことに、怒りや悔しさなんかでは表しきれない感情を持って当然だと思う。
ほんの数日前に令和ロマンに期待するnoteを書いたくせに、もしわたしが芸人だったら「令和ロマン、なんで出るねん!なんでやねん!」って気持ちになってたんだろうなと思う。
でもそれを言っちゃうと、ダサい。
だってシンプルに自分がもっとおもしろくなればいいのだから。
令和ロマンだって昨年優勝したから決勝に進めたわけじゃなくて、やっぱM-1の3回戦のネタはおもしろかった。
芸人は常にそんな葛藤を抱きながら漫才に向き合ってるんだろうなと思うと、わたしはふつうに漫才を楽しませてもらう側でよかったと思った。ありがとう。
こんなことを一日考えていたからか、その日の夜、大学生に戻っているわたしが落研サークルに入部する夢を見た。部室に入った瞬間バッと目が覚めた。まるで悪夢(笑)。
芸人、すごいな。
実は
「歓喜の裏にある愛憎がM-1の価値を高めているのかもしれない」
ってタイトルにしたかったんだけど、わたしみたいな分際で「価値」うんぬんを簡単に言ってはいけないと思って「形づくっている」に変えた。それでもなんか、いろいろ安っぽく見えちゃうな。
とりあえず、今夜のM-1グランプリではみなさんが万全のコンディションで挑めて、それぞれの力を発揮できることを願いながら、たくさん笑わせてもらえることを期待したい。
あっ。
あとこちらのnoteにもわたしは非常に心を動かされたので、ご紹介させてください。
今回、わたしのnoteに登場した芸人さんを呼び捨てにしていますが、文章のリズム的に省略させていただいただけですので、ご了承ください。
久保田さん、井口さん、くるまさん、いつも笑いを提供くださり、ありがとうございます。
(ここでちゃんと「さん」をつけておく。笑)