見出し画像

頼むからしんでくれ。わたし。



noteを初めて書きました。書きたいことを書けましたが、読み苦しくて申し訳なく思います。これもどこにいれるべきか迷っていて、もしかして蛇足だったら重ねてすみません。




しんでくれ。

しね、でもしにたい、でもない。

お願い、わたし、しんで!!しんでくれ!!!



と、思う。



他人にしねとは思わないし、しねという命令口調には何様だよお前がしねと言いたくなるし、しぬのは怖いのでしにたくはないけれど、
わたしはわたしにしんでくれと思う、しんでほしいなぁと思う。

死を平仮名で書いているのは、ゲシュタルト崩壊して読んでて気持ち悪いなと思ったからだけど、でも平仮名が多いと読みにくくて頭が悪そうでなんだかムカついた。どっちがより気持ち悪いかは判断しかねるから、ここからは特に統一しないことにする。

すぐに死を持ち出す人は気持ち悪いなーと思う。人によって大小差はあれど、なんか自分に酔っている感じがしてしまう。本当はそうでなくてもそう感じてしまう。ガチで死にたいほど苦しい人、ごめんなさい。

小学生とか中学生の子が死にたいと割と真面目に言っているのを見ると、わたしはいつもいたたまれない気持ちになる。言葉を選ばなければ、イタイ!と思ってしまう。

と言いつつ、当のわたしは小学生のときも中学生のときも割と真面目に死にたいと思っていたし、それを理解してくれない友人も、適当にいなす大人も大嫌いだった。どうして本気で苦しんでいる人のことを笑えるの?心底軽蔑した。あのときの苛立ちや、誰も私のことを分かってくれないという(一種の悦が混じった)悲しさも虚しさも、忘れていない。あの困ったような、小馬鹿にしたような曖昧な笑顔が、今も脳裏にこびり付いて離れない。

にもかかわらず、成長したわたしは当時のわたしを「イタイ」と思う。唯一の味方だった私は、年月を経て敵側に寝返った。当時よりもっと辛くて、理不尽で、やるせないこともあると知った。視野が広がって、当時の悩みが大したことのないものだと思うようになった。当たり前に、大人になった。当たり前だけど、子供は子供でしかいられないことが可哀想だと思った。

とりあえず、未だにすぐ死を引っ張り出してくる私は例に漏れず気持ちが悪い。

キモイキモイ、キモイんだけど、どういうわけか昔から死が頭の取り出しやすい位置にいるみたいで、意識せずとも気づいたら信号が送られているもんだから、私の脳内には、死にたい、やっぱり死にたくない、死ぬ、死ね、死のう、死んでくれなんて声が日常的に飛び交っているのだ。



幸せに暮らしています。
両親の仲は悪かったけれど、それぞれがそれぞれの仕方で愛してくれたし、金銭的にも恵まれた家庭だと思います。
教育熱心な母のおかげで成績はずっと優秀な方でした。
良い大学といわれるところに通いながら、一人暮らしをさせてもらって、友だちも彼氏もいます。どちらかと言えば、羨ましがられる側なんだと思います。

だから、死にたいなんて思うのはエラーなのだ。

⚠️ERROR⚠️ERROR⚠️ERROR⚠️ERROR⚠️
↑死にたいと思うと、これが私の中に流れる

思っちゃだめというか、思わないはずなのである。



でもなんか全部やめたくて!!!

努力家とか言われてたけど、ぶっちゃけみんなからすごいすごいって褒められたいだけで見下されたくないだけで、他人の評価で自分が成り立っている中身からっぽ人間だから、どうにも自分の人生を歩んでいる気がしない。

歩みたいかも分からない。

他人の評価が気にならない場所、例えば離島とか、そこでフリーターしながら自分のペースで暮らすとかでも、別に生きていけると思う。

というか、今わたしの置かれている恵まれた環境では、生きない方がはるかに難しい。

でも、他人の評価が邪魔をする。正確に言えば、他人からの評価を下げたくない私のプライドが邪魔をする。みんなに見損なわれたら、生きていけない。いや生きていけるけど、生きたくない。生きたくないけど、怖くて死ねない。死ねないからしんどい。

ねぇみんな、わたしにはグッドボタンだけ押してね。良いコメントしか残さないでね。期待しててね。「○○ならどうせ大丈夫だよ〜」って、信じて疑わないでね。


「あんなに勉強したのに……」
「部活頑張ってたのに……」
「何でもできるのに……」
「友達多いのに……」
「愛されてたのに……」



「ねえ、一体なにが不満なの?」










しんでくれ。






周りに死ねとは思わない、みんなのことが大好き、出会ってくれてありがとう、どうか幸せに生きて欲しい。
いや嘘、今日店員さんに怒鳴ってたクソババアとかバイト先のセクハラうんこ野郎とかには死ねと思う、でもこれは、直ちに私の目の前からいなくなり、冷静になって己の愚行を自省するなり相応の罰を受けるなりして今後は人様に迷惑をかけないように生きていっていただきたい、それができないのならお前は金輪際1歩も家から出るんじゃねぇよという気持ちを端的にまとめた一言である。

死にたいとも思わない、だって私ほど恵まれた人が本当に死ななきゃならないほど追い詰められているわけがないから、死にたいなんて思ってしまうのはバグでしかないのだ。

ていうか普通に死ぬほど痛いとかマジで嫌だし。ママとおばあちゃんと旅行行きたいし。お兄ちゃんに会いに行きたいし。もっと友だちと遊びたいし、彼氏にもっと好きって伝えたい。



だから、しんでほしい、のだ。

殺してほしいと言った方が近いのかもしれない。

あくまで外部的な要因で、わたしが選べないような仕方で、さあ、お願いします。

死ななくていいんです、とにかく、わたしが今までの生き方を捨てざるを得ないような、そうすることしか選択肢が無くなるような、なら仕方ないねとみんなが納得するような、そんなきっかけをください。


すべて投げ出していいという、暴力的な免罪符を、どうか。



「将来安泰の立派なお嬢さんだったのに、かわいそうにね……」




みんなは、今まで積み上げたわたしの評価を元にした、「キミはきっとこんな風になるだろうな」っていうイメージを持っていて、

それを実現するチャンスを理不尽に奪われてしまった可哀想なわたしは、今後そのイメージを崩すことは一生なくて、


可哀想に、あのままいっていればきっとあんな風に生きていたのにね、

でも元気そうでよかった、え?意外にこういう生活の方が合ってるのかも?あはは、前の○○が聞いたらびっくりするよ、


あ、そうだ、ねえ、昔から文章書くの好きだったよね、○○の経験書いてみればいいじゃん、ホラ、みんな苦労話とか感動話とか好きだし?



あたし○○の本が出たらゼッタイ買うし、周りにも買わせるもん………………



そんなキモイ妄想をしてニタニタ笑いながら、
あまりのつまらなさに泣きながら、


キモイわたしはキモイわたしのまま今日を終えて、明日も目を覚ますのだ。


スーパーに行きたいから、晴れるといいなー。

いいなと思ったら応援しよう!