noteを始めて4週間目(1ヶ月後)の変化
noteを書き出して1ヶ月が経った。書き始める前と後と、自分が何か変化があったかというと、そう大きな変化はない。この1週間の間は変わらず仕事をして、お盆休みで家族と1日過ごすため、久しぶりに実家に帰った。
もうすぐ父の三回忌があるが、その前に家族で揃って家でご飯を食べ、迎え火をたいた。横にはそっときゅうりに木の足をつけた馬が二体いる。一体は父を運んでくる馬、もう一体は愛犬を運んでくる馬だ。
不思議と目に見えないが、実家に帰るとふと愛犬が尻尾を振って玄関まで出迎えてくれている気がした。なので、つい玄関先で愛犬の名前を呼んでしまう。母は「迎え火する前に、何日も前からもう来てるよ」と言う。
父は普段は物静かなため、いるかいないかわからない。もしかしたら家のどこかでじっと、私たち家族の話を聞いているのかもしれない。
久しぶりに女3人で温泉へ行き、温泉に浸かりながら今後の話をお互いにしていた。「今後」なんて近い未来すら見えないが、希望を込めて話をした。いつからだろうか、こうして年が十離れた妹とも対等に気負うことなく話ができるようになったのは。血の繋がりや年の繋がりの垣根を超えて、恋愛話や仕事の話をしている。こんな自然なことなのに、今まで自然にできなくて、なんだか不自然になってしまうことが多かったのに。
母は相変わらず母である。そこにいて、笑ったり、特有のボケをかましたり、と思えばツッコミを入れて来たり、家族が揃ったことで楽しそうだった。
2日間、突然の雨のどしゃぶりと轟く雷は、暑い夏を一気に冷やし、秋めいた気配さえした。こんなふうにして私の大好きな夏の季節は徐々に徐々に後退していく。
何か特別な言葉を残せないまま、ただ青い波を前にそこに漂っているだけである。
こうして季節も交代するように、ゆっくりゆっくりと私たちの家族のあり方も、人との関係も、歳を重ねるごとに変わっていくのだろうか。変わらずあると思う居場所さえいつかは変わっていく。だからこそ尊く、この人生の旅路に、同じ空を見て一息つくようななんだかそういうことも必要な気持ちに浸る。
温泉の帰り道に雨は上がり、燃えるようなオレンジの夕焼け空があまりにも美しく、私は息を飲んだ。その時きっと「夕日綺麗だよ見て」と妹の放つ言葉がなければ車の中で見過ごしていたかもしれない。「月が綺麗ですね」が愛の言葉なら「夕日が綺麗ですね」は何の言葉だろう。
孤独でいて個性的な夕日は色を変え、次の月にバトンタッチする準備しながら温かく私たちを見守るように、静かに燃えて消えていく。
偶然にもラジオから聞こえる曲は生前父が大好きで、わたしも大好きなサザンオールスーズの新曲「壮年jump」だった。幸先良く、優しい音楽が寄り添っている。
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