新しい生き方の始まり〜退行催眠療法を始める
こんにちは、こんばんは。
ここからがこのnoteの第2章のはじまりでもあり、
私の人生の始まり、なのだとも思う。
退行催眠療法の初日、
私は母に付き添われて、ある街に向かった。
催眠療法というと、TVのイメージで、
自分の意思とは関係なく、
誰かに抱きついたり、動けなくなったりなど、
行動を操作されるもの、という意識があった。
退行催眠療法の先生は、中年の男性で、
オフィスには一人で行う、と書いてあったこともあり、
それを親子で心配して、
母には近所の店で待機してもらっていた。
はじめて会う先生は物腰は柔らかく、
軽く、誕生日から、占星術でいうと、
あなたはこんな人、といった世間話から始まったと思う。
そして、カルテのようなものに、メモしながら、
「どんなことにお困りですか?」と尋ねられた。
率直に、オーバードーズで死にかけたこと、
今もその心情は続いていること、消えたいこと、
母との関係が苦しいこと、
臨床心理士の元のカウンセリングでは私には合わないと思ったことなど、
泣きながら話していた。
みんなが当たり前のように働き、生きている中、
それさえも、できない自分が恥ずかしいと思いながら…
先生はそのどれもに否定はしなかったし、
共依存についても、改めて話してくれた。
共依存は、連鎖しているんですよということも、
教えてくれた。
母も祖母も、母の兄弟たちも、
確かに愛に飢えているという感じがあり、
その考え方にも納得ができた。
「あなたがここに来たのは、
その負の連鎖をあなたの代で終わらせるためですよ」と、言われ、
その後、はじめての退行催眠療法を受けた。
「あなたは今とっても気分がいい森の中にいます」のような言葉かけから、
誘導されて想像されるイメージをどんどん追っていくもの。
自分の意識がなくなることもなく、
現在の自分が、
幼い自分のフィルムを身にいっている感じ、といえば、
伝わりやすいだろうか。
赤ちゃんに近い私、までスムーズに戻ることができ、
私は、小さな私を育てながら、不安な表情を浮かべる母までを、
見に行くことができた。
今までにないカウンセリング、療法、
普段使わない部分の頭を使っているのも感じるし、
情報量が多過ぎるのと、
感情が溢れ出し過ぎて、涙は止まらないし、
とにかく、まとまらない、というのが直後にあった感想だが、
何かが変わる、といった実感があり、
次の予約をして、先生から宿題をもらって、
私はオフィスを後にした。
まだ、どこまでも依存してしまう性格の私に、
この日に先生が最後に教えてくれたことは、
「癒しというのは人が自分にしてもらうことではなく、
自分自身が自分にしてあげることです」という言葉でした。