えっちゃん

長年の共依存関係に苦しんで、それを解いて、 自分の人生をはじめるまで、 色々あがいて、でも楽になった方法を書いています。

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長年の共依存関係に苦しんで、それを解いて、 自分の人生をはじめるまで、 色々あがいて、でも楽になった方法を書いています。

最近の記事

彼の家族の変化

こんにちは。前回からの続きです。 1〜2年ほどはずっと自分の鬱病を隠したまま、 彼との付き合いは表面上は波風なく続いていた。  だが、脳血管障害の後遺症を治すための治療中、 彼の父が思いがけなく亡くなってしまわれた。 その直前、病状の悪化を医師に宣告されたときは、 わたしが彼の母と立ち会って聞いたりもして、 まだ家族でもないのに、不思議な気持ちだった。 お葬式には、彼の母はきっと将来のことを予想して、 わたしを受付に手伝ってほしいという名目で呼んで、 彼の

    • 家族を含めた恋人との関係

      こんにちは。 恋人とは、体調が悪くなる前からの付き合いで、 彼の両親も、わたしの母もお互いに、 それなりに認めてくれていたと思う。 お互いの親同士は会ったことはなかったが、 食べ物のお裾分けなどして、 電話で母親同士がお礼で話すこともあったし、 彼のおうちに遊びに行けば、彼の母は優しくしてくれた。  彼の家は所謂学歴を大切にする一家で、 兄は世間一般で言うエリートだった。 彼は、兄弟で比べられても、本来の呑気な性格で、 あまり気にしてはいないようだったが

      • カウンセリングを受けながら、一進一退の日々、結婚をゆめ見る

        こんにちは。 少しnoteを書いていない間に、焦げ付きそうな夏になりましたね。 水分補給しながら、身体を大切にしてください。  前回の続き。 退行催眠療法の先生のもとへ、 カウンセリングには、二週に一度ほど通っていた。 退行催眠療法は、毎回毎回、間を詰めてはなかなか出来ない。 受けた後に色々思い出したり、 見に行った小さい自分の記憶を味わったりするので、 その後は感情解放が起こり、ぐったりと疲れてしまうのだ。 疲れるだけなら、まだいいけれど、 受け入れが

        • 新しい生き方の始まり〜退行催眠療法を始める

          こんにちは、こんばんは。  ここからがこのnoteの第2章のはじまりでもあり、 私の人生の始まり、なのだとも思う。  退行催眠療法の初日、 私は母に付き添われて、ある街に向かった。 催眠療法というと、TVのイメージで、 自分の意思とは関係なく、 誰かに抱きついたり、動けなくなったりなど、 行動を操作されるもの、という意識があった。 退行催眠療法の先生は、中年の男性で、 オフィスには一人で行う、と書いてあったこともあり、 それを親子で心配して、 母には近

          次の治療(療法)へ その2

          こんにちは、こんばんは。 臨床心理士のカウンセリングをやめ、 新しい病院の受診を予約待ちしている間、 薬もなく、一ヶ月ほどの期間が空いた。 彼と旅行へ行ったり、 少しでも楽しいことをと、する時間もあった。 けれども、それだけを一生するわけにも行かず、 なんとか、生きている状態を持続できるようにしたい、 彼にそんな話をすると、 どうせ、新しい病院へ行く待ち時間があるのなら、 ものは試しで、 民間のカウンセリングに行ったらどうだろう?と提案をされた。 世の

          次の治療(療法)へ その2

          次の治療(療法)へ その1

          こんにちは、こんばんは。 母とはオーバードーズをきっかけに、 よく話すようになったと思う、というか、 私の話を聞いてくれるようになったと思う。 でも、私が今までの息苦しかった怒りをぶつければ、 「私を反面教師にしてください」といった書き置きを渡されたり、 「これだって一生懸命育ててきたんだよ!」と怒り出したり。 いつだって、私の欲しいような、 愛している、大切だというような答えや、 「ごめんね」といった答えはかえってくることはなかった。 その度に、苦しくて

          次の治療(療法)へ その1

          何回も助かったわたし、あがく

          こんにちは、こんばんは。 わたしがオーバードーズをして入院して、 当然、もともと通っていた薬をドバドバ処方する医師は大怒り。 それでも、生きるために方向性へベクトルを変えなければいけないから、 新しい病院をネットで知り合ったメンタルを病んでいる友達に紹介してもらったりしつつ、 カウンセリングセンターへ通う頻度を増やすこととした。 素直に状況や心境を話すうちに、 わたしが話していたこと。 それは、「母にわたしの気持ちを知ってほしい、 愛してほしい」というシンプ

          何回も助かったわたし、あがく

          発作的な行動と恋人の存在

          こんにちは、こんばんは。 ある日、わたしは夕方、一人で家にいた。 祖母が老人ホームに入所する少し前から、 お付き合いを始めた彼がいたのだが、 彼との関係は良好だった。 おおらかで自由で、 馬が合う、という言葉があるが、 よくドライブを兼ねて、海や山、動物園、水族館、旅行、釣りなど、 わたしが今まで父や付き合ってきた彼とは出来なかったことをしてたくさん遊んだ。 何をしていても彼といる時は楽しくて、 神様がきっとわたしに彼をくれたんだ、と思うくらい、 幸せだ

          発作的な行動と恋人の存在

          休息と転院

          休息中、わたしは話を聞いてもらいたいという思いがあり、 同じ病院のカウンセリングも受けていた。 けれども、一ヶ月、二ヶ月と通ううちに、 医師もカウンセラーも誠意を感じられなくて、 ここに通い続けても、 治る見込みがないような気がして、 周りの意見を聞きつつ、転院をした。  そして、見切り発車のまま、就職の日を迎えてしまう。 ちょうど介護保険ができた頃で、どの事業所も、責任が重くて、大忙しが当たり前だった。朝8時半には出社して、23時過ぎに帰ることもざらだったし

          休息と転院

          就職へ向けてと、はじめての精神科。

          こんにちは、こんばんは。 なんだか、話の流れがずっと重いままですみません。 愚痴のつもりではないのですが、 もう少しで、わたしの共依存問題解決へ直結した話が始まりますので、よろしければ、お付き合いください。  祖母が老人ホームに入居したこともあり、 相変わらず、その資金はどうするのかとか、 祖母がいないのなら、母とわたしは実家を売却するから出て行け、と親類とは揉め続けていたが、 家で介護することはなくなったので、 そのときのパート先の上司が、 新しく立ち上げ

          就職へ向けてと、はじめての精神科。

          家庭の変化と就職

          こんにちは、こんばんは。 専門学校を卒業し、アルバイトや時折、就職活動をしたりして過ごしていたが、 専門学校時くらいから、 認知症や肺気腫にて自宅で療養していた祖母が、 自宅で脳出血で倒れてしまう。 早朝で家族みんながいる時間だったので、 すぐに救急車を呼び、搬送され、一命はとりとめた。 しかし、右半身麻痺(言葉や意思疎通は大丈夫)は残った。 療養中より、デイサービスなども利用してきたが、 祖母は思った以上に頑固でそういったものにも馴染まず、 母とわたしが

          家庭の変化と就職

          人との付き合い方のこと。

          こんにちは、こんばんは。 わたしは学生時代が終わり、 いじめも経験したり、色々あったが、 学校に行かない割に、 数少ないながらもその時々の友達が助けてくれて、 恵まれたと思う。 でも、若い時はとにかく、わたしと友達になってくれた人をこちらからさよならすることはしない、と、決めていた。 自己肯定感が低かったので、 友達になってくれるだけでありがたいと思っていた。 のろまだったので、みんなで何かするたび、 「ごめんね」「ちょっと待ってて」が口癖だったように思う

          人との付き合い方のこと。

          失恋と卒業後の進路

          こんにちは、こんばんは。 専門学校卒業年、わたしは、 どこに就職しようか、 それとも医療系の学校へさらに進学するかを迷っていた。 東京の離島を候補地に入れていて、 見学に行ったりもしてみたが、 東京から離れるには不安があった。 初夏にお付き合いを始めた彼がいて、 年上で社会人で誠実な素朴な人だったので、 はじめて甘えることもできたし、 単純に彼と離れたくないという思いがあった。 でも、心のどこかで、 中学生の頃あたりから、わたしはわたしが作り出す家族を

          失恋と卒業後の進路

          青春が始まる、家族以外の愛

          19才、専門学校は夜間であったため、 クラスメイトの年齢もバラバラで、 目指す職業柄、温和な人も多く、 和やかな環境で、 自分のやりたいことだけに向かっての勉強が、 こんなにも楽しいのだと、 目標を持つことの素晴らしさをはじめて実感した。 バイトもはじめて、 学校外で、 はじめての彼氏もできた。 19になるまでに片思いはたくさんしてきたけれど、 いつも、私は自分の特に容姿に自信がなかった。 それを理由に振られたことも数知れず 笑笑 だから、彼氏を作る

          青春が始まる、家族以外の愛

          高校は義務教育ではないのです

          私が入学した都立高校は、 底辺だったので、私のように他の高校を辞めて入学してくる生徒がいたり、 留年している生徒もいて、自由といえば自由だった。 でも、一年生の終わりには、 1クラスがなくなってしまうくらい、退学者も出る。 せっかく、私立を辞めてきたが、 学校を変えたくらいじゃ何も変わらない、 というよりも、 例え、高校の先の進学が目的の高校であったとしても、 自分で選んだ以上は、 学校が提示する出席日数や課題をクリアしなければ、 進級もできない。 も

          高校は義務教育ではないのです

          私立女子高校の生活

          誰も知っている人がいない学校で、 今までの不登校児キャラは捨てて、 新しい生活を楽しもうと入学したが、 元々、中学生まで、学校に行く習慣が根付いてないため、 学校は全く楽しくなかった。 簿記もそろばんも、女性だけの学生生活も、 私には全く向いていないと思い、 1学期早々に、見切りをつけていた。 だが、専門学校進学は諦めていなかったことと、 当初は料理だけに関心があったが、 理学療法士や、福祉関係にも関心が広がってきたので、 次の年に、授業料の安いあまり勉

          私立女子高校の生活