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一人の時間の愛し方

4月1日。私は10年住み続けた家を出て一人暮らしを始めた。
高専を卒業した私は、大学編入試験を経て大学生になった。

…なったのだろうか?

正直、「大学生」の感覚は7月後半を過ぎた今でもあんまりない。

そんな若干ぐらぐらしてた約4ヶ月の記録をまとめたいと思う。

(乱暴に言っている部分もあるので、こんな大学生もいるんだなって感じで暖かく見ていただけたら嬉しいです。)

4−5月 混沌

4/20に行われる予定だった入学式は引っ越し後すぐに中止になった。編入生なので正直そんなに期待してなかった。大学には行ってみたかったけど。中止された代わりにオンラインで始まったガイダンスを見ていても大学紹介ビデオを見ているみたいで、感覚が掴めない。まぁ、基本的には高専とそんなに変わらないんだけどね。

サークル勧誘や歓迎会を大学側や先輩方が新入生のために一生懸命やってくれてるけど、編入生のことはほとんど考えられていないので、人間関係が作りにくすぎる。無理して頑張ってサークルに一つ入ったけど、オンラインのミーティングは立ち位置がなくて、同級生と先輩に気を使わせてる感があってちょっと辛い。新入生もきっとよくわかんないだろうな。やっぱり、オンラインだけの関係性は難しい。リアルで会えればもうちょっとわかるものが、ずっとわからないのが不安で。本音を言うなら抜けたいぐらい。

編入生はよく編入生同士で仲良くなるケースが多いけど、今年度の編入生に女子は私だけだし、同じ専攻の編入生達は地元高専からの進学なので既に関係性を作れてるみたいで、入る枠もない。SNSで友達作りを頑張る母校の同級生たちはすごいなぁと思うし、私もそうするべきかなって思ったりもしたけど、SNSでつながっても多分リアルで仲良くなれる気がしないので、途中でもうどうでもよくなった。文字で想像できる性格で無理やりつながっても、多分自分が途中で嫌になる未来が見えたから。今は少し苦しいかもしれないけど、対面になってタイミングが合えば話せる人ができたらいいな、まぁできなくてもそんなもんかな。という気持ちで生きていくことにした。

多分、私はSNSに対する感覚がちょっと遅れていると思う。感覚だけなら10個上ぐらいの人と同じ気がしている。動画配信とか、会ったことない人とツイキャスするとか、ハードルが高すぎる。今の世代怖い。


ここまでだと愚痴ばかりになってしまうけど、勉強するにはもってこいな状況だと思う。

通学時間がないので、単純に勉強する時間が増えたし、興味が多い授業が増えたので楽しい。(高専をdisるつもりはない)「オンライン授業だからクオリティが下がる」と感じる人もいるらしいけど、先生が工夫しようとしてるのが伝わったので結構満足していた。時間調整もしやすいし。みんなが言う寂しさも理解できるけど、私自身、高専時代から人に聞くことがあんまりなかったので、わからないところは自分でどうにかするか、諦めるという割り切りが早くできるように生きてきたからなのかもしれない。

こんな感覚を味わい、とりあえず周りに馴染もうとしたのが4-5月。緊急事態宣言があったのでみんなステイホームしていたからこそ、一人と言う感覚はあんまりなかった。みんな一人だしね。


6-7月 平穏?

トントンと授業が進んでいく。常に一人だからこそ、ストレスを感じることはほとんどない。とはいえ、SNSを見てショックを受けたりもする。自分に対してじゃなくてもきつめの暴言を見ると苦しくなる。リア充ツイートもなんか嫌。その時は「今は心が弱いのかも」と思ってSNSをしばらく閉じる癖がついた。

単位変換の都合上、今年は履修できる授業が少ないので割と時間に余裕がある。だけど専攻をちょっと変えて美術系に進学したのもあって作品制作の課題で四苦八苦し、昼夜逆転の生活になりかけた。周りがどんな風に作っているのかもわからないので、先生が全体に向けるアドバイスを聞きながら自分と向き合うしかない。これでいいのか?と何度も思うけど、まぁもう出すしかないかと言う思いで提出する。後からWebサイトでみんなの作品を見るとなんとなく方向性が違ったのでは?浮いてない?となんとなく感じるも、「まっ、どうしようもないよなぁ」の一言で終わる。(悩んでも仕方ないので)

一人暮らしをするはずだった母校の同級生(編入組)は地元に戻っていたり、社会人組もリモートワークだから帰省していたりしたけど、私はずっと一人暮らしをしていた。親とあんまり関係もよくなかったのと、一人が楽しすぎたから。(後者の方が圧倒的な理由)

正直、自分はもっと病むと想像していた。ホームシックになるんじゃないかって。でも、全然寂しい感情がなかった。母からも「全然ホームシックになってなさそう。よっぽど実家が嫌だったのね」と言われたが、笑って「そんなことないよ」と返しつつ、実際は「うん」の一言で済んでしまう感じだ。離れた今がちょうどいい距離感だと思う。

一人暮らしの、誰かの都合に流されず、全て自分で決められる楽しさ半端ない。最高。

何もなさすぎてつまらない生活になるんじゃないかと想像していたけど、なければないでやりたいことを次々とやれる生活に満足している。大変な状況の方々が多い中で、私は今は幸せな方なんだと思う。数年後どうなってるかわからないけど。


Twitterで話題になっていた #大学生の日常も大変だ  と言うハッシュタグ。共感できる部分もあるし、正直、そんなに?と思う部分もある。「キラキラしたキャンパスライフ!」を目指してないからだろうか。小中学生が学校行ってる姿が羨ましく感じることはあるけど、大学というキャパの大きいところを同じ動きができないことは予想つく。教員側だって、自分(の声か姿)が映ったものそんなにネットに映したくないだろう。スクショされたり保存されたりすれば一生残るわけだから。切り取られたら違う意味に取られることもあるだろうし。

「教育」に関わる仕事は、一番気軽に、誰もが出来そうに見られるけど、一番難しい仕事だと個人的には思う。学生(生徒)に対する向き合い方はその後の成長の仕方に現れる。たった一人の先生の言葉で、その後の人生は容易に左右する可能性が大いにある。私がそうだったから。任期は1年or半年ぐらいでも、将来を作るエッセンスになるという形のない責任がある。現場で人の未来を作る仕事ほど重いものはないと思う。

まとめ・考察

誰も想像し得なかった世界がたった一つのウイルスのせいで作られてしまった。漫画や物語でありそうなストーリーが実際に起こってしまった。私の生活はウイルスが流行ろうが流行らまいがあんまり変わらなかっただろうけど、世界は確実に変わった。レアだったリモートワークの普及率は上がり、芸能人はYoutuberになりまくる時代に。なんとなく、みんながちょっと無理してコロナで学べたと言ってるように感じてしまう。どんなことからも学べる反骨精神を無理して映し出してるような気がする。まぁ、学べたことが0ではないだろうけど、苦しかったことを無理して明るく振る舞わなきゃいけない理由は存在するのだろうか。

そして、SNSには幸せを容易に報告できないような空気感が残る。少し間違ったことをすれば誹謗中傷の嵐。晒し、改変で情報が二転三転する。法律より先に一生傷になるレベルの制裁が第三者からやってくる。1週間後には自分が書いたことなんて覚えてないような奴らに。そんな歪んだ文字、映像を介して直接会わなくもネガティヴな感情は不特定多数に伝わる。いや、伝わってしまう。いいことも、悪いことも。

知らない方がいいことは多々あるけれど、知りたい情報だけを手に入れることは難しい。そんな中でも、音楽を聞いたり、本を読んだり、ラジオを聞いたり。幸せに感じるものに触れる時間をできるだけ増やしていくことが、私が一人の時間を愛するための最も近道だと思う。孤独って言葉で表現せずに、自分を大切にしていると感じられてる時間を増やしていく。


時々、謎の苦しさや、妙なハイテンションになる時もあったりするけど、今は自分が楽しめるように毎日をのんびり過ごせればいいかなと思う。周りと比べると苦しくなるから、今年はやりたい勉強を好きなだけしていればいいかな。

こうやって、一人の時間の愛し方を極めていきたい。


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