プラチナ・ジュビリーのJubileeとは?これまでの「ジュビリー」を振り返る
4連休の3日目、さて今日もジュビリーのネタでいきます✨
まずは、ジュビリーについての解説から、ロンドンのフリーペーパーより抜粋!
ジュビリー(Jubilee)とは?
ジュビリーとは君主の生涯とその治世を祝う祭典のことで、聖書に出てくる「ヨベルの年」に起源がある。
ヨベルの年とは旧約聖書の中の1書「レビ記」に出てくる言葉で、土地を7年ごとに休ませる安息年が7回巡った次の年の50年目の年を指し、富の偏在が是正される「原状回復」を意味する年。
ロイヤル・ジュビリーはその名の通り王室にまつわるジュビリーのことで、通常は25周年(シルバー)、40周年(ルビー)、50周年(ゴールデン)、60周年(ダイヤモンド)、65周年(サファイア)、70周年(プラチナ)を意味する。
50年の治世を達成した英国の君主は長い歴史の中で数えるほどしかいない。
これまでの「Jubilee(ジュビリー)」を振り返る
英国では節目ごとに国をあげての祝賀イベントが行われてきた。そうした華々しいジュビリーの歴史と共に、当時の王室の姿や世相をたどってみる。
1977年👑25周年 シルバー・ジュビリー👑
1977年2月6日、女王は家族と共にウィンザー城で記念日の週末を過ごす。
戦後初のジュビリーだったこともあり、同年夏には計6回のツアーで英国全土を訪問、英北部グラスゴー、イングランド、ウェールズへ向かった。
途中の英北西部ランカシャーでは、女王を一目見ようと1日で100万人を超える人々が会場を訪れたという。
後に西サモア、オーストラリア、ニュージーランド、トンガ、フィジー、タスマニア、パプアニューギニア、カナダ、西インド諸島などこれらの宗主国の君主として海外訪問も決行。この年の女王の移動距離は5万6000マイル(約9万キロメートル)を超えたと言われる。
祝賀イベント当日の様子はテレビで世界中に放送され、約5億人もの人々がこの歴史的な瞬間をテレビの前で見守っていた。
シルバージュビリーを記念して、ロンドン地下鉄にあるフリート線がジュビリー線に改名され、線を表す色もシルバーに近い明るい灰色に変更された。(ジュビリー線は違う名前だったのね〜🤣)
1992年👑40周年 ルビー・ジュビリー👑
1992年11月にはロンドン中心部のギルドホールで、王室関係者と当時の首相ジョン・メジャーやロンドン市長など500人以上の昼食会が開催された。
喜ばしいイベントの一方で、同年はチャールズ皇太子の事実上の結婚生活の崩壊やウィンザー城の火事など、女王の私生活としては苦難の年でもあった。
この影響で世間も英王室に対しあまり良いとはいえない反応を示していたこともあり、前回のシルバー・ジュビリーのように大きな祝賀イベントは行われなかった。
2002年👑50周年 ゴールデン・ジュビリー👑
ゴールデン・ジュビリーは、「祝賀」「コミュニティー」「奉仕」「過去と未来」「感謝」「連邦」という6つの主要テーマを基にさまざまなイベントが各地で開催された。
2002年には姉のマーガレット王女、クイーン・マザーが相次いで亡くなるという女王にとっては辛い年になったものの、ルビー・ジュビリーと打って変わった華やかなイベントの数々が開催された。
女王はシルバー・ジュビリーと同じく、フィリップ殿下と共に再び英国内や連邦国への訪問ツアーを行う。
1万2000人以上の一般市民も参加したバッキンガム宮殿の庭園でのクラシック音楽コンサート、ウィンザーの聖ジョージ礼拝堂、ロンドンの聖ポール大聖堂で礼拝があり、ポール・マッカートニー、ブライアン・アダムス、エルトン・ジョンによるコンサートがバッキンガム宮殿で開催され、夜には特大の花火も打ち上げられた。
音楽とともに市民一人ひとりが女王を祝う、より自由な雰囲気が漂うジュビリーとなった。
2012年👑60周年 ダイヤモンド・ジュビリー👑
2007年にフィリップ殿下との結婚60周年を祝った5年後、再びフィリップ殿下と共に全国的なツアーに出る。
英国には日曜のランチまたはディナーにサンデー・ローストと呼ぶたっぷりとした食事を取る伝統があるが、6月のジュビリー週末では、「ビッグ・ジュビリー・ランチ」と銘打ち、近所の人や友人たちとランチを楽しむことが奨励された。
人々はレストランでの食事はもちろん、家の前などの道路に長テーブルを出すストリート・パーティーも街のあちこちで開催された。
2017年👑65周年 サファイア・ジュビリー👑
本ジュビリーはウェストミンスター寺院で鐘が鳴らされ、王立騎馬兵隊や砲兵隊などによる祝砲が上げられた程度で、大規模の祝賀行事は行われなかった。
抜粋終了✨
改めて70周年の歴史の重さを感じますね〜🍀
明日はいよいよ連休最終日🌈
引き続きプラチナジュビリーホリデー楽しむぞ〜✨