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べちゃべちゃのチャーハンがほんとうは世界一好き


うちは母子家庭だった。
といっても、寂しかった記憶はあまりない。

夜の仕事で昼夜逆転している母に変わり、祖母がずっと一緒にいてくれたから。

小学生の時に祖父が亡くなってから、高校生の時に母が再婚するまで、祖母、母、私の女だけで暮らしていた。色々思うところもあるけど、それでも楽しく過ごしていたと思う。


仕事をしている母に代わり家事は祖母の仕事だったので、料理も基本的には祖母が作っていた。朝はおにぎりかトースト、昼は素麺や蕎麦、夜はその日によって。

もちろん母が休みの日は時々作ってくれたり、少し大きくなってからは私が手伝うこともあったけど、それでも基本的には毎日毎日祖母が作ってくれていた。


ただし、食事を作ってきた年月とは別に、祖母は料理があまり得意じゃない。昔貧乏していたからか、食べられるものはなんでもおいしいといい、更においしくすることにあまり拘らない節がある。

だから、ご飯と味噌汁、生野菜と茹でた野菜といったメニューの日もあれば、何故か鍋に昨日の残りの焼き魚が入っていたこともあった。

今思えば作ってもらえるだけありがたい話だけど、当時は「なんでこうなるの?」と思ってたし、ちょっと呆れてた。


その反面教師、と言っていいのか、私は手間がかかる料理を作るのが好きだ。時間が許せば夕飯に3時間くらい掛けてつくりたい。

母も料理は好きで、今は料理関係の仕事に付いている。ちゃんと聞いたことはないけど、子供の頃からうちは貧乏だった上に祖母は料理が下手だった、と、ことある事に言っているのは、こういう事情が関係してるじゃないかな。

そんな祖母が、昼ごはんによく作ってくれた料理がある。
それがチャーハンで、私は祖母が作る料理の中では一番好きだった。

昔から祖母が作るチャーハンだけはパラパラで、まるで中華料理屋で出てくるほどおいしい……というわけではない。

むしろ、お米はべちゃべちゃしているし、毎回味は安定していないし、むしろ具材も何故それを入れる!?というものが入っていたりする。

だけど、暫く食べていないと、無性に恋しくなるのがそのチャーハン。
私が祖母の味に似せようとしても、やっぱりどこか違う。こういうのを、母の味ならぬ祖母の味って言うんだろう。


だから、もう高齢の祖母は作るのが大変になってきていると分かってはいるけど、疲れていたり、落ち込んでいたり。そういう時は、作って欲しい、と甘えてしまう。
そして、祖母は私のそういう甘えを必ず許してくれた。

そして、私は許されている、という確信があるから、私は毎日生きていられるような気がする。


祖母は今年でもう78歳。歳の割にはまだまだ元気な方だけど、身体はどんどん衰えているのが見ていて伝わってくる。
それが、私は少し怖い。子供の頃から、私は祖母が年老いていくのが怖かった。

でも、だから、元気でいれるうちは、またチャーハンを作ってほしい。出来るのなら、ずっと、元気でいてほしい、なんて。


そんなことは無理だとわかっているけど、でもそれを、ずっと、ずっと、祈っている。




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