神様に愛されている
どうも、追い風しか感じないゆきです。
「あ~私神様に愛されてんなやっぱ」
たまにこう思う。神様という存在は基本的に信じていないし無宗教だけれども、神様という存在を認識することがある。
私でもないし、他人でもない、世の中や私を導かんとする存在。
そんななにかに、「いいよ~」と背中を押されている気がするのだ。
全て自力でもないし、他力でもなく、様々な要因が複雑に絡まりあって、タイミングやご縁なんかの要素もふんだんに盛り込まれ、なにこのオイシイ状況?となるのだ。
それを、神様が背中を押してくれているんだと思っている。
こう感じた最近の出来事を挙げると、
まず第一に、人生の夢とか目標と呼べるような欲求が生まれた事。
もともと自給自足や自立・独立なんかの生き方や在り方に関心があって、大学生から自分も親元を離れ一人で、人の力を借りて生きて来て、自然や生き物が好きで、人と出会って、みたいな生き方を5年間くらいしていたら「自給自足しながらコワーキングスペース兼カフェみたいな居場所を営んでみたい」そういう願望が湧くようになった。
未来を描いたりする事を全くしたことがなくて、”今を生きる”刹那的な生き方を好んでいた私にとっては、将来こうありたいから、今こうするという思考が初体験で、とても面白いしワクワクしている。暫定的なもので、これから状況や出会いなんかで変わる事はいとわないが、そういう欲求が芽生えた事と、そういう思考をしたということが自分の人生においてはじめての事であり、また一つ人生が面白くなった気がして、ハッピーである。
第二に、そういう夢みたいなものを話せること
馬鹿にされないし、誰かの影響でしょ?とも言われないし、
ただただ「面白そう、素敵、いいね」と肯定してもらえる環境にいて、それは自分で決断したことで手に入れた環境であること。このシェアハウスほんと好き、最高、素敵、ありがとう。
慣れ合いやお世辞とかうわべのコミュニケーションじゃなくて、みんなやりたいことやって、できる事やって、そういう行動力と決断力がある人たちだから肯定してくれてうれしいというか。
そんな居心地の良さがあるのです。
しかも、昨日、内定式後の研修でキャリアデザインと称して自分の30年後のキャリアから逆算して何をしたいか・どうありたいかなどを考えるワークショップを行ったときに、こういうありのままの夢を綴ったところ、まったく否定されなかった。むしろイイねみたいな。
その上、懇親会でも別の人に伝えたところ、「自分も副業してるし、イケるよ!」みたいな感じで、背中を押されたことがとても嬉しかったし心強かった。「マジ?私この会社ずっといないかもしれないような事を言ってるけどいいんだ?」みたいな。矛盾してるかもしれないが、そんな個人の夢や生き方を否定しない会社に沢山貢献したいなと思った。そういう内発的なやる気を引き出してくるような会社を選んでよかったとも思った。
第三に、タイミングがかみ合っている事
徒歩5秒くらいの隣の建物でカフェがオープンするということで、ちょうど引っ越してきてバイト先を探していた私は求人の張り紙を見てすぐに連絡した。面接から大変好感触な反応で、今はオープニングスタッフそして最年長のアルバイトとしてリーダーを任されている。いやもうそれは頼られてる。なんでそんなにしっかりしてるの?って何度聞かれただろう。自分も23歳なので・・・。というのは建前で、私もいろんな紆余曲折・失敗経験をしてきてコミュニケーションを学び仕事のやり方や世の中や自分を知ってきたのである。その23年を認められている気がして嬉しい。私が苦労したりもっと良くなりたいと思って意識してきたことはちゃんと今に活かされているのだと思う。
オープニングスタッフとしての経験が今後に活かされることは間違いないし、これから自分がやりたいと思うことに活きる、必要な経験だと思う。
また、新たなビジネスコミュニティに属するということは、これから社会人になる私にとって、コミュニケーションスキルを向上させるベストな場であると言える。仕事では、ネゴがめちゃくちゃ大事だと感じていて、今までそういうコミュニケーションスキルを意識したことがない、むしろ避けていたから、学びの場ができた事はとてもありがたい。すごく欲しいと思う。若干自分のコミュニケーション能力の伸びしろの限界を感じていただけに、さらに鍛えられそうな新たなフィールドが見つかって、努力の道筋ができ、やる気がマンマンである。ネゴ力つけるぞ~!
そんな、追い風を感じている最近である。
それでは!!