私の履歴書の空白期間
どうも、人生の夏休みを過ごせるなら何をしますか、ゆきです。
先ほど、起床してツイッターをチェックしていたら、知人Aのツイートを知人BがRTしていてたまたま見つけたnoteを見に行き、「え、今の私の事じゃん!!!!」となって書かずにはいられなかったので、私の履歴書の空白について書きます。
私の『履歴書の空白』の概要は、就活をやり直そうと思い大学を休学して走り出したはいいものの一度座ってしまうとなかなか立ち上がる事ができず、応援者が離れて行きそうになったため慌てて走り出したらノってきて、「どうよ!?」と横を見たらそこには誰もいなかった。そんな感じです。
休学をしていると言うと9.9割くらいの人に「海外?」「留学?」と聞かれ、「チッゲーヨ!!」と思っていた、まさに、何の大義名分もなく、何者でもなく、何の肩書もない空白期間でした。
長くなったので目次を付けてみます。
1.休学するまで
私は今大学を休学しています。
休学を決めたのは大学4回生の6月。その年の2月末から就活というものを始め、人事の人や会社の人と仲良くなったりしながら楽しくやっていました。”こうやる”という王道なものやテンプレートがよく分かっていなかったし、なんとなく、興味のあるベンチャーを中心に話を聞きに行ったり面接を受けてみたりしていました。
当時の私は「どこでもいいから働きたい!」というポテンシャルで就活をしていたと思います。実際、4回生になると否が応でも周りが就活を始め、就活の話題であふれ、社会人にならざるを得ない空気が広まり、私もどっかに就職してそれなりに仕事をせねばと思っていました。自分のコミュ力や課題発見・解決力に自信があったので、「仕事くれたらそれなりにこなすぜ!」という自信はありました。
私はのんびり屋さんでした。今、当時のスケジュールを振り返ってみても、受けている会社数も少なく、ESを書くのも面倒だったため1つ1つの会社にじっくり向き合うスタンスで会社と関わっていました。現実問題、スーツやカバン・パンプスを買ったうえで生活を回しながら就活のための交通費や諸費用を出せるようなお金の余裕がないというのもありましたが・・・。
そういった就活を経て、すべての会社に落ちました。合わないなと思って切った会社もありました。見てる・受けてる会社、めちゃくちゃ少ないのに。
あまり人の事を気にしない性だったので、就活がどうだという話を周りとした事はあっても、あまり事細かに聞くものじゃないなと思って、周りの就活がどうなのかはそんなに知らなかったです。
そんなこんなで、お金も本当に無くなり、5月末の時点で1社残っていて、
「この会社に落ちたら就活やめよう」
と思っていました。生活が回せてないのに、就活なんてできません。就活をしながらバイトをしてお金を稼ぎ、そのなけなしのお金は生活費と就活費に消えていく。それは結構キツいものでした。
今、自分の足元がぐらぐらなのに、未来の事をキラキラと思い描けるメンタルは持っていませんでした。
親に激しく反対されると思いきや、「自分でなんとかするから!休学させて!やりたいの!」と、就活で培った前向きな物言いで親に認めてもらい、私の履歴書の空白が始まったわけです。
厳密には、学生なので、履歴書の空白とは言えないかもしれませんが、私はこの期間を人生の夏休みと呼んでいます。
2.いったん、夏休みを満喫してみる夏
さあ、晴れて自由の身だ!
周りにはまだ就活をしている人もいるし、街中にはリクルートスーツを着た人もいっぱいいます。
もともと絵を描くことが好きで、フライヤーを作った経験もあったことから、「デザイナーを目指そう」と思っていました。そんな折に、高校の同級生から「休学したならインターン興味ない?」と、デザイナーのインターンをおすすめされます。なんてタイミングで話が来るんだ!と感激した私は二つ返事でそれを受け入れ、面接にも合格し、夏に2週間ほどデザイナーのインターンへ行きました。
業界でも高水準の給与・知名度・ホワイトな環境などなどが揃ったすごくいい会社でした。でも、インターンを終えて「働きたいのはここじゃない」と思いました。「こんないい会社に対してそう思ったってことは、デザイナーになりたいわけじゃないのかも。」とあっさりデザイナーの夢を諦めました。
そのほかには、ボードゲームを作るイベントに参加して結成したチームの人たちと、自分たちのオリジナルのボードゲームを作り、イベントで出店しよう!と言ってボードゲームを作り、売ったりしていました。
3.甘い蜜を吸う秋~冬
さて、春、私には恋人が出来ていました。
海外と日本で結ばれていたため、秋に、彼が日本へ帰国します。彼は日本人です。
結ばれて4か月ほど海外との遠距離→帰国後(ほぼ)初めて会う→そのまま同棲を始めるという流れでした。散々周りも驚いていましたが、改めて文字にするとぶっ飛んでいますね。
そんな感じで、秋~冬は彼との楽しい恋人生活を送っていました。たまにイベントに行ったり、ゲーム作りを進めたりしながら。
私は本当に怠惰な人間なので、この幸せな環境に身を任せ、だらけきっていました。3月に入っても、全然就活する気がありませんでした。
「このままだと別れる」
そう別れ話を切り出されて自分の現状に気づくほど、だらけきっていました。
それはイヤ!ということで出遅れながらも就活を再開。彼はいったん実家に帰るということで同棲生活も解消。
今度の就活は沢山企業を見て、聞いて、鬼のように働き活動費を算出し、鬼のように動き回り、なんとかやり終えました。
彼の影響や、自分自身が頑張ったということもあって、私は「どうよ!?ゆきちゃんやればできる子!!!」と自分の成長を強く感じていました。でも、なんかおかしい。彼とのやり取りに、違和感を感じる。あれ、これは、何?
4.自分を何とか出来るのは自分しかいない。
フラれました。
どう思っているんだろう、と尋ねたところ、もう好意はなくなっていたようでした。今度は私も納得破局。好意がないと言っている相手に対しどうこうできるもんはありません。自分が人間的にググっと進化したなと思っていただけに、大好きな相手にそう伝えられたのはかなりのショックでした。
それがこの夏の出来事だったわけですが、そのあとはもう変化の連続でした。まず、バイトをやめました。女子多めのバーでバイトしてたわけですが、客との会話内容はもちろん、たばこの煙が充満しクーラーからはカビくさい空気が排出される劣悪な労働環境に加え、店長に理不尽な八つ当たりをされたことから「やめます」と口に出していました。
人生を変えるには、①人間関係、②仕事、③住む環境を変えればいいと言われているみたいです。私は後から知ったのですが、失恋という出来事を経て自分なりに変えようと無意識に行動したのかもしれません。
そして、仕事を失った私のもとに、移住の話が舞い込んできます。
え、移りますよ。そりゃもう。
シェアハウスに住むことになりました。
もう5年も一人暮らしをしていると、とにかく人が恋しくなるわけで、誰かとご飯が食べられるかもしれないという所に大きく期待をしています。自分の作った料理がめちゃくちゃ美味しいので、それを誰かとシェアする生活が今一番の楽しみです。
さて、失恋後およそ1か月で、仕事に次いで住む環境を変えました。いや私、たくましくない?自分を何とか出来るのは自分しかいないと身を持って感じています。まあ、もともと経済的に豊かではない環境で育ってきただけに、自分で何とかするマインドは持ち合わせていたわけですが、自分の行動力にはびっくりしています。
5.私の空白期間とは
私にとって、この空白期間は、自分を受け入れた大切な時間といえます。自分は怠惰で怠けた人間だけども、それはそれでよいとして、何とか人より得意なことをやったり、人に力を貸すと、ハッピーであると実感しました。
世の中にはいろんな人がいるということ、自分もその中の一人であるということ、生き方に決まりや”べき”などないこと、自分を受け入れる事、人を受け入れる事、などなど、いろいろなことを自分の中に腹落ちさせてきました。
私はこれまで、情緒が不安定で、「自分が許せない」「死ね」という気持ちで何度もーしてきました。ちょっとまだこれはnoteには書けません。でも、この夏に大好きな人にフラれ、かなり精神的なショックを受けたにもかかわらず、そういった行為に走りませんでした。これは私の中ですごい進化なんです。
衝動的にならず、時間をかけて気持ちを整理していることに、環境を変えるために行動したことに、自分が一番驚いています。
そんな、私の人生の夏休みでした。
それでは。