1万時間ってどれくらいの攻撃力なのか考えてみたくなった
はじめに
この文章は夜中にシャワーを浴びながら考え事をしてる時に思ったことをただただ書いていくつもりなので活字中毒の人間もしくは初心者の文章に触れたい少し独特な人間向けだとおもて頂いて構わない。ソースも曖昧な誰の役にも立たない内容だと考えている。
考え事は突然に
きっかけはtwitterのタイムラインを眺めていた時に目に留まったRush GamingのLukeさんのツイートだった。
様々なリプライが引っ付いているが
そもそも1万時間の法則について初めに語られたのは長期間にわたる計画的な練習がプロフェッショナルと呼ばれるような技術的に秀でた人間を作っているというようなものであったはずだ。知識や考え方というものとはここで言う法則とは全くの別物であるように思える。芸術分野やスポーツ、もしかしたら医者や宇宙飛行士のような人間についても技術の一点のみに限っては同じ法則が適用されているのかもしれない。
この法則の本質、元の意味合いについては調べてみればいくらでも記事や書籍が検索でヒットするはずなので先にも述べたがこの文章は何の役にも立たない。昔観たYoutubeに上がっているtedの動画は参考にしてもただ観るにしても面白いものになっていると思う。
リンクを貼るために遡ったが7年も前の動画になってしまった。そりゃ歳もとる。
ここから先は私がシャワーを浴びながら考えた内容だ。話半分に聞いて欲しい。このせいでシャンプーを二回もした。
小中学生の時期から継続して高純度の練習を積み重ねた人間はまず間違いなく技術的にはプロフェッショナルの条件の一つを満たしていると思う。実際には生まれ持った才能や練習以外の時間に身を置いている環境も彼や彼女がプロフェッショナルとして成功するかどうかというところは影響を及ぼしてくるだろう。金銭に不安を抱えているとIQが下がるというような記事をどこかで見た記憶もある。1万時間の努力も環境やその質があってこその一つの要因に過ぎず複雑に絡み合った末に今の私たちの技術的な能力をもたらしている。
我々の1万時間
話が全く別方向に行っているかもしれないが、「勉強する意味」について考えることは少年少女にとっては流行の音楽を聴くことと同じくらい一般的なことだと認識している。間違っていたら完全に私個人の偏見なので謝っておきたい。各々個性的な答えを持ち合わせているだろうが、私自身の答えとしては情報リテラシーを身につけるためだと割り切って退屈な授業も乗り越えてきた。必要な情報にアクセスして自由に使用するような感覚だ。知識とは全く別の要領の良さや時間の使い方というのは技術分野と言ってもいいのではないだろうか。もしそうであるならばここには1万時間の法則を当てはめても問題ないのではないだろうか。
話がやっと見えてきたでしょうが、学校教育の1番の恩恵というのは友人とバカをやったり、部活動で技術の成長を喜ぶこと、好きな女の子を想って一喜一憂することのどれか一つではなく学校というものに所属することによって生まれる決められた時間のリズムなのではないだろうか。やっとお風呂場で考えたことにたどり着いた。
この文章を読んでいるあなたにどれほどの経験があって何年人間をやっているのかはわからないが、おそらく通勤通学の空き時間や飲み過ぎて昼に起きた休日の時間を少しだけマシに使えているのは学校に通っていたからかもしれない。その予行演習として決められた時間でのペース配分や行動の所要時間の逆算を練習させられていたのかもしれない。学校は嫌いだったがそう考えると学校に通えて本当に良かったと心から思う。基本的に飛び級制度がないが故に日本人は最低限のタイムマネジメントや物事の優先順位を付けられるように長い時間をかけて調教されていたのかもしれない。
時間の使い方のプロフェッショナルになり得る要因を少なからず一つはクリアしている私たちはこれから何のプロになるのだろうか。好きに時間を使えばいいとは思うがせっかくなのできっかけに立ち戻ってみることにしよう。
FPSプロプレイヤーの技術的練習
FPSジャンルの競技シーンで活躍しているプレイヤーはかなり若い年齢に限られているように思う。そうでなくても年齢を重ねたプレイヤーが活躍しているジャンルは多くないように感じる。まず練習時間に関して考えてみる。基本的にチームを最小の単位として練習できるのは全員のスケジュールを合わせる必要がある。個人的な理由で穴を開けることは許されないはずだ。実際、野良連合時代のWokkaさんは選手活動引退の際にYoutubeに動画をあげていた。
さらに交流戦や混合を行うにはそれ以上の人数の時間を合わせる必要がある。もし社会人として世に出ている人ならば平日は夜しか交流戦を行うことができない。しかし思い出して欲しい、プロフェッショナルの領域の技術の習得には長期的な1万時間の練習が必要だったはずである。ゲーム分野における技術というのはチームではなく個人を最小の単位とするプレイヤースキルに該当するものだろう。社会人のプレイヤー達はいつ個人練習するのだろうか。そんなことを考えていると社会人になる前に個人練習、1万時間の練習によって手にすることができる技術を身に付けて自らの練習時間を確保するためにチームを探すしかないのではないかと思えてきてしまう。
もしくは技術的な練習をすることによって配信や動画投稿により金銭が発生してしまえば生活しながら1万時間に及ぶ練習ができるかもしれない。記憶が曖昧だがパワプロのプロプレイヤーに配信での収入を盾に仕事を辞めた人がいた記憶がある・・・
流石wellplayed、すぐに検索に引っかかってくれた。ぜひ続けて後編まで。
タイトルやジャンル別で考えてみる
賞金がない時から格闘ゲームのプレイヤーは大会や練習を生活の一部に組み込んでいた印象がある。大会のために練習するという姿勢というよりは個人の技術の向上のために練習をしていたと思う。プロと呼ばれるプレイヤーとアマチュアに分けられるプレイヤー達の時間の使い方はもちろん違うだろうが個人の技術が対戦において占める割合が大きいように思える。
パズルゲームやカードゲームにおいても同じようなことが言えるかもしれない。個人練習で磨いた技術がそのまま対戦での武器になる。もちろん個人であっても戦略は疎かにできないが自分で時間をコントロールできることは他のジャンルでのプロシーンや大会で勝つためには大きな差になり得るだろう。
近年ではバトロワのように人数が4人から1人の様々なルールでの大会が行われている。お互いに時間を合わせて練習する人数が少なければ少ないほどスケジュールには融通が効くだろうしバトロワであればスキルマッチが基本的には常設しているはずなのでどんな時間でもある程度の質の高い練習はできるのかもしれない。
過去にはHaloが2人チームだった記憶がある。時間の合う相手を探してチームを組んだり、対戦相手を探すことの人数的なネガティブな要因は少ないように思える。
様々なジャンルのゲームを引っ張ってきたが結局そのタイトルの流行り具合がプロシーンや大会の開催頻度や賞金の有無に影響することは間違いないはずだし、好きじゃない限り1万時間なんて技術練習に費やそうとは思わないはずである。
ゲームにおいて技術の天井も上昇率も何もかも情報が足りていないように思うのでFPSのジャンルにおいてこの練習時間の壁のようなものに挑戦するプレイヤー、それを応援してくれる企業もしくは個人の技術のみで成り立つFPSの競技タイトルが生み出されることを楽しみにしながら今日もエンジョイ勢の私はのんびり遊ぶ。
学生時代の経験や過ごし方が今の私たちに1万時間の練習以上の影響を与えているとしたら過去の私は同じように青春の炎に薪を焼べるのだろうか。って話でした。おしまい。
最後まで読んで頂いたそこのあなた、ラブリーです。コメントでもどんな形でもあなたの感想、意見をお聞かせいただけたら私は幸せです。