今更ながらアップスオーナー自己紹介!!
Wagwan, fam?! こんにちは。APPSの伊藤です。
オープンして1年半経ちましたので、超今更なのですが、
APPSのオーナーである私自身について紹介したいと思います!
noteなので、結構ガッツリ細かく赤裸々に紹介します。
人生遍歴〜幼少期・学生時代〜
幼少期(1987-)
1987年7月生まれ。
両親がブラックミュージックやJAZZが好きで、家では、ビートルズやEarth Wind&Fire、Stevie Wnder、Carpenters、Eric Clapton、Eaglesなどが流れる家庭に生まれる。
ある意味幸せだった小学生時代(1994年-)
アニメや映画が大好きで初めて観たライブは影山ヒロノブ。
髪の毛は母親に切ってもらっていたおしゃれ知らず、食うこととゲームをすることが幸せ、十八番はCHA-LA HEAD-CHA-LAなオタク気質なナードボーイ。
小4の時、スラムダンクと友人の影響でミニバスチームに加入。
友達にも恵まれ、異性も意識せずなりふり構わず好きなことをやっていたのである意味では最強に幸せな6年を過ごしていたと思いますね。
ひたすらマリオ、ストツー、ポケモン、メダロットやドラクエモンスターズスパロボをやっていました。漫画は中華一番が好きでした。
【ハマっていた音楽】
当時のアニソン全般、仮面ライダーや戦隊モノ、ガオガイガーなど勇者モノ。
【マイファッション】
小1から小6までサッカーが好きというわけでもないのに、Jリーグのヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ)の帽子を気に入って被り続けました。
パンクロックに出会う中学生時代(2000年-)
中学に上がり、ブルーハーツ好きの担任が青空を帰りの会で合唱しよう提案し歌うことになり、どんなバンドだろう?と気になったので、近所の中古CD屋へ。
そこで、「LIVE ALL SOLD OUT」を見つけ購入。
どの楽曲からも衝撃を受けてどハマりします。
以後、中学3年間は、ブルーハーツとハイロウズが毎日BGMとして流れます。エアギターしながらマーシーのハモリを真似たり、ゲームを消音にしてやりながらBGM代わりにも流したりするほど笑
中二で見たハイロウズのライブの衝撃は今でも忘れられません。
爆音過ぎて、1週間耳鳴りが止まなかった。カッコ良過ぎた。。。
そして、14歳の時に、十四才がリリースされたことも衝撃でした。
アルバムHOTEL TIKI POTOリリース後から活動休止までFANJETに加入してました。
マーシーになりたくて、兄が持っていたアコギを触っていたんですが、Fコードがどうにもこうにも押さえれず挫折(後に弾けるように)。次にかっこいいなと思っていたドラムを始めることに。
異性を意識するようになったので、格好は当時流行っていたストリート系。
SupremeやStussy、Goodenoughなどはもちろん買えないので、それ系の無名ブランド?を買ってもらって着ていました。
部活はバスケ部。スタメンや県代表に選ばれていた時期もありました。
部活引退後は、食べ過ぎでふくよかに笑。身長165cmに対して、約80kgくらい。。。
中学校から家が近買ったこともあり、下校時のみんなの溜まり場で、いつも5~6人集まって、庭でバスケしたり、TVゲームをしていました。MARVEL VS CAPCON2はみんなでめっちゃやりましたね。
当時所有していたゲーム機は、PS2、ドリキャス、ゲームキューブ、X-box、ゲームボーイアドバンスとかなりのゲーマー。
そして、中三の卒業のタイミングで初めての彼女ができます。
人生の階段を着実に登っていきます。
【ハマっていた音楽】
THE HIGH-LOWS、THE BLUE HEARTS
【マイファッション】
近所のB系ファッションショップのダボダボパーカーとデニム
古着に出会う高校生時代(2003年-)
とりあえず誰でも行ける高校だし、友人がいるからと工業高校へ進学。
入試テストは四角形の展開図。試験直前のある日、ケンカしてとにかくイライラしていたので壁を殴ってしまい、右手小指骨折。。。。恥
ギブスした状態で展開図描く時、非常に邪魔だったんですが無事合格。その年は、落選者は1人だけでした。
ある日、他校に入学したおしゃれな友人が大須へ行こうと誘ってくれて、初めて古着屋さんへ。その時初めて買ったのが80s Adidasの赤トラックジャケットとブルーチェックのヘビネルシャツ。高校に入ってすぐに、近所のKFCでアルバイトを始めていたので自分のお金で買い物ができるように。
その後、古着にハマり間食をやめ、ウォーキングを毎日して20kgのダイエットに成功!そして、高校生になってゲームを一切しなくなり、ゲーム機も全て手放しました。
(この記事を書きながら、古着に出会って22年経つことを再確認しました!)
当時一番ファッションの参考にしていた雑誌は、Choki-Choki。
元キングの奈良さんや馬場さんがいる時代。(現在は馬場さんにヘアカットしてもらっています。感慨深い物です。)
部活は、ブラスバンド部。ドラムセットがあったのが理由。
人員不足から高一で部長に。(一時期モヒカンヘアにしていて、なぜか時代錯誤の「ベッカムヘア」と言われていました笑)
同時にバンドも結成。名前は、4人編成のStrument Style(のちにボーカルだったいで3ピースになりDouble Clutchに改名)。ジャンルはメロコア系でハイスタ、Sum41、スネイルランプ、ホルモン、ロコフランクなどのコピーやオリジナル楽曲も披露していました。全盛期には、100人以上のオーディエンスを集客し、さらに名古屋のバンドコンテスト優勝。←審査員には、たのきんトリオの野村義男氏やプリンセスプリンセスのベースの渡辺敦子氏が。コンテスト後には、ライブも披露してくれてかっこよかったです。よっちゃんと握手した時、ものすごくデカかったのを記憶しています。
【ハマっていた音楽】
Blink-182、Green Day、 Good Charlotte、New Found Glory、Yellowcard、Matchbook RomanceやMotion City Soundtrackなど。
レンタルCD屋さんでJ-POP週間シングルランキングの上位をとにかく借りる。
【マイファッション】
古着全般、HARE
高三に上がる前に、初めての海外へ(オーストラリアのケアンズ)。
自分の英語が通じる快感を覚えます。
留学できる大学を目指し、高校のALTと毎日昼食を食べるように。
ここなら留学が必ず行けると中部大学人文学部英語英米文化学科を英語の先生に教えていただき、AO入試で見事合格。
音楽とファッションの吸収しまくり大学時代(2006年-)
大学の英語英米文化学科に入学し、2年生に上がるタイミングで約半年の留学へ。
アメリカのオハイオ希望でしたが、定員いっぱいで第2希望のオーストラリアへ行くことに。結果的にはオーストラリアで良かったですね。
当時仲良かった友達がみんなアメリカだったので、変につるまず現地の人と常に関わるように過ごせました。
場所はアーミデール市にあるニューイングランド大学(UNE)。
寮の庭にはカンガルーが普通に放牧されているような長閑な場所。
でも、早朝からクラブミュージックが爆音でかかったり、賑やかではありました笑。
友人もたくさんできて英語も入寮したばかりの頃は、挨拶程度しか話せなかったのに、最後には日常会話ができるほどに。ターニングポイントと言われる英会話している夢もバッチリ見ていました。
授業サボって、友達の車で8時間くらいかけてシドニーに行ったり、校内のライブハウスで現地の人とライブ開催したり、色々な経験ができました。
現地での部活は、バスケとブラスバンドの2つに所属。
ブラスバンドでは、コンテストで演奏したり、良い思い出です。
(10年後にシドニーで、留学で最も仲良かった現地の友人と再会できたのは本当に嬉しかった。車も出してくれて、レストラン代も奢ってくれました。超男前でしたね。)
帰国した時に、大学でファッションを楽しむサークルMix Juiceができたことを先輩に聞き、入部しないかお誘いいただいたので、すぐに入部!
そこでは、いろいろなブランドの勉強もし、古着からハイブランドまで楽しむようになります。
当時は、自分たちで服をリメイクしてファッションショーをしたり、そういったイベントに出たりしていました。一番覚えているイベントは、名古屋・新栄町のダイヤモンドホールで開催したファッションイベント。Nobody Knowsやひとりでできるもんがゲストに来るような大規模なイベントで自分で作った或いはリメイクした服を着て花道を歩いた時、友人達からの私の名前を呼ぶ歓声が聞こえて嬉しかったです!洋服作りは言わずもがな、BGMに合わせたウォーキングは、かなり練習が必要で毎日一生懸命頑張っていましたからね。
【ハマっていた音楽】
音楽通と比べるとかなり遅咲きですが、
Nirvana、Red Hot Chili Peppers、Slipknot、Metallica、Nine Inch Nails、DaftPunk、Under worldなど
音楽はハードロック〜ハウスミュージックまで幅広く聴くように。
アパレル店員さんがハウスやテクノ系DJが多く、クラブイベントに遊びに行くようになり、ダンスミュージックの魅力にハマりました。
【マイファッション】
Rick Owens、Ann Demeulemeester、Jil Sander、Dior Homme、Ksubi、Comme des Garcons、Yohji Yamamoto、Mihara Yasuhiro、Visvim、Supreme、Mihara Yasuhiro、Giorgio Brato
この辺りを頑張って着ていました。今思えば完全に着られていたし、身の丈に合っていなかった。。。でも、こうしたファッションへの自己投資が現在に繋がっているとも思います。
おかげで、音楽もファッションも幅広く理解のある大人に成長しました。
古着だと、ひたすらメタリカやスリップノット、マイケルジャクソンなどのアーティストTシャツを集めていました。
バンドはこの頃、大学で組んだStan+Paulというオルタナティブロック系のオリジナル楽曲のみのバンドを始めます。
大学3年生までに、色々なアルバイトを経験しますが、最後はイオンの中にあるUA子会社のcoenの新店舗のオープニングスタッフとしてアルバイトし始めます。
販売員としてのキャリアはここからスタートします。
coenの研修で学んだUAの束矢理念は、今でも販売員としての核となる大事な物です。(束矢理念:https://www.united-arrows.co.jp/ir/pdf/ar12_14.pdf)
本としても出版されていますので、読んでいただくとなんとなくこういうことかとわかるかと。
人生遍歴〜社会人時代〜
大学を卒業、準社会人へ(2010年-)
世の中は、ちょうどリーマンショック直後で世知辛い就職氷河期。
精力的に就活するものの、最終面談で受かったのに、再度面談して落ちたり、就活に振り回されます。
嫌気を刺して、バンドとアルバイトに明け暮れます。
coenでは、準社員として働き、毎週バンド練習やライブを開催。
バンドの成績としては、ラジオやTV出演、CDもコンスピレーションではあるがリリースし、やれることは全て1回はこなしました。1回ずつですが。。。
その後、私の趣味趣向の変化による音楽性の違いから脱退し、バンドは実質解散。
レコーディングの様子がYouTubeに残っていたのでどうぞ。ドラム+ベースソロ(1:40~1:54)はなかなかいい感じです。
【ハマっていた音楽】
Toe、the band apart、サカナクション、Battles、Tortoise、Jaga Jazzist、Foals、Skrillexなどなど。
学生時代よりもフジロックだったりフェスに行く機会も増え、フェスに出ているアーティストを聴くように。メロディよりもグルーヴが気持ちいい音楽を聴き始めた。クラブにもよく通いました。名古屋だと、JB'sが一番行きましたね。ブロステップの第一人者スクリレックスに関しては、フジのホワイトステージヘッドライナーの時に、最前列で見たり、京都のクラブまで行ったりするほどハマってました。
【マイファッション】
国内ブランドを注目するようになります。名古屋・栄のUNEVENにはお世話になりまくりました。UNUSED、ホワイトマウンテニアリング、sasquach fabrix、SUNSEA辺りにどっぷりハマります。UNDER COVERやNumber (N)ineもハマっていました。
海外だとMaison Kitsuneもハマっていて、とにかくKitsuneのデニムシャツを着ていました。
国体を手伝う準社会人へ(2011-)
バンド脱退当時、地元の役所のスポーツ振興課に知り合いがいたので、声をかけていただきました。そして、国体準備と開催、解体までの約2年嘱託職員としてスポーツ振興課で勤務。
一応市の職員でしたが、仕事は真摯に真面目にやる代わりに、自分のしたいファッションを楽しむのがモットーだったので、パーマを当ててほぼアフロヘアで髭も清潔感ある程度に生やしてました。見た目ではなく勤務態度で見せるタイプでした。
案の定、クレームが市のHPに入ったりしていたので、あれは多分私です。
入職中は、市のマスコットや県のマスコットの中に入ってPR活動もしていた。食卓なので低賃金ではありましたが、外回り仕事が割と多く、色々な人と関わりながら働く経験は楽しかったです。
市長や市の事業者方と東北の震災ボランティアに参加したりもしました。
正式な公務員となる為、仕事をしながら勉強に励み試験を受けるが、筆記であっけなく落ち、転職活動を始めます。
【ハマっていた音楽】
Jazzy Hiphop、R&BやSoulなどブラックミュージックにのめり込む
Robert GlasperやChris Dave、ディアンジェロなど
一方で、Skrillexから派生してZeddやCalvin HarrisなどEDMも聴いていたし踊った。
【マイファッション】
変わらず国内ブランドUNUSED、ホワイトマウンテニアリング、sasquach fabrix、SUNSEA辺りを着ます。相変わらず名古屋・栄のUNEVENお世話になりまくります。
上京を決意!人生のターニングポイント(2015-)
その後、名古屋の有名アーティスト送迎や地元の自動車産業系工場の現場作業員として従事していました。
工場の時もファッションのこだわりがあり、いつも金髪に染めていましたが、しっかり仕事はしていて勤務態度を評価していただいていたので、社長とよく更衣室で一緒になりましたが一度も注意されたことはありません。
工場を約3年勤めていた28歳の時に、このままでいいのかと自問自答するようになります。当時3年ほどお付き合いしていた子と別れ、もっと人生挑戦したいなという気分に。
そして、留学で学んだ語学や対人スキルを活かした人生を目指したいと思い、上京するか渡米するかを天秤にかけました。
大学の教授の元へ久しぶりに訪ねて相談もしましたね。
いろいろ悩んだ末、東京へ行くことに。
最終的な決め手は、食文化。今となっては、具体的な理由は曖昧だけれど、日本食をいつでもお手軽に食べられる環境でいたかったんだと思います。
有給を使い切って退職し、翌日東京で就活を開始。
中目黒で面談する会社へ向かっている途中、「Chez Chau」という期間限定バインミーバーを発見。
その夜がちょうどレセプションパーティであったことから、遊びに行きました。
そこで、オーナーに気に入られ1週間後からアルバイトで働くことに。
まだ家も決まっていなかったので、決まるまでの数週間の間、オーナーの事務所Just Another Agencyの社長室に寝泊まりしていたり、バーの裏が誰もいない住居だったのでそこに寝ていました。社長室にベッドがあったのはびっくりしました笑。出会って以来、お世話になっていて、当店で扱っているYUZUやRINGOのソーダのメーカー株式会社KIMINOの経営者でもあります。
東京のアパレルショップ就職(2015-)
株式会社メルローズ、Converse Tokyo青山店の販売員スタッフとして働き始めます。
青山店が一番長かったですが、新宿ニューマンや二子玉川高島屋、ルミネ横浜、銀座シックスでも販売員の盛り上げ役として勤務。
学生時代のcoenで学んだ核となる束矢理念と同様に、ここで体験したことも現在の販売スタイルに大事な経験となっています。
芸能人やインバウンドの方々など、あらゆるお客様と対面する機会がありました。私個人の顧客様の中でも芸能人の方々もいらっしゃいました。
失礼のないよう振る舞うことや楽しませることなど多くを学びました。
そしていよいよ、2017年11月より、独立を果たします。
【ハマっていた音楽】
FKJやTom misch、Chace The Rapper、the internet、Phony Ppl、Mac Miller(Delusional Thomas・Easy Mac・Larry Fisherman・Larry Lovestein・The Velvet Revival)など、ネオソウルやHipHopが多かった。
【マイファッション】
UNUSED、Name、Auralee、Maison Margiela、古着など
古着屋は、中目のジャンピンジャップや代々木上原のPaletownなどに行くようになる。ヴィンテージよりもグッドレギュラーを好み、GAPやLand's End、Eddie Bauer辺りばかり買っていました。
MINNANOやTOXGOも行ってましたね。
人生遍歴〜独立後〜
古着が好きすぎて独立(2017-)
当時、足繁く通っていたPaletown。オーナーのコウジさんに独立の相談を持ちかけました。その頃、30歳だったので「古着屋でバイトから始めても、独立する頃には、腰が重くなるから自分のお金で始めたほうがいいよ」と背中を押され、独立を覚悟!
MNKM(ミノカモ)という屋号を名付けます。
自分の人生に関わりのあるワードを洗い出し、その中でデザインのバランスや響きがよかったので地元の市の名前から取りました。
よく言われるのですが、決して地元愛がすごいわけではない笑
地元はもちろん大好きですが、それ以上にポートランドや代々木上原など他の地域も大好きです。
そして、独立直前に、NY、LA、サンフランシスコ、ポートランドを1人で周り、買い付け初心者ながらも古着を集めます。その中で出会ったディーラーさんや現地の友人は今でも繋がりがあり、とても大切な存在です。
そして、独立。
当初から、地元にお店を出すということを明確な目標にし、まずは都内を中心にPOPUPのみで活動を開始。
ちょうどインスタグラムが全盛期で、POPUPやオンラインストアでの活動が難なくできる時代でした。
また、上京後の販売員時代から三軒茶屋駅のすぐ近くに住んでいたので搬入搬出も比較的楽に出来、今思うと大変いい環境でした。
当時は、現バレンシアガのアートディレクターであるデムナ・ヴァサリアが立ち上げたVetementsが流行った頃で、ストリートファッションとラグジュアリーが交差する時代で、オーバーサイズブームが始まった頃。
MNKMを知ってもらうために、作ったTシャツとロンTがちょうど時代の潮流にマッチし予想以上に評判を呼び売れました。
piguさんのTenboxやVerdyさんのWasted Youth、Girls Don't Cryも同じタイミングで出てきましたね。
当時Adobeに契約しているものの使った経験は浅く、友人に手解きをしてもらいながら、イラストレーターなどを使えるようになり、オリジナルのプロダクトデザインを精力的に製作し、年間数十回POPUPを開催。
活動の中で、ロゴや制服デザイン・他者とのコラボレーションなど、クライアントワークを請け負うようになっていきます。
こうして2020年には、古着を切り離し、ブランドMNKMとして形態を少し変えて事業を継続しています。
最近では、海外のショップのロゴ制作や某ロックフェスのTシャツやグッズのデザインに携わらせていただいたり、シリーズ化しているセクシー女優とのコラボ商品も手掛けています。
【ハマっていた音楽】
ネオソウルやR&B、ジャジーHiphopを中心に好むベースは変わらずですが、オリエンタルな音楽も好むように。
Syd B、The Marias、Honne、Kiefer、Kehlani、MICHELLE、Leisure、Domi&JD Beck、Kruangbin、Rocketman、Hyukoh、落日飛車、JARAMI、Kokorokoなどなど
あとはシティポップや渋谷系など日本の音楽も再度ディグリます。
【マイファッション】
古着を軸に、UNUSED、Maison Margiela、Auraleeがほとんど。
足元は、ローテクなコンバースやコンズからハイテクなサロモンXT-6まで幅広く。
古着屋は、代々木上原のPaletownと海外に行ったときの向こうのお店やフリマ。やはりグッドレギュラーを好み、GAPやLand's End、Eddie Bauer辺り。Levi'sも80~90sのUSA製517を好んで履いてた。大学生の頃も集めたりしてましたが、映画・バンドTシャツやU.S.ミリタリーもこの辺りから再燃。
プライベートでは、2018年に結婚、2019年に娘を授かりました。
念願APPS GENERAL STOREオープン!
地元で古着屋開業を明確に思い描き始めて早6年。
コロナ禍あたりから世界的な古着ブームにより、古着屋が増え始めた中、いい物件となかなか巡り会えず、古着がブームとして消費されてしまうという不安の中、ようやく見つけた物件の内装が素敵すぎて、即決。
ここなら、ブームに留まらない古着好きカルチャー好きコミュニティが築けると信じ開業準備を始めます。
そして、2023年6月末にプレオープン、
7月1日にグランドオープンを果たしました!
人生最大の夢を達成いたしました!
営業している毎日=夢が続いています。
このお店を通して、お客様が何かにチャレンジするきっかけや新しい価値観を持っていただくきっかけを作れる存在、背中を押してあげるお店でいたいと思います。
世界にも負けないコミュニティになればなと。
実際に昨年末は、「チャレンジします!」という声をたくさん聞きました!
古着を買ってもらうだけじゃなくて、お店の思いが通じたのかなと感慨深い ものがありますね。
【ハマっていた音楽】
3月に吉祥寺で開催予定の妻の個展用に作成したのですが、今の気分を盛り込んだプレイリストなので貼っておきます!
【マイファッション】
古着を軸に、UNUSED、Auralee、Maison Margiela。足元はニューバランス993が定番。雨の日は、ダナーライト。
古着屋は、Paletownや友人がやっている渋谷のLeeloo。
アインシュタインやジェリーガルシアなどおじさんTシャツやコアラやカンガルーなどオーストラリアモノを集めるようになりました。
まとめ
いかがだったでしょうか。
かなり赤裸々に事細かに自己紹介してきました!
(あまりにも赤裸々なので、後日削除するかもしれません汗)
そしてAPPSは2025年1月現在、オープンして1年半経ちました。
おかげさまで多くの方々に、お店の雰囲気やセレクション、コーヒーを気に入っていただいていて、唯一無二な古着屋になっていると思っております。
『居心地・品揃え・サービス』この3つの最高をキープして営業していきたいと思っています。