慶州ノート3 2023年3月
慶州を舞台にしたチャン・リュル監督の映画「慶州」では、死と生、現在と過去、そして韓国、中国、日本という3国の文化が綾をなしている。
孔子の末裔であるというシン・ミナ演じる未亡人ユニは伝統茶屋を営んでいて、そこでは中国茶を淹れている。北京の大学で教授職にあるパク・ヘイル演じるヒョンは中国人と結婚し中国語も日本語も話す。その店にやってくる韓流ファンの日本人観光客は茶屋を後にする時、先の戦争について謝罪をしていくが、そこには静かで暖かい空気が流れている。
映画「慶州」では、一見、相反するものが “ティーカップ”の中でやさしく混じり合っていくような感覚がある。
慶州では伝統茶屋でお茶を飲まねばならんのだ。
17:00PM 慶州民俗工芸村
仏國寺、石窟庵から宿まで帰る途中、新羅の工芸を保存、継承していくために作られた慶州民俗工芸村に寄る。寄り道しながらの帰り道はバスも頻繁にないのでタクシーを利用する。
客がいなくて暇なのか技士ニムは「民俗村は何もないぞ。3時間ほど貸切にしないか?観光地を回ってあげる」「本当に民俗村は何もないところだ」「아무 것도 없어/何もないぞ」「ないぞ、ないぞ、ないぞ、オプソ、オプソ、オプソ…」とかなりしつこい。そんなに言われると何か隠してるんだろうという気になるもんだ。タクシーを降りる時にも恨めしそうに「아무 것도 없어〜〜〜/何もないんじゃ〜〜〜」と吐き捨てて行ってしまい、ちょっと笑ってしまった。
小皿から壺から蓋物から何でもある陶器の店に入り物色する。
弘大あたりの洒落たカフェで出てきそうなマグカップなんかも結構あって、民俗村には若い感覚の工芸家も結構いるんだろう。抹茶茶碗が目に入ったのでいくつか手に取ってみる。真面目な井戸茶碗風なものが50,000〜100,000₩も出せば買えるようだったが、ぴんと来るものがなかったので止める。
店を出ると不思議な伝統茶屋が目に入る。店前にいる等身大の人形が変(笑)。どう見てもサムスン会長イ・ジェヨンにそっくり。なんでだ?どんな因果関係だ?財閥もある意味、伝統ともいえるかもしれないので伝統繋がりか?わからないけど好奇心は止められない。
韓国では李朝時代に入り仏教が排斥されたので、日本の鎌倉時代のように寺を介して緑茶を喫茶する習慣が広がらなかったようである。だからか「伝統茶屋/전통찻집」と言われるところは主に中国茶が出されるようだ。
釜山で辛いものを食べたせいかお腹の具合が本調子ではないので、五臓六腑に良さそうなサンファ茶を頼んだら、まずはウエルカム中国茶が出てきた。
サンファ茶の前に、中国茶やら冷たい飲み物、グリーンオレかと思ったら緑茶が入ったヤクルトみたいなものやトックのような餅まで出てくる。少しも胃は休まらないのよ。これ、セットなのよ。セットのくせに8,000₩しかしないのよ。
柔らかい餅は少し炙ってある。香ばしい香りはこれだった。そしていよいよ石焼ビビンバの器の小さいみたいなのに入ってくるサンファ茶のご登場。滋養たっぷり、苦味もたっぷりな、まさに薬のようなお茶だった。旅行の時だけ、胃が4つとか増えないものか、増えないですね。
タクシーを呼んで宿まで帰る。公共交通が使いにくい時のために、タクシーが呼べるカカオタクシーのアプリをダウンロードしアカウント登録しておくと楽ちん。
18:30 宿
宿泊する韓家はカフェも併設されておりそのカフェがチェックインカウンターみたいなものだ。そこに寄って部屋に案内してもらう。
どの部屋がいいかはAirbnb上でホストとやり取りして決めた。レビューには、掲載されている写真と違うじゃないかとお怒りのものもあったが、所詮、写真なんてそんなものだと割り切っているので、少しくらいイメージが違っても私はあまり気にしない。旅は大事にならない程度の隙間があったほうが面白いものになる気がしている。
ホストは「私の解放日誌」のコンビニ経営者ピョン・サンミさんみたいだった。物腰は柔らかだが「日本が大好きなの!日本のどこから来たの?慶州にはなんで来たの?」と話が止まらないので、チャンヒみたいにじっと聞き続けるのだ(笑)
部屋に入るとすでに布団が敷かれていて、日本の旅館かと思う。オンドルのスイッチを入れたらあっという間に床が、布団が、暖かくなった。韓屋に泊まる楽しみのひとつはオンドルなので、オンドルが有り難く感じられる季節に泊まれるのがうれしい。
大きな門のセキュリティ番号を教えてもらうので、あとは出入りは自由だ。
19:00PM 大豆スープの店
一向にお腹の調子は戻らねど、行くぜ、大豆スープの店へ。
連れの積極的な攻めに対し、お腹の具合も考えた私の消極的姿勢はちょっと切ないが、昼食に食べたものとは違う生卵入りの「C」を頼む。
来ましたよ。
異国の食堂は面白い。出てくるものもそうだけど、周りの人たちの食べ方を見てるのも楽しいね。
韓国の人はなんでも器の中で盛大に混ぜて食べてる印象だけど、混ぜない時もあって、その時はスッカラ(スプーン)で掬ったごはんの上に焼き魚のほぐしたものを乗っける、ナムルも乗っける、えい!最後には辛い味噌まで乗っけちゃえって感じでスッカラを大盛りにして一口でぱくっと行くね。定食の場合のパターンのひとつみたいだ。
隣のテーブルの子供が “スッカラ色々乗っけ” に手間取ってるのを見て、お父さんが魚を乗っけてあげてる間、母ちゃんは大豆スープに無心になっていた。食堂ではその家族の力関係も見えるってもんだ。
店の真ん中に小皿や鋏が大量に置いてあって、各自、必要なものはそこから持ってきている。ヘムルジョン(海鮮チヂミ)も今焼き上がりました!という野生味たっぷりの状態で出てくるので、こちらもがっしがっしと鋏で切る。コングクスを食べてる人たちも鋏を器に突っ込んでばちんばちんと麺を切ってから食べてる。
どうせ切るんだから短い麺を出せば良いというのは、ここでは余計でありサービスではない。そして客のほうもお構いなく、自由にやりますというのが、日本と違うんだな。良いとか悪いとか、日本人は親切とかそういうんじゃなくて、そういうもんなんだ、ここは。で、そういうものがあってもいいんだよ。
ちなみに、大豆スープは隣のテーブルの奥さんと同じく、無心で一気に食べてしまいました。あまりに美味しくて。また明日来るよ。ご馳走様。
20:00 PM 夜の散歩
慶州の夜はライトアップされていて神秘的だ。
だが、食後の私は胃の消化にすべてのエネルギーが集中してしまいがちで、ただぼんやりと目に入ったものをターゲットにとぼとぼ歩く。
遠くに瞻星台が見えたのでやってくる。新羅時代の天文台とか言われてるが、いや〜、高機能望遠レンズもない時代に、ここから何を観測するのか?という高さではある。
ただ、歴史は今の価値観で見てはいけないのだ。天文台と言っても今のような科学的な観測ではなかっただろうな。月や星の動きを見て、明日の吉兆や天運を見ていたじゃねえの?そんで、それが元で諍いとかあってだな、権力と戦う剣術士のキム・ナムギルが現れてだな…とか話しながら散歩は続く。ほんと「善徳女王」を見てからくれば良かったよ、でも長いんだよ、あれ。何度か挫折したんだよ。
人はいないし、入場料は取られないし、周りに余計な情報がないから、想像力は全開で、頗る楽しい夜景散歩だ。
人がわんさか湧いてた東宮と月池だ。ここは有料だ。
貴族たちがこの人口の池に映る月を船を出して眺めていた…って、あーた、そりゃ、時代は後になるが桂離宮の八条宮と同じですな。貴族の考える風流は今風で言うとエンタメみたいなもんだ。酒飲んでダラダラ、どうでもいい話をして歌なんか詠むんだ、いいな、いいな、貴族はいいな。
と思ったら、なんか知らんがカップルが多くて、矢鱈と2人の世界をスマホで切り取っていた。縁結びの謂われでもあるんですかね、それとも風流なんですかね、そんな世界でもある。
ここは復元されたものです。大陸の端っこの半島という場所は今も昔ものんびりとはしていられない。
古いものがごっちゃり残っている京都、奈良は、連合軍のお陰なんで、当たり前と思っちゃいかんのだなということが身に沁みる慶州だ。
肌寒くなってきたし月精橋までちょっとあるので、東宮と月池の入口に停まっていたタクシーにすかさず乗る。
慶州の古墳群がある地域は、高い建物が皆無だから離れたところにある古墳や建物がよく望める。故に遠くにあるライトアップされた荘厳な月精橋は、車の中からどんどんフォーカスが合ってきて、そして突然、ど〜ん!と現れる。案外と重量級だった。
橋は復元されたものだが、韓国ドラマの撮影も度々行われているらしいことは後で知った。ロケ地に疎いね、私は。
このブログタイトルの画像は川に掛かる月精橋だ。私はちょっと離れたところから、川を一緒に眺めるのがオツだななんて思った。
橋の付近は “慶州校村マウル” という韓屋の立ち並ぶ地区で、私たちが宿泊している韓屋もあるのだが、とにかくこの付近も人が少なくて静かで素晴らしい限りだ(笑)。店も閉まってしまい、人がいなくなった閑散としたマウルをぐるりと歩いて韓屋に戻る。