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時は師走半ばの12日…おのおのがた、クーデターです?「ソウルの春」


 (ネタバレ注意報発令中)

得体の知れないカーテンの向こうを覗きたい


 子供の頃、夕飯時のテレビはNHKニュースがついていた。
 ニュースが終われば別のチャンネルに変えられることを待ち侘びてる当時の私はニュースに興味もなかったが、それでもあまりに衝撃的な事件だったので覚えているのは、

  • ミュンヘンオリンピック事件(黒い九月事件)

  • 金大中氏拉致事件

  • 朴正煕大統領暗殺事件

である。「テロ」「拉致」「暗殺」…いずれも、背景など知る由もない子供には得体の知れない怖さだった。

 1979年10月26日の朴正煕大統領暗殺事件からたった1ヶ月半後に起きるのが映画「ソウルの春」で描かれる「12.12 軍事クーデター」である。
 当時18歳だったキム・ソンス監督は、その晩、漢南洞にある自宅に来客が多かったので母親に促されるように外に行ってくれば?と言われて外出したところ、装甲車が目の前を通り過ぎ銃声を聞いたと言っている。
 
 漢南洞と言えば今は大統領の官邸があるところだが、漢南洞、龍山、三角地一帯は、駐韓米軍基地や韓国の国防部、保安司令部、そして幹部の公邸などがあり、南山のトンネルを抜ければ、現在はユースホステルになっているKCIA(中央情報部)があった。
 要するに監督は、まさに韓国の安全保障の中枢が集まった場所で何かを目撃していたのだ。
 しかし次の日の朝刊には小さな記事しか載っていなかった。
 国が民主化されるまで、この軍事クーデターについては表に出て来なかったし、今も史料は限られている。

 私が読んだ韓国現代史の本にも、この「12.12 軍事クーデター」については言及されていないどころか、全斗煥、盧泰愚、崔圭夏の3名の大統領についても詳細は書かれていない。
 あとがきに「民主化後、光州事件をはじめとするさまざまな点について裁判を受けることになった関係上、客観的で詳細な研究がなされておらず、史料的制約が大きかったことが最大の原因」と書かれている。

 キム・ソンス監督がこの映画のシナリオに出会ったのは運命的だと言うのは、まさに個人的体験と自分の国の歴史に対する興味が大きかったからで、それは韓国民もまた同じ思いであったからこそ、この作品に興味が湧いたのだろう。

 それは私も同じだ。
 この「12.12 軍事クーデター」が起きる1ヶ月半前に起きた朴正煕大統領暗殺事件の犯人である金載圭KCIA部長は、遺言に「国民の皆様、民主主義を満喫してください」と書いている。彼は民主化を切望していた。
 朴正煕大統領、車智澈警護室長が亡くなり、そして犯人である金載圭KCIA部長が逮捕され、一気に要職が3つも空いたその権力の空白の期間は、言わば金載圭が命を賭して国民にプレゼントした民主化への道になるなずだったのに、なぜ民主化に導けなかったのか、なぜ全斗煥に乗っ取られてしまったのか、という気にしていた疑問を知る鍵がこの映画にありそうだと思った。

◉1979年10月26日 朴正煕大統領暗殺事件
◉    〃 12月12日  12.12 軍事反乱
◉1980年5月18日    光州事件勃発
◉1987年6月9日   民主抗争
◉   〃 6月29日  民主化宣言   


殿中でござる!朴正煕大統領が暗殺されたでござる


 映画の冒頭、陸軍本部に幹部たちが招集され、朴正煕大統領の死去が伝えられる。大統領暗殺でできた主要権力の空席は、軍事クーデターのチャンスである。そ、そうか、朴正煕大統領暗殺は殿中でござる!だったか。
 
咄嗟に思ってしまった(苦笑)

赤穂浪士が蕎麦屋に集結したが如く、「ハナ会」もクーデターの決起を誓い盃を交わす

 それほどまでに、史実をモチーフにしたとされるこの作品の構図はわかりやすいのである。
 また、事件の起きる日にちも奮っている。

 「時は元禄15年12月14日 江戸の夜風を震わせて、鳴るは山鹿流の陣太鼓…」で始まる忠臣蔵は、講談や歌舞伎、浄瑠璃もしくはドラマ、映画でもお馴染みだが、映像メディアが無い時代にはこの語呂のいい講談調の音で、私たち日本人(どちらかというと古い人間)は「12月14日は討ち入りの日」と覚えている。

韓国映画「ソウルの春」で描かれた全斗煥元大統領による1979年12月12日の軍事反乱は、韓国では「12.12/십이십이(シビシビ)」と呼ばれており、民主化への道のりの苦い歴史のひとつとして韓国人には記憶される日だろう。 
 密かに画策された乱というものは、闇夜が長い冬の晩に息を潜めるように行われるのである、討ち入りもクーデターも。

クーデターの邪魔者たちは接待の場に集められてしまう。一力茶屋で飲んでる場合じゃない!


おのおのがた、クーデターでござる!


 映画「ソウルの春」は史実が下敷きにはなっているが歴史映画ではない。
 エンタメに知識は要らぬ、身を任せれば良い。
 クーデターという風雲急を告げる事態に「人間は一体どういう行動が取れるのか」という「ソウルの春〜人間図鑑〜」を見て、笑い、怒り、涙するだけで良い。
 そういう意味で、この作品は難しそうな背景を実にわかりやすい構図で見せてくれる。

 キム・ウィソン演じる国防長官は、クーデター勃発の銃声の音に驚きパジャマのまま公邸を飛び出す。大笑いである。何故なら国防長官である(笑)。
 そして臆病国防長官は、米軍司令部に逃げ込んでくれる(笑)、期待通り陸軍本部に行かない(笑)。笑い過ぎだ。
 そこでアメリカ大使に「Are You Okay?」と聞かれ、ヘタレ長官は「I'm fine, thank you. And you?」とどこかで丸暗記した挨拶文をそのまま返す鮮やかな無能ぶりを発揮する。英語が堪能な我らがキム・ウィソン俳優が演じるというギャップが良い。
 良い演技というのは、俳優自身と役とのギャップを越えるところにあるということを再確認させられる。
 国防長官の職務は放棄しても、己の防衛力はすこぶる高く、終いにはイ・テシンを解任し、反乱軍と酒まで飲むという風見鶏並みの変わり身の早さでサバイブする様はまさに「ソウルの春〜人間図鑑〜」に相応しいキャラクターである。

「忠臣蔵」で炭小屋に隠れていた吉良上野介に負けるとも劣らぬ肝の小ささ(笑)

 キム・ソンス監督が「D.P」を観てキャスティングしたというチョン・ヘインはオ・ジノ少佐を演じる。名前がどこか「D.P」の時のアン・ジュノのようで、ク・ギョハンの隣で「アン・ジュンホっ!」と言っていた面影がうれしくて、こういうキャスティングは大歓迎だ。
 こちらも期待に応えて青年将校の真っ直ぐな忠義を見せてくれるが、反乱事案におけるお決まりの青年将校の悲劇も背負っているのが、登場シーンから読み取れてつらい。

司令官をお守りするため反乱軍を迎え撃つ大石主税
お前じゃ1人じゃだめだ、剣豪、不破数右衛門を呼んでこい

 司令部を守ろうと孤軍奮闘するオ・ジノ少佐に「賢いかと思ってたが、少し足りないところがあるな」と、やんわり部下に対する信頼を表現するコ・スヒョク特殊戦司令官(チョン・マンシク)とのやり取りは「ソウルの春〜人間図鑑〜」の「チーム部門」に集録したい。
 いよいよ反乱軍が扉の外まで及んでいることがわかると、自分を守るオ・ジノ少佐を「どけ」と言って応戦体制に入るところも良いし、オ・ジノ少佐を撃った彼の友人を叱責するところも良い。
 武力を用いることが許されている軍人には、十分過ぎるほどの人間性を求めたいと願う者には胸が震えるシーンである。

勝てば官軍、負ければ賊軍


 「ソウルの春」は史実を元に作られているが、どの人物も実在の人物の名前とはちょっと違う名前に設定されている。
 まだ40年ちょっと前の出来事であり、関係者、遺族も生きていることから訴訟の恐れを回避するためらしい。

 ファン・ジョンミン演じる第11代大統領だった全斗煥らしき人物は、チョン・ドゥグァンという名前で、漢字語にすると「前頭光」というブラックな笑いを誘う名前になっている。外見や容姿を云々する失礼は、ここでは免罪されているようだ。

  全斗煥と陸軍士官学校11期の同期で、クーデターを起こした「ハナ会」を共に結成した第13代大統領だった盧泰愚らしき人物は、ノ・テゴンで、漢字語にすると「盧泰坤」で「泰愚」の「愚」が「坤」に変わっているが、この「坤」は八卦でいうところの「坤(ひつじさる)」を意味する。
 全斗煥は1931年の「未年」、そして盧泰愚は1932年生まれの「申年」だ。
 盟友の干支が名前を構成していて笑ってしまう。
 もっと言うと「坤」は方角で言うと「未」と「申」の間である「南西」、すなわち邪気の出入りする「裏鬼門」を表し、鬼門と共に忌み嫌われているのだ。

 私が最も印象に残ったシーンは、チョン・ドゥグァン(ファン・ジョンミン)の2つのトイレの場面だ。
 襲撃前には、用を足し水に顔を埋めて気合を入れ、洗面所にあったタオルで顔を拭く。その直後、そのタオルを床に敷き、自分の軍靴の底をきれいに拭う。
 それは軍人としての意気なのであろうか、こだわりなのであろうか、よくわからない。でも、いくら念入りに自分の軍靴の裏に付いた泥や汚れを落としたつもりでも、それは単にタオルに擦り付けただけであって、チョン・ドゥグァンの持っている黒い野心はタオルを汚すだけで払拭はされない。
 何とも生理的に気色の悪いこのシーンのアイデアは、ファン・ジョンミン俳優によるものだそうだ。

逆光による撮影がさらにグロテスクさを強調する

 そして襲撃後に再びトイレに戻って来たチョン・ドゥグァンは、ここでは素を曝け出し、排泄をするように快哉を上げる。
 整然と並ぶいくつもの小便器はまるで、彼にかしずく整列した軍人たちのように見えて、軍隊、もしくは国家の全てを掌握したかのような小憎らしい悪魔を見ているような気分になる。 
 この映画におけるヴィランの誕生シーンで、チョン・ドゥグァンという人間の野心と狂気を表現して余りあるシーンだと思う。

 ファン・ジョンミンがうまければうまいほど、チョン・ドゥグァンが憎たらしければ憎たらしいほど、チョン・ウソン演じるイ・テシンの毅然とした高潔さが際立ってくる。

 チョン・ドゥグァンのトイレシーンが彼の人間性を描いているとしたら、イ・テシンのそれは、反乱軍を抑える決意をして「今日は帰れない」と夫人に電話をするシーンだと思う。

夫人の「あなたの好物のアサリのテンジャンチゲを用意して待ってるね」に(泣)

 普段とは違う何かを軍人の妻である夫人も察しているようだったが、2人とも努めて平静を装うように会話をするところが胸が痛む。
 送る人と送られる人の覚悟の別れは、討ち入りの決意を胸にした大石内蔵助が浅野内匠頭の未亡人、瑤泉院に暇乞いに向かう忠臣蔵の「南部坂雪の別れ」がちらついて仕方がない(苦笑)。
 夫の身につける下着まで気を使う夫人が着替えの中に入れたマフラーを、大事にお守りのように身につけるところで、悲劇のヒーロー、イ・テシンの完成だ。

 ところで、陸軍本部首都整備司令官イ・テシンは張泰玩(チャン・テワン)がモデルで、イ・テシンの名前の由来が今ひとつ思いつかなかったが、イ・テシン率いる鎮圧部隊が景福宮に向かう光化門広場の李舜臣(イ・スンシン)像の横を通過した時、ああ、文禄・慶長の役の英雄の名前をイメージするものにしたのかと気付いた。

まるでチェスゲームの駒を動かすように、
反乱軍も鎮圧軍もソウルに部隊を結集させるスリルは流石にうまい。

 景福宮前に到着したイ・テシン鎮圧部隊の

生きる盾!
死んで忠誠!
司令官に敬礼!
忠誠!

 という号令の虚しさよ。

 実際の記録では鎮圧軍は出動していない。出動に至れなかったほど、反乱軍が軍部を掌握してしまっていたのだ。
 映画のクライマックスは大きな脚色なのだ。

季節は巡って、その後の「ソウルの春」


 殿の仇を取るため吉良邸に討ち入りする「忠臣蔵」という物語には、外伝とも言えるたくさんの周辺の物語が、講談や浄瑠璃、歌舞伎で上演されてきた。「荒川十太夫」は近年、講談から歌舞伎化された物語で、討ち入り後に、「高田馬場の決闘」で知られる堀部安兵衛の切腹の介錯をした伊予松山藩の荒川十太夫が、安兵衛の7回忌の命日に泉岳寺を訪れることから始まる人情豊かな話だ。

 部下のお陰で命拾いをしたチョン・マンシク演じるコ・スヒョク司令官のモデルであるチョン・ビョンジュンは、司令部と自分を守ったキム・オラン少佐(チョン・ヘイン)の夫人を慰め、そして墓参りをしたと言う。
 しかし1989年に家を出てから行方不明になり139日後に、北漢山国立公園内の松楸付近の野山で遺体として発見され、自殺として処理されたが、カトリック信者でもあったので自死を選ぶかという疑念も起きた。

 映画には描かれなかったが「12.12軍事クーデター」には「忠臣蔵」の外伝に匹敵する関係者、遺族に関するその後の話が数多ある。

◉キム・オラン少佐(チョン・ヘイン演じるオ・ジノ少佐のモデル)

  この映画を観たムン・ジェイン元大統領のFBへの投稿が話題になった。

映画「ランド・オブ・ソウル」となっているところは「ソウルの春」ですねえ。自動翻訳ってw
チョン・ヘインもキム・オラン少佐と同じ35歳

 クーデターで「殉職」扱いをされたキム・オラン少佐(当時35歳)は映画にも描かれた通り、同じ官舎に住みクーデターの数日前には夫婦同士で会食もしたほどの同僚に射殺された。

 事件直後、夫人は夫を射殺したパク中佐に会って「なぜ後輩のキム少佐の胸に銃弾を打ち込むことができるのか?」と聞いたが、パク中佐は「あの作戦により自分も親指に負傷した、その指がとても痛い」と言いながら指を差し出したと話している。
 反乱軍により組織的に隠蔽された少佐の死亡の経緯は不明で、裏山に放置された遺体は家族と同僚の働きで家族に引き渡されたが、国立墓地には埋葬できなかった。
 
 キム・オラン少佐の死後2年後に少佐の母は死に、翌年兄も死に、失明し福祉活動をしていた夫人は、夫の死の真相を知ろうとクーデターから10年後に民事訴訟を考え、弁護士のムン・ジェイン元大統領に相談に行っていたことが先のムン元大統領の投稿で知れた。
 訴訟を放棄させるプレッシャーを受けていたという夫人は、その後、訴訟を起こすことなく、不慮の事故(投身自殺とも言われている)で亡くなっている。
 2024年6月、キム少佐の遺族が45年ぶりに国家を相手に、死亡責任だけでなく、死亡経緯、隠蔽、歪曲の責任を問う訴訟を起こした。
 2022年にキム・オラン少佐の死は「殉職」ではなく「戦士」と修正された。

◉チャ・テワン首都警備司令官(チョン・ウソン演じるイ・テシンのモデル)

 チャ・テワン首都警備司令官は、クーデターに成功した新軍部に逮捕され45日間の厳しい取り調べを受けている。
 息子の処遇を嘆いたチャ・テワンの父は食事を断ち酒に溺れ、1980年4月に亡くなった。続く1982年には、クーデター当時は高校生、その後、ソウル大学自然科学大学に首席入学したチャ・テワンの一人息子であるチャン・ソノ(当時21歳)が行方不明になり、大邱付近の山麓で遺体となって発見された。映画にも描かれたチャ・テワンの夫人はうつ病に苦しみ、2010年のチャ・テワンの死後、投身自殺で亡くなっている。

 映画では、チョン・ドゥグァンとチャ・テワンは、善と悪、永遠のライバルのように描かれているが、そのあたりは相当に脚色されていると言われている。クーデターを起こした全斗煥率いる「ハナ会」とは一線を引いていたにも関わらず、全斗煥はチャ・テワンを韓国証券電算社長に任命し、その後は、大韓民国在郷軍人会会長に2回連続選ばれ、2000年には比例代表により国会議員にも当選している。
 それでも「12.12軍事クーデターの真相を国民に伝える任務がある」と最後まで全斗煥を批判し続けた人だ。

◉チョン・ウウォン(全斗煥元大統領の孫)

 映画には出てこないが、昨年、中々の話題になった人である。

 彼のおじいさんの全斗煥も盟友の盧泰愚元大統領も、金泳三大統領時代に民主化運動虐殺の主犯として拘束され刑事裁判の裁きを受け、1996年に全斗煥元大統領は「死刑→無期懲役、追徴金2,205億₩」、盧泰愚元大統領は「懲役22年→懲役17年、追徴金2,628億₩」という判決を受けているが、1997年に金泳三大統領時代に特赦で釈放されている。


 それでも全斗煥元大統領は、被害者に謝罪の言葉を発してこなかったが、その代わりとなるのかどうなのか、孫のチョン・ウウォン氏が昨年、光州事件の被害者が眠る光州5.18墓地に参り、遺族や被害者に面会し「軍部独裁に苦しんだ光州市民に、家族に代わり謝罪をする。今まで謝罪の言葉を申し上げられなく心から申し訳なく思っている」と謝罪をしている。

 その時、身につけていたものの中で一番良い物だからと自分のコートを脱ぎ犠牲者の墓碑をひとつひとつ拭く様子も見せ、その真摯な姿勢に遺族や被害者たちにも「勇気ある行動」と肯定的に評価されている。

 中学生から米国に留学しニューヨーク在住し、近年、自身のSNSで一家についての暴露や反省をしてきたり薬物騒動などでお騒がせをして、一家とは絶縁状態にある。
 祖父の不正蓄財による豊かな経済状況の中から、 SNSのライブ放送を通じてユニセフや5.18財団などに寄付をしたりしていた。
 2023年に帰国し、空港で薬物疑惑で拘束されたがすぐに釈放され、その直後に光州を訪れている。クリスチャンで、現在は教会組織と共に、麻薬撲滅運動や障がい者支援の活動をしている。
 映画「ソウルの春」についての反応は、今のところ見られない。

◉ノ・ジェホン(パク・ヘジュン演じるノ・テゴンのモデルである盧泰愚の長男)

 全斗煥の盟友、盧泰愚元大統領の晩年は、2002年に前立腺がん、2008年には小脳萎縮症を発症し10年以上闘病生活を続け、2021年に亡くなっている。

「モデルの人物と比べたり考えたりしないでこの作品のことだけ考えろ」と
パク・ジョンミンに言われたと言う

 亡くなる前の2020年に長男のノ・ジェホン氏は、歴史の真の和解のためには加害の側にいた者の真の謝罪が必要と、病状が悪化している元大統領に代わり、光州5.18墓地を2回訪れ参拝し「光州5.18のために犠牲になり、さまざまな痛みを感じたすべての方々に申し訳ない気持ちを申し上げる。参拝する度に、光州での出来事を父に報告している。5.18関連の記録、証言などを取りまとめている。本人は光州事件でやったことの全てから責任を回避しようと考えたことはなかった」と謝罪をしている。

 クーデターによる加害者、被害者によらず、事件後の遺族の話は「事実は小説より奇なり」というほどに絶句する。
 「12.12軍事クーデター」もしくは「光州事件」は未だ終わらない歴史なのだ。

ノンフィクション以上ファクション未満


 「ソウルの春」の総観客数は1,300万人を超えた(2024年9月現在)。
 大ヒットである。
 日本公開前のSNSでは、映画鑑賞前に観ておくべき「韓国民主化」関連作品リストもたくさん出回り親切にも時系列で紹介もされた。
 それらを観ておけば韓国の民主化の歴史の予習になるというのである。
 それを見た時、多様な視点で描かれた「韓国の民主化物語」の数々はゆくゆくは日本人が愛して止まない「忠臣蔵」になると感じた。

 赤穂事件をモチーフとした「忠臣蔵」は、「刃傷の松の廊下」「祇園一力茶屋」「お軽勘平」「南部坂雪の別れ」「男でござる天野屋利兵衛」などのそれだけで歌舞伎の一幕になってしまうドラマの数々で編まれている。
 同じように、タクシー運転手が見た光州事件、学生が参加した民主化運動、独裁大統領の暗殺、クーデターなどのドラマの数々は、民主化運動をモチーフとした「韓国民主化物語シリーズ」になる。

 
映画を鑑賞した後は、やっぱり「韓国民主化物語シリーズ」における「討ち入り」だなと思った(苦笑)

 ただ大きく違うのは「赤穂事件」は「韓国の民主化」と違って、300年以上も前の話である。すでに遺族も関係者もいない歴史である。
 「忠臣蔵」という物語は、長い年月を掛けて、事実と虚構を織り交ぜてエンターテイメントとして昇華してきたファクションなのだ。

 隣国の民主化の歴史は、これからも史料が出てくるだろうし、それにより歴史研究も進む、そして未だに心を痛めている人たちがいる終わっていない歴史なのだ。「忠臣蔵」のように簡単にファクションにはなれるものではない。

 今一度、映画の登場人物たちが、実在の人物とは違う名前で登場する意味は、深く考えたい。
 「前頭光=チョン・ドゥグァン」は「全斗煥」をモデルにしているが、それは似て非なる者である。SNSを見ているとファン・ジョンミンは、最早チョン・ドゥグァンではなく全斗煥を演じたことになっている。
 確かにファン・ジョンミンは全斗煥と同じ慶尚南道出身でもあるからか、そのイントネーションはリアルだ。
 わかりやすい善と悪の構図の中で、うまい役者が表現した「全斗煥らしきもの」を「絶対悪」としまうと、全斗煥という人間を人間として捉えにくくなり、韓国の歴史の中で正当に評価しづらくなるのではと危惧する。
 全斗煥や全斗煥政権が消失したら、世の中の問題が全て解決される錯覚に陥ってしまう。

 監督はインタビューで「歴史と私の想像で、自分自身も混乱するほど楽しいものを作ってみたかった」と言っている。
  「ソウルの春」は、歴史を背景にした国家を略奪する押し込み強盗ノワールアクションだ。
 「善と悪」「信頼と裏切り」「反逆と忠誠」「愛と別れ」…これらに、ほんのひとかけの歴史が合わさった時、それは途方もない魅力を醸し出すのは、「忠臣蔵」が語っている。






追記)
いろいろ義憤に駆られ(苦笑)ぶるぶるホザきました。




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