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音楽には「聴く人」がいる

ここ1ヶ月ぐらい楽器を弾く気力が全くなくて、弾いたら弾いたでものすごく調子が悪くて。
どうにもできず、頑張る仲間を横目にだらだら。

ただ、曲を聴くだとか、同業者の話を読んだり、聞いたりだとか、インプットはできてた。
だけど、弾くこと、つまりアウトプットに対するやる気が湧かなかった。

こんな事態は初めてで、でもなんとなく予期していたような。無理に無理を薄ーく重ね続けた結果、爆発して燃え尽きた感じ。
予期できたけれど、その止め方を知らなかったし、
燃え尽きてからどうすればいいのかも分からなかった。

自分の演奏を振り返ると、重大なミスを犯してしまったこととか、テンポをキープしきれなかったこととか、もう抱えきれないぐらいの反省が出てきて。
罪悪感と無力感がまとわりついて離れなかった。


そんな感じになりながらテスト期間が終わり、実家に帰ったり、旅行に行ったりと割と予定の詰まった夏休みを過ごして。

旅行のおかげか、ちょっと気力が回復したかな、と思えてきた時に読んだ本に、
音楽には「演奏する人」だけでなく、「聴く人」も存在しているのだと。
そう書いてありました。


なんとなく、その言葉に救われたような。
そうか、音楽は「聴いてくれる人」もいて、初めて成立するのだな、と。

今まで「自分は、自分が」と「演奏者目線」でしか音楽を捉えられなかったけれど、
演奏をどう受け取ってもらったか、どう思ってもらったかの「聴く人目線」を忘れてしまってたな、と思いました。


上手く弾けると嬉しいし、楽しい。
だけど、それだけが音楽を創る原動力じゃない。

演奏のその先にいる、「聴く人」を想像するから頑張ろうと思える。その人が喜んでくれるのを想像すると、無尽蔵にエネルギーが湧き出てくる。

なんでこんな大切なことを忘れてしまってたんだろう。


演奏を届けたい人、多くはないかもしれないけれど、
それぞれが私にとって大切な人です。
直々に私に楽器を教えてくださった師匠のような先輩、地元の友達、学科の友達、親…。

これを感じ取れたとき、自分の中に魂が帰ってきた気がしました。
余計なものがない、まっすぐな気持ちでまた楽器に向き合えるようになって、ちょっと調子も良くなって、
何より弾くのが楽しくて。

絶不調が続いたけれど、回復しつつあるので当分はきっと大丈夫。

「聴いてくれる人」へ、どうもありがとう。
あなたのおかげで私は頑張れます。
いい音楽を届けれたらな、と思っているので、信じて待っていてくれると嬉しいです。

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