変われることと変われないこと。それに対する期待と嫌悪と不安。
心理テストって信頼できるものほどやってて楽しいと思っていたけど、最近は、それと隣り合わせで怖いな、と思うようになった。
心理テストは好きだ。自分の内面をハッキリ外に言葉として出してくれるから。
結果はどの心理テストをあたってみてもほぼ同じ。内向的だとか、コミュ障(ぎみ)だとか、争いを好まないだとか。当てはまってると思うことが多いし、自分をつくっている要素だな、と思う。
日々構築しては崩れていくアイデンティティを繋ぎ止めるにはちょうどいい精神安定剤みたいなものだと思っている。あ、自分ってこういうキャラだったな、と思い返すのには十分だ。もちろん、心理テストの結果は私の一部にしかすぎないのだけれど。
変われないことへの嫌悪
だけど、この結果が嫌になるときがある。信頼できるものであればあるほど、だ。内向的な性格にもメリットはたくさんあるし、むしろそっちの方がコミュニケーションの基盤がしっかりしてるのだとか。
嫌になる理由は至って単純だと思う。「この性格のまま一生を生きなければいけないのか」と、ある一種の絶望か何かに飲み込まれるからだ。ああ、何をやっても根っこは変われない、と思い込む。
"生きにくさ"と"生きるっていいもんだな"っていう感覚が日々目まぐるしく切り替わる私にとって、「安定」やら「安寧」ほど欲しているものはない。晴耕雨読という四字熟語のように、やりたいことを気ままに出来たらな、と思う。
では、その「安定」を崩しているのは一体何か。自分の行動力、コミュ力の無さだと私は思っている。或いは、その裏に感じる恐怖。部活の先輩に挨拶する時も、「こんにちは」と言うことすら何故か気力がすり減らされる。そもそもこれはコミュ力のせいなのかと疑いたくなってくる。何よりそんな自分が嫌になる。
小さな可能性に見出す期待
上手く人と話せたら「安定」に少し近づくのかな。そのために変わりたいと願う。変われるという微かな希望に期待を寄せる。
たくさんの人と話をして、行動して、楽しい思い出や笑い合う日々を今より手に入れたいと願っていることは、おそらく本当だ。人との会話、自分の行動に不安を必要以上に持たないこと。何よりそれが現時点での、私の一番の「安定」であると思う。
変われることへの不安
ただ、変わるということに不安も同時に覚える。なぜなら、今まで割と確固たるものとして保ってきたアイデンティティが崩れ去っていくから。ある種の「安定」が失われるから。それならこのままでいいか、とさえ思えてくる。さっきまでの変わりたい、と思ってた熱量はどこに行ったんだよとツッコミたい。
それに、変わってしまったことによって何かが出来なくなると思うと嫌だ。
変われないことに嫌悪して、変われる(かもしれない)ことに期待と不安を寄せる。私の感情は忙しい。
色々な感情が混ざれども、変われないと言い切ることは出来ないし、変わったらどうなるかなんて知らない。
noteの記事を読んでスキして、勉強して、心理学や脳科学をちょっとかじって、こうやって記事を書く。不安定なりにこうして安定を求める。よほどのことがない限り、それを続けるんだろうな、と思う。