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そんな風に笑って 小説 第一話

あらすじ

文房具メーカーに勤める安田涼介は半年前に営業第四課に異動してから
やる気のない日々を過ごしていた。
惰性的で無気力な自分に行き場のない不満を漏らす。
そんなある日、推薦により社内コンペに参加することになる。
そこで愛想のない人物で有名な高山春海と出会う。

愛嬌があって、人に対して素直な部分があるものの、何も努力をしていない後ろめたさを隠すように笑ってごまかす癖や、物事を正面から見ようとしない涼介と不器用でひたむきな実力主義の高山は同じチームで影響を受けていく。
自分らしく少しだけ顔を上げてみて、少しだけ足を出してみることで、少しだけ自分が好きになれるお話。




自分が笑った顔を見たのはいつだろう。
そんな気持ちとは裏腹に笑顔を作ることは得意になる。
気持ちのない笑顔って誰がわかるのだろうか。
笑っていることは本当なのに。

皆違う顔なのに表情から人の気持ちがわかる人なんてこの世に誰もいない。
それはどれだけ研究している心理学者や犯罪心理に詳しいFBIの心理捜査官も分かるはずがない。
全部見た人の主観なのに。

自分が見ている空の色を他者と共有できるのかという話がある。
所詮は主観でしかない。
だから隣の人に空の色を告げるように人の気持ちなんてわからないはずだ。



「ですよね~。わかりますわかります!…あ、はい!いえいえ!こちらこそいつもご贔屓にしていただきありがとうございますぅ~。では後ほど資料送りますね!……はい!失礼します~」

……カチャリ

受話器を戻すと、長電話で少し痙攣した頬をそのままに安田涼介はふぅ、と一息吐いた。

相手に媚びるような大げさな話し方に紙を無造作に丸めたようなクシャッとした笑顔でいつまでも慣れない言葉を口にする度、録音した自分の声を聴いているような気分だった。

・・・・・・・

涼介は国語が苦手だった。
登場人物の気持ちなんてわからないからいつも国語のテストでは「作者の心情を答えよ」なんて出されたらほとんど赤ペンの入る答えばかりだった。
いつも『俺ならば』という枕が頭に浮かぶから。
だから人の気持ちも上手くわからなかった。

気持ちがわからないままの涼介は年を取る度、演じることが必要な場面に会う度、人と触れ合う度にようやく『一つの答え』が生まれた。

涼介にとっての万能な答え。それは笑えばいい事だった。
笑っていれば何とかなる。笑顔を作ってさえいれば何とかなる。
人からは求められる自分は笑っていればいい事だった。
そしてどんどん笑う作業はスムーズになっていた。
それでも、どうしても、無理して釣り上げた笑顔をした後はいつも頬に違和感が残っていた。

涼介の勤めるこの飛山株式会社は今年で創業三十年になる文房具メーカーだ。
某車メーカーと間違われやすい大手文房具メーカーと比べると小さな部類に入るかもしれない、けれど比較的評判がいい会社だと涼介が就活を始める前から既に噂になっていた。
数年前から採用の人員と学歴の幅がかなり広くなり、今年で三年目になる涼介も同じようにその評判に釣られた一人だ。
新しいことに挑戦する姿勢をできるだけ尊重する社風のおかげか、毎年新しいことに挑戦している。
リモートワークやイベント出店の機会増大、新部署の設置、育休制度など躍動的な会社だ。

「とりあえず」の気持ちで入社したこの飛山株式会社は涼介にとっては、
入社した頃はやる気が何となくあったのだが漠然とした気持ちでしかなかった。

営業は嫌いではない。
そもそも好きも嫌いかもわからないまま入社した。
営業という仕事についた理由もコミュニケーション能力が一番大事とのことで特別、スキルの無い涼介は家から近くて営業ならそれでいいやとの気持ちで応募した沢山の会社の中で引っかかった涼介にとって一番都合のよさそうなところがこの飛山株式会社だった。

研修を終え、営業一課に配属され、本格的に業務を取り組みだす頃には涼介はこの仕事が好きになっていた。
若手の意見を柔軟に受け入れてもらうことが多く、それが涼介をより前のめりにさせた。
また、涼介の持ち前の明るさと人懐っこい性格が評価され、取引先の人や社内でも彼を知るものが増え、涼介自身も打てば響くような環境に次から次へやりがいが増えた。

「『ありがとう』が私たちのお給料です」

いかにもな会社の謳い文句が強ち馬鹿に出来ないほど案件や契約をとるたびに心の底から喜ぶ気持ちに偽りはなかった。

入社して一年は会社に行くことは涼介にとって楽しいことばかりだった。

営業一課から営業四課に配属されて二年が経った。

先の電話も先方からまた継続して注文を掛けたいとの電話が涼介に舞い込んだ。
しかし涼介はテンプレの言葉を垂れ流すラジオになっていた。
一年前ではこうして依頼が入る度に電話口でも無意識に拳を握りガッツポーズをしていた。
けれど今では我ながら鼻に付くような大げさなリアクションをとる自分がいた。
勿論まだ多少のやりがいは持っているが仄かな熱でしかない。

微かな熱で体が動く。
慣れてしまった温度に自分の体もそれに適応してしまう。
やりがいなんて摩耗するものだと涼介は柄にもなく悟った気になっていた。

電話を終えた涼介は頬に違和感をのこしたままタイピングの音を鳴らした。

資料をプリントアウトするために涼介が席を立つと西日のせいか室内を覆うほど大きな影を落とす人物が低い声で涼介を呼び止めた。

 「なあ、安田」


・・・・・・・

うわ、きたか…あいつの『なあ』。
スマホのフィルムにひびが見つかったような気分だ。
天井を仰ぎたくなる気持ちを抑え、できるだけゆっくりと振り返り、上唇を舐め小気味よい早口で返事をした。

「はい、なんでしょうか!」

「さっきの電話さ、もう少し小さい声で話せよ。気が散る」

「失礼しました。気をつけます!」
テンプレの謝罪文をそれっぽい抑揚を込めて返す。
返事も待たずにコピー機に向かうと大きな獣は鼻を鳴らした。
一体、何があったのか不機嫌な獣はいつも顔をしかめて仕事をしている。
口を開けば一方的に「~やって」とか「~して」ばかりで返事なんてはなから求めていない。
上司だったら励ましたり褒めたりするのが仕事だろうが。
口を開くとため息が漏れそうになるの抑えキュッと口をとじたまま俺はコピー機から淡々と吐き出される紙を眺めていた。

鈴木正行。

体格も相まって発言からも圧力をかける鈴木課長はこの部署の王様だ。いや独裁者の方がしっくりくる。
賑わいもないこの部署で発言の通る彼に歯向かうものはいない。
俺のいる営業第四課は小さな小売店や地域の文房具屋などを主にターゲットにしているせいなのか彼の獣のような積極的な営業は効果的だったらしい。
「これは売れる」「これは売れない」と確実な自分本位の視点のセールスは邪道なのに売り手に文句を言わせない買わせ方は反感も多い反面、信頼する取引先は少なくなかった。
昔から歯に衣着せない立ち回りは正に叩き上げで成り上がった人物として有名で、会社は高く鈴木を評価しているみたいだが以前に大きなミスを犯したことで今ではここで首輪をつけた獣のようにこの営業第四課を住処にしている。

俗にいう左遷。

そのことを鈴木自身も賢しく理解しているだろうか、依然として横柄な振る舞いをしている。

『住処に訪れた者は鈴木の裁量自体でどうにでもなる』

それが俺の居る営業第四課の噂だった。

この四課自体も最近できた部署で『鈴木の小屋』として作られたとの話がある。
鈴木が扱いやすいものを入れたとか、何かやらかした奴が入る所だとか、
根も葉もない噂があるがここに俺が配属されたのはその例の噂通りなら後者の理由だろう。
今もこうして鈴木の棘のある言葉を憎ましく反芻してしまい口を尖らせてしまう人間だ。

いつも冷え切ったこの部署は羊が草を食むように淡々と作業をするものばかりだ。

ここは誰も取り合わないし、誰も助けない所。

皆、悪気がないからこそ俺は自分の感覚が不安になっていた。
嵌められることもないし、騙されることもない。だけど励まし合うこともなければ、会話は一言、二言程度の人たち。

コピー機から出された黒字のインクで等間隔に記載された書類がとても冷たいものに見えてしまった。
手書きよりこちらの方が効率がいいもんな。

デスクにメールの整理をしていると一件注文が来ていた。
取引が少ないせいか、相手方は昔の担当名の宛名で送ってきた。

『沢田順平』

頭に浮かんだ菩薩のような悪魔のような笑みを崩さないあの人の顔がふと浮かぶ。

昨年、沢田さんが異動した。

先輩がいた頃はまだ活気があった。
実績を鼻にかけない性格で受け答えが上下問わずに丁寧な人は他部署や取引先にもファンができるような人だった。
女性ならこんな人が好きなんだろうぁと思わせるようなスラッとした出で立ちはどの部分を切り取っても雑誌に表面に載りそうなほど魅力のある人だった。

沢田さんは四課にいるのが不思議な人だった。
某有名国立大を卒業して大手の会社を相手にしている営業第一課に配属されてもおかしくないのに本人が「自分の地元で地域に寄り添って営業がしたい」とのことで自ら希望してして四課に俺が来る二年前に赴任した。

部署でも一番の売り上げを出す沢田さんは異動して何もわからない俺をよく教育してくれた人だった。

入社して初めての憧れの先輩。

「鈴木課長は口下手なだけだよ、あの人もなんだかんだ俺らのこと考えてくれてるし。あんな風に言うのも俺らに発破かけてんだよ」
えらいお師匠さんが弟子に諭すような話し方はいつも冷めきった部署の中で唯一の救いになっていた。

沢田さんは正に聖人君子のような人だった。
誰とでも気軽に話せて人を悪く言うことが無い人。
自分の仕事があるにもかかわらず拙い俺を仕事が出来るまでいつも付いていてくれた。

翌年、四課のエースである先輩がいきなり異動が分かった時はとてもショックだった。
辞令が出てからも変わらずニコニコと仕事をこなし、最後まで異動することが分からないほど調子は変わらなかった。

異動について聞いたときは「さぁ」とか「仕方ないよね」と他人事のような返事しか返ってこなかった。

煮え切らない不信感は募るばかりである日思い切って沢田さんに尋ねた。
最後の出勤日から十日前の終業後、俺はいつも通りに帰りの支度をする沢田先輩を呼び止めた。

「お疲れ様です先輩。今晩、飯行きませんか?もう最後かもしれないから一回くらい行きたいな~って思って」

「ごめんね。今日は予定があってね、また落ち着いたらこちらから連絡するよ」

それ以来、沢田さんから連絡はない。

もしかしてあの人は愛着なんてなかったのかもしれない。
そんな気がした。
そして、それは何となく確信に近い何かがあった。
違和感は拭えないままその確信は最後の日に沢田さんの言葉で実感した。

「安田君、短い間だったけどありがとう。一緒に働けて良かったよ。
後は頑張ってね」
その言葉がどうにも乾いていた。
馬鹿にするわけでもなく応援しているようにも聞こえない。
ただ彼の口から音がなっている。それだけ。

引継ぎの際に冷たい手で几帳面にメモがされた資料を渡されたとき、ニコニコしている先輩を何故か無性に睨みつけたくなった。
何が楽しいんだろうか。その顔を見て気づいた。
俺はその張り付いた笑顔以外、沢田さんの顔を見たことは無かった。

依然、ここでは作り笑い以外で笑うことは無い。
部署の人も電話の時は笑っている。けれど受話器を下ろすとスイッチが切れたように表情のライトが切れる。


沢田先輩から渡された引継ぎはどれも多くて捌くのに苦労した。
無茶な正義感かそれとも臆病な責任感か、自分がすべて引き継ぐことになった。
単純な量は見れば見るほどあの人が仕事ができる人だったと思い知り、
出来ない自分は引継ぎをしてからは残業が多くなった。
残業のタイムカードに時間を見る度、自分は仕事ができない人だと思い知らされる。

鍵の無い綺麗な手錠をもらった気分だった。
真新しいソレは外し方も知らないままつけられ、なにかに押し込められた気分と共に一種の安息を約束されたようなものだった。

始めは腹を立てていた。けれど行き場のないイラつきのはけ口を探しても。所詮代替的にしかならず、解決なんてしない。
そう思うとそんな気持ちを持つこと自体がここでは間違いだと思い始めた。
最近では現状を打破するために悩むことすらも無駄な労力に思えてきて、繋がれることに慣れる方が楽だった。

無駄に手を動かせば手首が痛くなるからおとなしく目の前のことをこなしていけばいい。


考えることが面倒くさくなってきた。

・・・・・・・

西日が傾きオフィスにはより大きな影を膨らませる時間、タイピングの音だけが響く営業四課に涼介のデスクから電話が鳴り響いた。

「はい、営業四課です」

「お疲れ様です。人事部の柳です。今お時間大丈夫ですか?」

目線を鈴木のデスクに向けるとトイレに行っているのか不在だった。

「お疲れ様です。大丈夫ですよ、どうかしましたか?」

「今年の九月に社内コンペを開催する予定があり、各部署から代表を選出しており四課の代表として安田さんをご推薦したいと考えておりますが可能でしょうか?」

「社内コンペって…すいませんそのような経験は疎くてどのような話をするのでしょうか?」

ビジネス書かなにかでみたことあるような聞きなれない言葉に石橋をたたくように訪ねる涼介に柳は先ほどまでの外向けのような話し方とは打って変わり、砕けた話し方で説明した。

「あ~そんな堅苦しく考えなくていいよ。簡単に言うとね、うちの会社のオリジナルキャラクターを提案したいなってこと。最近、他社さんでも自社の商品が今でいうバズってる?みたいだからそれに乗じてうちでも作ろうかって話がこの前の会議であってね。そこでいくつかグループ毎に発表してもらおうかって話。どう?行けそう?」

「興味ありますけど……すいません、今は部署での業務で手いっぱいでコンペに携われる時間があまりなくて……他の人とかどうですか?」

「えぇ~!そうかぁ四課なら安田君だって話が上がってたんだけどね。ちょっと確認して折り返すね」

「わかりました。すいません」

一抹の罪悪感の中、電話を終えるとトイレから戻ってきた鈴木はデスクから涼介に声を掛けた。

「さっきの電話、誰?」

「人事の柳主任からです。九月に自社製品の社内コンペが開催するみたいでそこでお誘いをいただいたのですが、忙しいからと断りを入れました。」

後ろめたくもないのに慎重に言葉を選びながら話す涼介に「ふーん」というと鈴木はぶっきらぼうに訪ねた。

「今どれ担当してんの?」

「今日の業務は片村商店の見積もりと発注依頼しています」

「じゃなくて。いまお前が担当しているところすべて答えろってこと」
苛立ちを見せる鈴木に涼介はおそるおそる自分のしている担当について答え始めた。

「えっと…ーーーで、以上です」

「ふーん」

一通り聞いた鈴木は自分のデスクから厚手の黒い皮のカバーで閉じられたスケジュール帳を開き狐のような細い目で暫く睨むとパタンとスケジュール帳を閉じ、口を開いた。

「わかった。じゃあこれとこれはするから、後でデータ送っといて」

「え?」

「忙しいから出れないんだろ。その分は俺で受け持つから人事に今から折り返して電話したら間に合うだろ」

「いいんすか?」
呆けた涼介がうっかり聞くと普段なら言葉遣いに厳しい鈴木は一喝すると思いきやいつも通りの眉を潜めた不愛想な顔で答える。

「興味あるんだろ?やってみろよ。とりあえず電話。」

「わ、わかりました」

涼介はすぐに電話を掛け参加することを伝えると柳は声が明るくなった。

「よかった~じゃあ明日詳しい資料送るからよろしくお願いしますね」

「はい、よろしくお願いします」

電話を終えるとスケジュール帳を取り出して『人事 メール確認 コンペについて』とメモをする。
メモを閉じ鈴木の方に参加することを告げるとこちらに目を向けることなくマウスを無造作に動かしながら鈴木は返事をした。

「やることやったらいつでも抜けていいから。あと、コンペの時間も仕事だから残業はつけとけよ」

「はい、わかりました、あの……」

「なに?」

「あの、ありがとうございます」

「名前上がったんだから会社が必要としていることなんだろ、進捗とかはちゃんと俺にも伝えるように」

「わかりました!」

大きな声で涼介が返事をすると、「ふん」と鈴木は鼻を鳴らした。

参加の旨を伝えて最後にメールをチェックする頃には外は人工的な光がちらつき室内の蛍光灯の光は先ほどよりも白みを増していた。

相も変わらず不機嫌そうな顔でパソコンに向き合ったままの鈴木に涼介は「お先に失礼します」と告げると「お疲れ」とデスクに押し込まれたシャツを着た獣は無愛想ながらも確かな返事をした。

#創作大賞2024 #お仕事小説部門

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