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そんな風に笑って 小説 第七話

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「かんぱーい!」
四人の声と共にグラスをぶつけあう心地いい音が店内に響いた。
私はあまり飲まないビールを今夜ばかりは皆と同じものという理由で注文した。苦味の強い液体を一気に喉に流し込むと苦味は初夏の夜のような涼しい炭酸が強調されて喉元を走り抜けた。

「改めて優勝おめでとう!」

賑やかな居酒屋の中でもひときわ大きな声を出す安田に不思議といつものような苛立ちは無かった。

「今回の勝因はやっぱり高山さんの商品に対する愛!ほんと最高!」

思わず口から溢れそうになるビールを手で押さえた抑える。
あまりにも安直な言葉に脈絡のない話ぶりはもはや耳を傾けることすら馬鹿らしくて、可笑しかった。

「どないやねん。もっと具体的に良かった部分はないんかよ」
既に口からこぼれて腕で口を拭う中浦が突っ込む。中浦がこんなに怒気の籠った関西弁で話すことはあまり見なかった。
これが彼らの漫才なのかけろっとした様子で平然とじゃれ合う安田の姿は学校で木の棒を見つけてはしゃぐ小学生が思い浮かんだ。

平然とする安田にまた切れるよう声で突っ込むが横目に見ても爪を立てる様子は無かった。

社内でするようなうっすらと白い歯を見せたすかした笑い方なんかじゃなく、下品に大口を開けて笑っている。
剝きだしたガサツな関西弁で話す姿はもう一人の小学生がいるように映った。

私はその姿に口角が上がるのを感じ再びグラスに口をつけた。

「よかったね」

隣の神原主任は私の目を見て言うと私は向かい側のように素直になれないせいで伏し目がちで返した。

「いえ、皆さんのおかげです……」

「あれだけの気持ちを言ってくれたから皆も思うところがあったんだろうね。
だからこそ、高山さんのまっすぐな気持ちが僕を含めみんながあれだけ真剣に取り組めたんだよ」

「ありがとうございます…」

「いつか商品化されたら高山さんの商品企画もそう遠くない話になるかもね」

「そうなってくれると嬉しいです…」

ふくよかに頬を揺らして笑う神原主任の方はアルコールのせいかほんのり赤みを帯びていた。一方で同期の二人は既に真っ赤な顔で観客の居ない漫才を繰り広げていた。
神原主任が彼らの漫才を眺め始めたときに自分のグラスが空になっていることに気付いた。

「すいません、おかわりください」

「おぉ」
ただ飲みたかっただけなのに安田は嬉しそうに大きな瞳を輝かせていた。

「…なに?」

「えっ、いやなんかうれしくてさ~」

「何が?」
冷たい返事をしてしまう。
今更、どんな顔をしたらいいのかわからない自分に嫌気が差す。

体裁のフィルターをすり抜けた思春期のような意地っ張りな言葉を彼は意にも介していなかった。
相も変わらず能天気で、雨の降らない梅雨のような、場違いな晴れ空のような、明るい顔で答えた。

「一緒にこうして飲めることが嬉しい!」

まっすぐな馬鹿だ。思わず口を尖らせる。
そうしないと自分の頬が赤くなっているのが目立ちそうだったから。

「そう、安田も今日はお疲れ様」

目を丸くした安田にどきりとした。すぐに嬉しそうに目を輝かせて安田は返事をした。

「おう!高山もお疲れ!」

少しだけ、ほんの少しだけ、心の二人称が漏れてしまった。
もうこの際、いいだろうと思えた。
返ってきた『呼び捨て』は初めて聞こえた音なのに妙に耳障りの良い音だった。

早く、お酒来ないかな。

長いようで短い夜をこうして過ごしたことは何回あったのだろう、
そんな曖昧な思い出は翌日の頭痛によって存在を深く残してくれた。







コンペが終わってから数か月が過ぎた。

あの日から集まるようなことも無くなった。
別段、会う理由が無いのだから仕方ないが一抹の寂しさは時折すれ違う神原主任や中浦との軽い挨拶によって何とかなっていた。
終業後、鈴木課長が俺を呼び止めた。

「安田」

「はい?」

「お前、この後予定は?」

「いえ、今日は特に」

「じゃあ晩飯に付き合えよ」

「いいですよ」

コンペを終えてからは特に鈴木課長の印象が変わった。
特に会話が増えたわけでもないし相変わらず不機嫌そうな表情は変わらないが何となく、圧迫感というものが無くなった気がする。

お決まりになったいつもの赤提灯の灯る居酒屋のテーブルに座ると鈴木課長はネクタイを解き胸ポケットから煙草を取り出し机に置いた。

「俺は適当に辛いもので」

「オッケーです」
二つのジョッキが運ばれてほんの小さくカンと音を立ててゆっくりと飲んだ。

特に話すこともないまま鈴木課長から吐き出された煙だけが揺れていた。

「最近どうだ」

「いえ、特に何も変わらないですね~」

『鈴木の小屋』にきてもうすぐ一年になる。
コンペの件以降は業務に従事して淡々と過ごしていた。
けれど、来た時からしこりのようにある暗い感情は無くなった気がする。
今の仕事も惰性的な部分もあるものの、一つ一つが記憶に残ることが
多くなった気がする。

課長とは月に何回か飲みに行くようになり、そのこともあってか話しやすい人物になった。
営業の仕方、顧客の管理等聞いてみると感覚的なわけでなくとても精密にデータを残すまめな人物だという事も今更になって気づいた。
そんなことを話すと「出来が違うんだよ」と頭をとんとんと指で叩いてチャラけていた。

時折、何も知らない同期や先輩から自分の部署をどうこう言われることがあるが別段、嘆いたり怒ったりすることはなかった。

「異動とかの希望は?」

「『異動』ですか?」

考えたことがなかったから俺は腕を組んで天井を見上げた。

「う~ん」

「まぁ考えてないだろうな」

「いや、まぁその…う~ん」
課長は、首をかしげて頭をひねる俺を一瞥すると、店員にお代わりを頼んだ。

「まぁそのあれだ、この先どうしたいかだけは考えた方がいいぞ」

「いきなりどうしたんですか?」

含みのある課長に俺は素直に聞くと次に課長が頭をひねり始めた。
「まぁ当事者だしな…」とつぶやき、渋々といった様子で口を開いた。

「この前のコンペの作品が商品化される」

「おぉ!遂に!ほんとだったんですね~!」

素直に喜ぶ俺の表情と反面、課長の表情は明るいものでは無かった。

「それについてなんだが経営革新課がすべて担うことになっている」

「え?」

「気を悪くするかもしれんが、安田が関わることは無い可能性がある」

「まじっすか…あの、それって俺たちのグループで関わった人、あの特にデザインした高山さんとかはいないんですか?」

「あちらの方でブラッシュアップしたいから、あいつらでするんだとさ」

「勝手すぎませんか…」

「そう思っても仕方ないよな」

ジョッキグラスを煽ると課長は続けた。

「やってきたことは無駄ではない事だけは覚えとけよ」

「はい…」

夏を過ぎても残暑は未だ熱気をはびこらせていた。
グラスの水滴が机に溜まり小さな池を作っている。
グラスを伝い、小さく溜まっていくなにかは自分に未だ残る漠然とした気持ちが積み重なっていくように見えた。

コンペの後、商品化の噂はあった。そしてその件で言われるなら俺は一つだけ言おうと決めていたことがあった。

本気で打ち込んでがむしゃらにやって感情表現の下手な冷たい人。高山が携わってほしいと。
でも実際は何もそんな話なんかなく、実際は『社内の小さなイベント』だったことを今、初めて分かった。

「さっき話した異動の事なんだがな、俺はちゃんとした対価は与えるものが筋だと思っている。今の現状、お前が昇進となると来年の春になる。それに加えて今回の結果は俺自身も納得いかない部分もあるから、もし自分で希望があるなら俺なりに推薦できるようにしようかと考えている」

「でもそれって課長にとっては何もメリット無いんじゃ…」

「メリットどうのこうのの話じゃない」

課長は少しだけ残ったグラスを飲み干してお代わりを頼むと再び煙草に火を点けた。
先端が眩く燃えている。小さくても確かに熱いほどの熱を帯びた短くて小さなソレはやがて煙になって少しずつすり減るように吸殻になった。

「昔にな、できる奴がいたんだよ。そいつは評価を貰えるような立派な人では無かったけど客先からは信頼されてるような奴だったな。そいつの為にわざわざ遠方からきて個人として付き合いに来てくれて、それを裏切らないように利益度外視で営業ばっかしてたら遂に異動を言い渡されたんだよな。
当時は昇進するような口ぶりだったから異動を鵜呑みにしたら結局は隔離したようなところだ。
担当顧客なんてものは一つもなくて上司が与える業務は資料作成ばかりで電話なんか取らせることはさせなかった。
組織特有の空気なんか読まずにがむしゃらにしていたことが裏目にでた。
やる気のある人材すべてが必要とされるわけでは無いことを勝手に悟った気でいたな。
気づいた時にはもう昔のようなことが出来ない立場にあるからおとなしく首輪をつながれることしかできなかった訳だ」

他人事のように話す下手くそな作り話に俺は何も答えなかった。
本当に不器用な人だと思った。

「既に守るものがある人間は選択することに二の足を踏んでいたら守れなくなる」

自嘲気味に鼻で笑う課長の薬指をまく銀色が鈍く瞬いていた。

「飲みすぎたな」

「柄にもないですね」

灰皿に溜まった吸殻がゆらゆらと煙を上げている。
課長は水を少し灰皿に入れまた煙草をつけた。

「俺はそんな部分は素敵だと思います」

「そうか」
紫煙が踊るように舞い上がった。

「一本、貰っていいですか?」

「お?おう」

数年ぶりに吸った煙草に火を点けると苦くて鼻がツンと痛くなった。
久しぶりに吸うたばこは煙で目が染みる。

「異動の件、ありがとうございます。少し考えてみます」

「そうだな。それがいい」

「それと、あの時コンペに自分を推薦してくれてありがとうございます」

「……おう」

指先には香ばしい匂いが残った。
あまり年上が好きじゃなくて煙草を辞めたのは喫煙所で上司と鉢合わせするから吸わなくなった。そんなきっかけを俺はふと思うと馬鹿らしくて笑うと、課長は「なんだよ」と眉間に皺をよせていた。

「すいません。久々に吸ったらおいしくてもう一本いただいていいですか?」

「ん」

「あざます!」
二つの紫煙が交差して空に浮かぶ。ゆっくりと、曲がりくねったり。そして俺の頭上で霧散して見る影もなくなった。

些細な悩みと大きな悩みが混濁してる中、うまく整理もつかない、どうすればいいのかもわからない。
コンペの件は何とかなるかもしれない、泣き寝入りして煙のように無くなることかもしれない。それでも俺は少しでも小さな火を燃やし続けたくなった。
子供のような考えなしの選択、そんな自分は嫌いじゃなかった。

残った小さな吸殻は水の残る灰皿に入れるとジュっと音を上げた。

「課長、また相談に乗ってください」

「おう」

伏し目がちに返事をする姿は煙草の似合う人だった。


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