蝉と星8
八月二十日
それからは詩歩と四人で集まることが多くなった。
いろんなところに行って沢山の思い出を作った。
高校最後になる夏休みは自分でも想像つかないくらいに楽しかった。
「ふぅ……」
いつものように朝から走り海に向かう。肌に当たる風は走り始めた熱い風は今では穏やかな冷たさを持ち心地よかった。
海につきいつものベンチに座り今では当たり前のように両手には二つの缶ジュースを持ち約束のない待ち合わせをしていた。
プルタブを起こさずに薄暗い空を眺める。
あの日、光希から帰り際に言われた問いかけは未だにわからない。
けれどためらい続けて彼女の本心に飛び込むことはできずにもやもやとした気持ちはいつも心のどこかでちらついていた。
そもそも夏が終わればいなくなる人だし。
たまたま出会った縁だから。
いくらでも言い訳はでる。自分の中の「動かない理由」。
このまま自分は動けずにいるのだろうか。
そんな自分を置いていくように空の色は変わり雲は悠々と流れ、形を変える。
「どうすりゃええんかな~……」
ベンチに投げ出すように首を預け出し空を仰ぐとそのまま目を閉じた。
「わっ!」
突如両肩にドンと衝撃が走りたまらず声をあげ振り返ると詩歩がいた。
「おわっ!」
「ふふっ。おはよ~」
「おはよう、驚いたやん」
「寝てたから起こしてあげたの!あ、そうそう明君ってスポーツしてた?」
ベンチの横から覗き込むように詩歩が訪ねてきた。
「あぁ、バレーしてたで」
「お~以外、てっきり帰宅部だとおもってた!」
「ちゃんとスポーツマンやわ、光希と同じよ」
「あ~光希君はわかるな~」
「なんでやねん」
日課のマラソンも何度も繰り返すうちにこうして詩歩と話すことが夏休みの当たり前の一つになり、朝を迎える時間までいつも他愛のない話やある時はここに行きたいっていう思い出作りの話をするのが楽しかった。
コロコロと変わる詩歩の表情や反応を眺めていると話していくうちに朝の眠気はすっかり吹き飛んだ。
「この前はみんなで海に行けてよかったね~」
「もう光希と飽きるほどいってんけどみんなで行ったら面白かったな」
「またどっかいこうよ!」
「そうやな~行きたいとこあるん?」
「ん~……」
腕を組んで大げさに悩む詩歩の姿が微笑ましい。
暫く腕を組み考えていると詩歩は独り言のように答える。
「夜景が見たい」
不意な要望に思わず聞き返す。
「詩歩は大丈夫なん?」
「多分大丈夫じゃないと思うけどね」
「なんでいきなり夜景みたいん?」
「ここにきて一番したい事なんだ」
顔をあげ海に向かって話だした彼女の横顔はもっと遠くの何かに向かって話しかけてるよう見えた。
「本当は記憶が無くなって何度目かになるんだけどね、初めて記憶が無くなってすぐの時に窓から見た夜空がとても綺麗だったことがすごい印象的だったんだ。
でもそのあといろいろあったからもう見たことなんか無くなっちゃうんだけど、こっちに来てからもスマホの写真見てたら懲りずに外に出て見に行ってるんだよね、ほら」
詩歩が取り出したスマホの画面にはここで撮ったであろうの夜景がいくつも残っていた。
「一日が無くなってもいいからそれでもみたいんだなって。
皆とこうしてたくさんの思い出ができたんだけど私もいつかは東京に戻らないといけないしこの体とちゃんと向き合いたいなって思うんだ。
そして無くなってもそれ以前の記憶が残っているはずだから」
「二回目の記憶喪失のきっかけはわかってんの?」
「ん~、多分自分自身が何者なのかわからなかったからかもね」
「もし前の記憶が戻ったら今の自分じゃなくなるかもしれないし、今の自分が知らない環境がすごい怖かったんだ。記憶がなくなって初めて学校に行ったときにたくさんの知らない人がすごい心配してくれたんだけど、この人たちって今の私じゃなくて前の私を心配してるって思ったらなんか申し訳ない気持ちになったんだ。前の自分の性格ってどんなものか分からないしみんなの日常から取り残されてる感じが辛かったな~」
飄飄と話す姿は却って自分がわからないという詩歩の心情が容易に想像できた。
「それでね、その日から怖くて家から出ずにずっと引き籠もってたんだ。
でもお母さんが言ってたんだけど夜一人近所の公園にいったらしいんだけどその日の記憶が全くないんだ。
それからずっと外に出たら無くなっちゃうんだ。
もちろんそんな体質ってわかってからでないようにしてるんだけどこっちに来てから出てるみたい。
多分、ずっと思い出したいんだ」
「思い出したい」今も自分を見失っていることを聞くまで自分は気づかずにいた。彼女はいつの時も自分を探していたんだと。
過去を掘り起こすことで彼女にとっての自分の再認識ができるのかもしれないがそれが必ずしも傷つかない保証はなかったんだと、話を聞いていくうちに感じた。
「東京に帰っても大丈夫なんか?」
「どうだろうね、今の自分がはっきりわかったら大丈夫かもね」
健気に笑おうとしながら話す詩歩の姿が今にも消えてしまいそうな物に見える。まるで自分の記憶からも消えてしまいそうで儚く思えた。
詩歩のことをどうしても消させたくはなかった。
薄い氷のように脆くも綺麗な笑顔よりも照らし出す朝焼けのような笑顔の似合う彼女に自分はゆっくり口を開いた。
「大丈夫やで。
詩歩がどれだけ忘れても俺は覚えてるから。詩歩は詩歩やから。
俺から見た詩歩は今の詩歩やし、むしろ前の詩歩を知らんけど今の詩歩ならいくらでも好きになる人はたくさんおるってことは俺が自信もっていうよ。
どんだけ昨日のことを忘れても何回でも初めましての挨拶をするわ。
どんだけ見たかった景色を忘れても俺が何回でもその時の景色を話すわ。
やから東京に戻っても今の詩歩を自信もって紹介するわ。
俺が今の詩歩がここにいたってことを証明するから」
精一杯の言葉。たくさんの言葉を並べても彼女のことを証明することは難しいかもしれない。
けれど何もせずにいることはもうできない。
口下手でも不器用でもいいから朝霧詩歩がここにいたことは自信もって話したい。
話していくと考えるより口が先に出てしまった気がする。そんな自分に後悔はなかった。
「嬉しいな……ありがとう。明君と出会えてよかったよ。じゃあ今度は私がみんなを東京に案内するね!」
「おう、絶対行くわ」
「約束ね!」
「うん。約束。夜景のことやねんけどさ、実は望が流れ星見に行こうってなっててな、そこに詩歩も呼んだらって話があったからいかへん?」
「うん!」
心の底から嬉しそうに笑う彼女の姿に誘えてよかった
「じゃあ遅くなるししっかり早寝しといてな」
「早起きは得意!」
「起きんでいいからはよ寝て」
「は~い」
すっかり空は青一色になっていた。
みるみる朝がまた始まり時間は動きだす。
当たり前のように進み、続く日常。
景色は変わり続け同じ日なんて一つたりともない。
今、流れている静寂はもうしばらくしたら喧騒に変わりまた静寂を迎える。
同じようで一つたりとも同じじゃない。
詩歩と出会って気づかされたかもしれない。
晴天の空の下、波の音に身をゆだねて、ジュースを飲む。
「明くん」
水平線を眺めながら穏やかな声で詩歩は話しかける。
「本当にありがとう」
呟くように発した言葉で彼女の方を見る。
日ざしに照らされた横顔はとても綺麗で眩しく見えた。
なんでも願いが叶うならと聞かれたら自分はもう一つしか願い事は無かった。
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