すべてのことを神の栄光のためにする
これを実行するには
むずかしい灰色の領域があります
それはなにかというと、悔い改めのむずかしい
相手がいない性的な汚れの領域です
相手がいれば、分かりやすい
結婚関係以外のSEXのことです
これはアウトなのです
これは、常識
では、結婚している人は、配偶者が長期間いない時、どうするのか?
結婚していない人は、そもそもどうするのかということです
実は、「新生」していても肉体は贖われていないため、肉は圧力をかけてきます
しかし、キリストを知っている本物のキリスト者はこのときどうするのか?
パウロがローマ7章で書いたことを読んで
パウロが肉の欲求に負けたと信じる人は、どうぞ自分でやってください
わたしは、裁きません
では、わたしはどうなのか?
パウロがローマ8章に書いた人です
パウロと同じです
ペテロ、ヨハネと同じです
自分を十字架につけていますから
わたしは、キリストの霊を持っています
つまり、言いたいことはこういうことです
恐らく、「あなたにもできるだろう」ということです
これで、あなたも新しくされました
あとは、もう罪から解放されているので、新しい体を受けるときまで
愛と聖さを保つことです
神の力の体験者は
勝利を得た者です
「勝利を得た」とは何でしょうか?
福音はすべて信じる者に救いを得させる神の力とは何か?
この「勝利を得た」や「救いを得させる」ということばの
両方に「得る」ということばが表現されていますね
これは、「神の力」を得て、「神の力」を体験することを意味します
どういうことかと言うと
これは、観念論や知識ではなく、「霊的体験」のことなのです
これで、新天新地がどんなに素晴らしいかが分かるのです
なぜ、新天新地?
普通なら、見たことも、触れたことも、感じたたこともない世界ですね
ところが、パウロは、神の国は、食べたり飲んだりすることではなく、「義と平和と聖霊による喜び」と言いました
ペテロは新天新地をわたしたちが望んでいる義の宿る世界と言いました
神の霊、キリストの霊の世界が神の国なのです
キリストの霊を持っているなら、もうすでに体験しているということです
さて、わけの分からない話をしてすみませんでした
むずかしかったかも知れませんね
知識で分かったつもりになったり、理屈じゃないということが、分かりましたか?
コリントの人たちは、パウロにいわせれば、肉的であったようです
あなたが
神の願いである悔い改めにいたることを
願える人でありますように
義を愛し不法を憎む人でありますように
アーメン
さて、霊と真理をもって神を礼拝する時がやって来た
すべての被造物が集まって来て
神である主に、賛美の歌を歌います
栄光と誉と偉力は永遠に
神であるあなたのもの
主である、あなたはすべての被造物の願いをかなえてくださった
ハレルヤ
すべての被造物の膝はあなたの御前でかがみます
風は思いのままに吹き、神の息吹は
ふさわしい人の上に注がれます
そのとき、二人の両耳に風の音が聞こえます
そして
御霊に導かれて
エメラルドの草原を
花が咲き乱れる場所まで
愛する人と二人で一緒に歩いて行くのです
サファイア色の天空には
美しい虹がかかっています
ありがとうございました
主よ、感謝いたします
アーメン
一vetania一からの引用