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愛は人のした悪を思わず
人がもし、真実を語り、礼義正しく、誠実な対応をする人なら
それなら、問題は起こりません。その人に愛が満ち溢れているからです。問題は人を汚す言葉にあります。
何も分かっていない人間が話したすべての悪は人を汚し、傷つけます。
人が、語った言葉に傷つき、その言葉とその人を思い出すたびに、人は腹を立てます。
そこで、聖書ではこう語ります。
「愛は、人のした悪を思わない。」と。
5 「礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、」
(コリント第一13:5)
仏教ではこう語ります。
「彼はわれを罵った。彼はわれを害した。」という思いを抱かない人には、ついに怨みが息む、と。
「彼はわれを罵った。彼はわれを害した。彼はわれにうち勝った。彼はわれから強奪した。」という思いを抱かない人には、ついに怨みが息む。
(『法句経』1:4)
聖書も法句経もどうやったら、上記のような人になれるかを書いていませんね。
出来る人は、いるのですか?
牧師さんも、お坊さんも上記の説明が、長ったらしい。
それは、解決方法を知らないからです。
あなたは、どうですか?
解決方法を知っていますか?