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イエスの血による新しい契約

31 主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。
32 この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。
33 しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。
34 人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。

エレミヤ31:31~34   口語訳

12 しかるに、キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、
13 それから、敵をその足台とするときまで、待っておられる。
14 彼は一つのささげ物によって、きよめられた者たちを永遠に全うされたのである。
15 聖霊もまた、わたしたちにあかしをして、
16 「わたしが、それらの日の後、/彼らに対して立てようとする契約はこれであると、/主が言われる。わたしの律法を彼らの心に与え、/彼らの思いのうちに書きつけよう」/と言い、
17 さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べている。

18 これらのことに対するゆるしがある以上、罪のためのささげ物は、もはやあり得ない。
19 兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、
20 彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、
21 さらに、神の家を治める大いなる祭司があるのだから、
22 心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか。
23 また、約束をして下さったのは忠実なかたであるから、わたしたちの告白する望みを、動くことなくしっかりと持ち続け、
24 愛と善行とを励むように互に努め、
25 ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。
26 もしわたしたちが、真理の知識を受けたのちにも
なお、ことさらに罪を犯しつづけるなら、罪のためのいけにえは、もはやあり得ない。

ヘブル10:12~26    口語訳

コリントの人たちやガラテヤの人たちは律法の行いによらず、イエスを信ずることによって、聖霊を受けたとパウロはそう言っている。たとえ、肉的であって、いろいろ問題があったにせよ聖霊を受けている。聖霊は、ただ「十字架での主イエスの贖いを信じるだけ」で与えられたようだ。

どう、思う?

神さまの約束(こころに律法を与えること)を信じる必要があるわね。

本当だね。信じるのみだね。

神は聖霊で信者のこころに律法を書きつけるのね。

その通り。

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